まずコーディアの展延槍が豪快に振り回されると、水気を帯びて重いはずの死体達は冗談のように吹き飛んだ。凡人の域を遥かに超えた膂力のなせる芸当だが、コーディアはそれが間違った選択だったとすぐに思い知らされた。
ぶよぶよとした肉の部分に裂け目ができると、そこから妙な液体をばら撒く。その液体はおぞましい黄色をしており、その臭気をわずかに吸い込んだ蒼の一剣は思わず咳き込んだ。
「なんだこれは!」
「気休めですが、布でも口に巻いときましょう」
恐らくは毒であろうと予想ができる。幸いなことに即死する類の毒では無いようで、テーズの援護を受けながら仕切り直す。ウロボロス教団謹製の解毒薬を飲み干し、テーズにならって口を覆う。
コーディアはいささか軽率であったことを認めるしか無かった。一部兵士の姿をしているということは、遥か昔のケイラノス兵だ。いくら沼地の泥中にあったとはいえ、流石に肉が残っているはずもない。北のボレアで見られた肉体強化型とは違う型の改造術によるものだ。
「兵士達は俺が受け持ちまさぁ」
言うが早いか、テーズは平然と踏み込んだ。わずかに残る不安定な地面を足場にした剣技は、その性格からは想像もつかないような流麗な動きだった。足元の沼と対照的に流れる清廉な川のように、テーズの長剣が舞う。
肉の部分は完璧に避け、そして露出した骨の部位だけを狙う。股関節、膝、首、と相手を解体する動きは一度も仕切り直しが無かった。テーズが再びコーディアの元へ戻った時には、眼前の肉兵は半分ほどになっていた。
これには口うるさいコーディアも黙るしかない動きだ。練りに練られら正当な剣術。教本を現実へと召喚したような剣術こそがテーズが一剣たる理由だった。その完成度の高さには、ツコウとて届かない。
「嫌な感じがしやすね。一旦引いたほうが良い気がしまさぁ」
「確かに、な。だが、見逃してくれるかな」
木々のざわめきと、不快な水温から推測するに敵は既に後方へも回っている。二人の一騎当百がいようとも……簡単に抜け出せはしない。不気味な存在、四足の怪物が未だに沈黙を守っているのがいかにも怪しい。テーズもコーディアもわざと隙を作って見せたりもしたが、無反応だった。反応するだけの能力が無い、と期待するのも都合が良すぎるだろう。
瞬間、突然現れた黒の戦士の一撃をコーディアがかろうじて受け止めた。そこに火花が生まれることは無い。相手の得物は硬い木に何かの牙を埋め込んだ原始的な代物だったためだ。
鍔迫合うコーディアは敵の黒色が粘液であることを確認できた。ドラウグルであった。
『主役が到着するまでの時間稼ぎ……そうそう逃げるわけにはいかないというのは宮仕えの悲しさだね』
「この程度でっ……!」
止められると思うか。その言葉は切られてしまった。
さらに現れる黒の戦士。今度は丸い石が先端にある、松明のような棍棒を振り回すドラウグルが現れたのだ。見ればテーズも既に容易ならざる敵と撃ち合っていた。ああ、そういう戦い方か。老練たるコーディアは敵が仕掛けた罠を悟り、どうしようもない事実を掴んだ。
「……死体の質か」
『その通り。君たちのような規格外達はどういう理屈なのか、同等の性能をぶつけても軽くひねってしまう。その理不尽に私は対抗することにした。とはいえ、非才の身ではごく単純な考えしか出てこなかったんだよ』
「この地の英雄たちに、ドラウグル化を施しつつ精神までもある程度復元した……そんなところか」
『ご明察。私の作り出した改造術で、生前の在り方を模した。まぁ当然に完全とはいかないけれど、それで充分さ。英雄を倒すには英雄をぶつける。簡単な理屈で申し訳ない』
コーディアは二体のドラウグルを同時に相手取りながら、悲しみで視界がにじみそうだった。老いて、次代へ立場を譲る側になったからこそ、眼前のドラウグル達の姿が悲しくてたまらない。
……彼らはまだ戦っているのだ。ケイラノスの民が近づこうとさえしない、こんな沼地を守るために。回復させられた精神を燃やして侵入者と戦っている。認識は歪められ、己に首輪が付いていることに気付かない。彼らの視界に入っているのはコーディアとテーズのみ。隠れ潜む魔術師の暗躍だけは見ることができない。
「すまん。そして誓おう。あなた方の存在はわずかであろうと、沼地の民に必ず返す。返してみせる!」
コーディアは“青の一剣”だ。地味と言われようが、ケイラノスの川や湖を守ってきた。
ゆえに許せはしない。忠義の在り処は違えども、このドラウグル達はコーディアと同じように水辺を守ってきたのだ。それが体よく利用される現実など、吹き飛ばしてくれる。
元より沼地の民に近しい人間であることもあり、コーディアの戦意は静かに燃え上がる。振るわれる展延槍は下位ながら遺物。これで打ち倒せば、古人達も再度の復活は不可能となるであろう。
二体を相手に激烈な応酬を交わす青の騎士に湧き上がるのは敬意だ。彼らの腕前は“一剣”に届きかねないもので、黒幕の思惑通りの存在である。確かにこれなら一剣を討てる。一旦退いて、少しでも良い足場を選んで戦わなければならない。最悪、全力での撤退も頭に入れて……
冷静な思考のコーディアだったが、突然ギザ刃によって鎖帷子と血が飛び散る。原因は足元にいる泥死体だった。上半身だけになったそいつは亀より鈍い動きでコーディアの足を掴んだのだ。
続けて放たれる殴打の嵐。古代の英雄達が得意とした技をコーディアは連続で食らい、吹き飛んだ。わずかな失敗で均衡は完全に崩れてしまう。
「旦那ぁ!」
それを見たテーズは切り結んでいた相手を、強引に押し返して駆けつけようとした。だが、コーディアの大喝がそれを引き止める。
「来るな! 引くのだテーズ! この場の敵は私が全て受け持つ!」
内蔵を幾らかやられたが、この程度。そう言わんばかりに凛と立ち上がる老体は、実際には限界が近かった。あんな些細なミスを犯すとは己も歳をとったものと自重しながら、若人へと言葉を送る。
「逃げたという輩がいればこれを突きつけてやれ、お前達に後を託すため私が残るのだ。
そう言いながら青の徽章を投げて寄越した。これではまるで形見だった。しかしテーズも阿呆ではない……コーディアの発言からようやく悟る。沼地の国……今のような姿になったのはいつだ。国は数百年保ち、土地は開闢以来存在する。ならば英雄の遺体の数はこんなものに収まらない。
次々に現れる強敵に、いずれ二人は押しつぶされる。逃げるには今しかないのだ。
「くそっ! 一生恨むからな、旦那!」
一際大きく剣を振り、周囲にできた空白から逃げるテーズにコーディアは微笑んだ。素直で無いやつばかりだが、自分は同胞に恵まれた。きっと連中は嫌だ嫌だと言いながらも、時折自分のことを思い出してくれるだろう。
『大丈夫さ。すぐ会える』
「それはないな。それに我が心根は死霊術師であるお前には理解できんさ」
さぁ、最後の晴れ舞台。観客こそいないものの、相手は英雄の群れ。蛮風豊かな国の戦士であれば、夢のような状況だろう。そして……このろくでもない黒幕に見せつける。魔法など使えても、世の中思い通りにならないものだということを。
若き頃を上回る躍動と共に、コーディアは〈展延槍〉の射程を全開にした。騎士が放つ最後の輝きを前に、闇など欠片も意味は無いと知るが良い。
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『……やってくれる』
黒幕であるアルゴフの弟子はキメラの口を通して、呪詛の言葉を吐き出すように言った。
眼前で膝を折りながらも体は横たえていない男……“青の一剣”コーディア。その腹部には大穴が口を開けており、明らかな致命傷だった。それでも倒れてはいない。見せつけるような不屈の姿には尊敬の念は湧いてこず、恨みだけが残った。
なにせ、この戦いは本来であれば“一剣”を捕らえて改造し、最悪の鬼札として活用するためのものだった。いかに一剣が強かろうとさらに強化された一剣をもってすれば恐るるに足らず。簡単な計算によるものだったが、蓋を開けばこの通りに結果は散々なものだった。
投入した沼地の英雄は15体。殺すには簡単すぎ、捕らえるのも苦労しない数……それもテーズを計算に入れての話だ。だがコーディアはそのうち14体を完全破壊し、力尽きた。一剣の死体は手に入るが、明らかな大損だ。
残る一体の英雄が沼地の現氏族長だったのは不幸中の幸いといったところだ。
「計算どおりにはいかなかったろう。それが戦というものだ」
『なに!?』
話している。口を開いている。膝立ちの姿勢のまま微動だにしてはいないが、明らかに死んでいるはずの傷を抱えたまま“青の一剣”は言葉を紡いでいる。
「新鮮であることが改造術には必須。そうでなければ死霊術が必要だが、死霊術にはどうしても素体の能力が低下するという欠点がある。そして、改造には手間がかかる上に、精神まで掌握するにはさらなる時間が必要……そんなところか」
『お前……化け物か』
「なに、もうすぐ死ぬさ。だが思いは伝わっただろう。満足だ」
その不屈こそが英雄の証である。そう証明するかのような男に、アルゴフの弟子は初めて恐怖を覚えた。
「人の可能性こそが戦の恐怖よ。さて……これで良いのか? 沼地の長よ」
『なにを……』
キメラの目を通して見れば、最後に残った改造英雄は痙攣のような震えを起こしていた。制御するための魔術的信号をいくら送っても、それは止まらない。ついに……最後の一体は手に持った投げ槍を黒幕の代理人たる怪物に投げはなった。それは見事に怪物の脳を貫いた。
『ば、バカな……』
「お前はここで何も手に入らなかった。失敗したな」
途絶えていく怪物の視界にその光景が映った。青のコーディアは遺物である展延槍を震える手で持ち上げ……自分の頭に叩き込んだ。全ての成果を台無しにしてのける。
老体としてはまずまずの戦果か。そう笑いながら、どこかの冥府に青は落ちていく。しかし、その輝きは永遠だろう。
倒れたのは“青の一剣”であったが、勝利したのもまた“青の一剣”となった。