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第53話 兆し

 柔い手が背中を撫ぜる。別にいかがわしいことをしているのではないが、どうにも落ち着かないのはなぜだろうか? 王女に与えられた個室でツコウはそう思う。



「凄い切り傷だね。躊躇いなく振り抜かれ、鋭く、殺意が込められているのに純粋さを感じる」



 まぁ間違いなくいかがわしい雰囲気は消えたなと思ったツコウは正直に話すことにした。

 報告書は清書待ちだが、アレの存在は同胞達に伝えるべきことだった。



「ボレアのペグマと言っていた。武器の相性差を考えても間違いなく“一剣”に匹敵する。速度のある破壊が得意なようだった。気に入らない上官は全て殴って来たので、出世してないらしい」

「だから流石の黒悔こくかい騎士団も知らなかったわけだ。そういう人物って君のところが調べてるだろう?」



 背中に塗りつけられる軟膏は高級どころか、特級品である。値が張るからと言って効くかどうかは別問題でも、自身が戦士であるシャルグレーテの持ってきたものだ。その点では随分と信頼が置けた。



「たまにやるのは事実だが、主流はあくまで軍の方だよ。昔ならいざ知らず、今の黒悔こくかい騎士団は陰兵おんぺい衆が解体されて随分と経つからな。外国までは手が回らん」



 かつての黒悔こくかい騎士団は諜報活動の隠れ蓑になっていたらしい。らしい、というのはツコウも人員削減後の騎士団しか知らないためだ。下働きや従士が実は各方面を調べ上げていた時代があり、それが陰兵おんぺい衆とあだ名されていた。

 現在は国軍がそれに近い部隊を持ち、黒悔こくかい騎士団には片手の指で数えられる程度にしかいない。



「よし、終わりだよ。それにしてもひどい縫い方だ。ここの医者はやぶなのかい?」

「いや、練習させようとコリンにやらせたんだ。アイツ裁縫下手だな」

「ヘタというより萎縮しただろうね。力関係を忘れちゃいけない。あの子の命運を、お前は好き勝手にできると言って良いんだから。そうしないのが分かっていても、怖いものは怖いさ」

「時々含蓄のあることを言う……俺に師匠は向いていないな。うちの爺さんはよくもまぁ俺を鍛えてくれたものだ」

「そこまで思いやりに欠けてはいないからかな」



 背中に手ではない重みがかかる。しかし、そこから発展する余地があまりないのが二人の関係だった。高嶺の生まれと、卓越した剣技がなぜか人間関係を阻害する。二人の睦み合いはもっぱら真面目な話を通じてとなる。



「北の視察と、俺に会いに来たで終わりではないだろう? 陛下から密命か?」

「当たり。急ぎはしないけどね。ボレアだけでなく、多くの国に動きが見られる。軍も間者を当然送るけど、父王様は信頼できる目を送り込みたいみたいだ。自由になる騎士の中で一番優秀なくせに、一番バレにくいのがお前さ」



 危うく口から出そうになったが、黒の“一剣”は自分の王に初めて敬意を覚えた。なるほど、確かにその通り。他国の支配者達に一番気取られないのがツコウであり……そして、アルゴフの弟子に最も恨まれ、警戒されているのが自分だからだ。

 つまりブレーズ王はアルゴフの弟子を真なる驚異と捉え、彼らが張り巡らせた網がどの国にあるのか知りたがっている。そのためなら娘の恋人すら利用する。他国内では流石のツコウも、死ぬ確率が劇的に高まることを当然計算しているだろう。


 私と公を完全に分けられるのも大変だ。娘に嫌われたくなど無いだろうに。


 急ぎでは無い……というのはアルゴフの弟子達がどれだけボレアに根を張ったかを調べるためだ。捕虜がいるため、連中は表向きでもある程度の行動を取るはずだ。そこまでは優秀な戦力として使う。その後は囮として使う。

 “一剣”でツコウの次に狙われるのは、彼らの同胞を殺した緑鎖りょくさ騎士団のテーズだろうが、これで釣れた者は内部で処理できる。緑鎖りょくさは森を警戒する存在なので敵も逃げ場は少ない。


 損得勘定でアルゴフの弟子達に対する損が大きすぎる。ならば巻き返すために大きな札を切るわけだ。

 忠誠心の薄いツコウはどこまで付き合うか分からないところもあるが、シャルグレーテがいるのでとりあえず命令には従うという予想もある。いつの間にやら随分と都合の良い存在へと変化させるとは、権力者になれるわけだとツコウは考える。



「当面はボレアがどう出るかだな。アルゴフの弟子がどうするか……状況的には先手を取られているんだが、政治はさっぱりだ」

「戦に勝利して、被害も少ない。なのに頭を悩まされるとは困惑する話だ。考えてやっているなら大したものだね……なにせ私達はボレアなんて欲しくない。間に山を挟んだ寒冷地で、反抗的な現地人を登用するなぞ大損だ」

「逆に言えば、適した人材がいれば良いわけだ」



 ケイラノスは大国として君臨しているが、大陸の覇者たらんとしたことはない。理由は単純で治めきれないからである。ケイラノス王族に欲深い人間がいなかったわけではないが、元が防衛から生まれた国だ。加えて数多の宗教勢力を抱えるという難事にかなりの力を使うため、いたずらに疆域きょういきを広げても維持できないと理解するのは自然であった。

 ブレーズ王も真っ当な人間だけに、版図を広げた王として歴史に名を残したい欲望は当然在る。だが北のボレアは頑迷で不毛。南のサーラーンは略奪が文化に含まれる遊牧民。西は奇妙な沼地の民で、東は不毛な荒れ地でボレアより遥かに実りが無い。どの国も落とせる国力はあるが、赤字が目に見えていた。


 考えがややこしくなってきたツコウは、面倒になって力を抜いた。シャルグレーテにもたれかかる姿勢になり、自分でも意外に思った。かつての自分なら誰かに隙を見せることは無かっただろう。

 一瞬、甘い空気が部屋に広がった気がしたが……扉が力強く連打された。



「姫様! 大変です! 大事が起きました!」

「何事ですか、アルム。声を抑えなさい」

「そんな場合じゃ無いです!」



 とうとうアルムは臣の分を破って、部屋に入り込んだ。密かに王女を警護する騎士としてはあり得ない行動に、叱責よりも困惑と好奇心が沸き起こる。



「ボレア王が亡命してきたんですよ! つきましては姫様とツコウ様で王都まで護衛するよう通達がありました。速鳥便りによる連絡で、封蝋はブレーズ陛下のものです!」

「おやまぁ。世の中は本当によく分からん」



 ツコウが呆れたように肩をすくめた。その厄介事が自分にも降りかかるとは、この段階では思っても見なかったのだ。

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