困り顔の大城塞ダグザ守将ルーオパは、しきりに頭を下げながらシャルグレーテへ亡命者たちへの対応を願った。既に指令が下ったというのは知らないのかもしれないが、媚を売っていると思われるような態度だった。ちなみにツコウには一言も無かった。
王を乗せるにはやや簡素な荷馬車も近づいてくる。ここは本来は高貴な人間が来るようなところでは無いから仕方がないことだろう。いや、あれでも城塞には派手なほどかも知れない。
現在のツコウはシャルグレーテの指揮下に入った。同じ六大騎士で“一剣”であろうとも、ついでに婚約者でも王族の扱いに関してはケイラノス王家であるシャルグレーテの方が高位となるのだ。身分差とは面倒なものであるが、ツコウはいざとなればそれを無視するのが不安である。
いざとなれば無視する。
屋外用の椅子に腰掛けたボレア王と思しき人物が見えた瞬間に、ツコウは貰ったばかりの双剣を抜き放った。その動きを誰もが呆けた顔で見ていた。まさか、この状況で……ボレア王を切るつもりがある訳がない。
双剣を首の高さまで持ち上げて交差させる。瞬間、響き渡る鋼の音色。金属の板のような大剣が、蒼の双剣に阻まれていた。
「お前……なぜ、ここにいる」
「それはこちらが言うセリフだ。たまには豚に従ってみるものだな。貴様とこうも早く再会できるとは!」
ボレアのペグマ! 北の地で最高の戦士がその無骨な大剣をツコウへ向かって、横薙ぎの豪剣を振ったのだ。
しかし何かしっくり来ない様子で二人は睨み合った。先の一撃は間違いなく、事前に感づいて防が無ければ死んでいたであろう威力だが、続く連撃は無い。不承不承といった感じにペグマは大剣を背負い直した。
「まぁ……今の一撃でとりあえずは良いとしよう。互いに余計なものが多すぎる」
「なにか悪いものでも食ったか?」
「ああ。後味が悪いものをな」
それが北の名将の最後の指令だと、ツコウは知ることは無い。ペグマも指示されたというよりは、男が男に託した約束だと思っている。ゆえにある程度の自重はやむを得ない。
「ペグマ! ペグマ! お前は何をしているんだ! これからが大事だというのに、心証を悪くしてどうする!? 全くお前というやつは! カーネがいればお前など……カーネがいれば……」
椅子が軋むような体格のボレア王の怒りは次第にしぼみ、涙ぐましいものになる。亡国の王の悲哀は城塞の人々の心をうった。多少はおかしいほうが普通なのだ。王ともあろうものが取り乱すからこそ、効果は出る。
ボレア王の意外な才能は周囲に哀れまれ、得をすることになった。かつては発揮されることは無かったが、今となっては真実なのだから人は助けてやりたくなるわけだ。
その中でツコウとペグマだけが微妙な顔をしていた。
「愛嬌のある豚というのは厄介なものだ。それと、外に
「前の戦で降伏してきた連中だ。堂々としているので、無下に扱えん。ただお前の王と会わせるのはうちの王様との面談後になるだろうがな。ここで意気を上げられても仕方が無い」
ツコウとペグマは互いに一撃で相手を殺せる位置取りをしながら、奇妙な友人関係を構築し始めていた。隙があれば殺す関係を友人というのならだが……そうしているうちにいつも以上に輝くシャルグレーテの凛とした姿が現れた。
「陛下。どうなるかの保証はできかねますが、王都までは我らがその身をお守りします。そのようなお姿ではなく、しっかりと前を向かれてください」
「おお……おお……麗しい方よ。そなたは?」
「ケイラノス王ブレーズの娘、シャルグレーテと申します。多少奇異に聞こえるかもしれませんが、私も騎士を拝命する身。王の身辺が万全であるよう努めさせていただきます」
現金な性質というか……ボレア王は美女を目にして顔を赤くしながら元気を取り戻した。しきりに手を握り、ばれない程度に撫で回している。シャルグレーテも流石というべきか、不快そうな顔は一切見せない。
「なんだ、あの女。女が戦士というのも妙だが、かなりやる。認めたくは無いが俺と同等ではないか?」
「ボレアはそういう風習か。
「ふん。その時は手伝おう」
なんとなしに横に並んで会話を続けていると、コリンを筆頭に馬を連れて歩いてきた集団があった。馬車の周りを
宮廷魔術師のボフミルは既に小柄な馬に乗っていた。
「ツコウ様。旅装の類は整えました。通常より多めにしています」
「ご苦労さん。あと、種類は問わんから馬車か馬引きの荷車を頼んで、貴人用の酒や着替えも用意させてくれ。ブレーズ陛下はどうも、ボレア相手に結構な熱意のようだ」
「分かりました。費用は?」
「これを使え。あと領収書も貰え。全部後で国に請求する。ボフミル殿、加減はもう良いので?」
「いやぁ……みなさんが働いている間、寝込んでしまって申し訳ない。どうも〈イーラ〉は威力の分だけ、とても疲れる……といっても予定を遅らせるわけにも」
ロバのごとき子馬が妙に似合う魔術師は疲れた顔で笑った。戦闘を止めるため、ボフミルは大規模な火球を2回使った。その疲れであろうが……実際に与えた損害はその労力に全く見合っていないだろう。しかし、損害ではなく流れを操れた。それは戦において無類の力だ。轟音と衝撃は敵を揺さぶるのに極めて有効で、使いどころによっては恐ろしいことになることを示したのだ。
「昔は皆で魔法を撃ち合っていたのかねぇ……」
「つまらん時代だな。誰が誰を仕留めたのか、分からんではないか」
出立の時が来た。名残惜しいとは黒の騎士は思わなかった。どうせあと一回は来る羽目になるだろうと考えている。
ボレア王が馬車に乗り込むと、座った衝撃なのか馬車が揺れる。繋がれた馬たちが不安そうな顔をしているのがなんとなく哀れだった。
馬車の前にはシャルグレーテが白馬で進む。そして、馬車の左右にツコウとペグマが槍旗を持って粛々と進む。ただし本人たちは全く真剣ではなかった。
「馬に乗れるのか、ペグマ」
「まぁな。動物は嫌いではないからな。熊が乗せてくれるのならもっと良いのだが……おいツコウ、今度は騎馬戦でやり合わないか」
「短剣使いが騎馬戦得意な訳無いだろ、アホ」
ツコウが持つケイラノスの紋章と、ペグマが捧げ持つボレアの国旗が翻る。
その2つが並んで進むことは有史以来初のことだったが、持ち手達に忠誠心が薄いことを示す歴史書はきっと現れない。
先頭を進むシャルグレーテは問題児を抱える母親のような気分になって、ため息をついた。