残念ながら人界の全てを見通すことは誰にもできない。死霊術師とて傀儡の移動圏内が関の山であり、それを鑑賞するのは神々の特権というべきだった。コーディアとテーズが死闘の最中、ツコウとシャルグレーテはサーラーン国王であるチアースシャとの会談に臨んでいた。
サーラーンでは大王という称号を得ているチアースシャと謁見に及ぶのは、実はさほど手間でもない。その門扉は常に開かれ、誰であろうと意見を述べることができた。謁見の間で言葉を話せるのなら。
シャルグレーテの前を優美な白の四足獣が横切っていく。ツコウの横にはまるで仲間のような顔で細身の猛獣が一緒に座っている。チアースシャ大王の謁見の間にはありとあらゆる獰猛な獣がおり、ここで喋れるのなら喋ると良いという流儀なのだ。大王なりに人を観察する手法なのだろう。もっとも大王自身が背もたれに使っている魔獣や魔物に分類される黒色の巨獣だけはいただけないが……本人も相当豪胆なのだ。いささか勇気の使い方を間違っている気もするが、確かに大したものであった。
「ああ、そやつらなら確かに来たぞ。余に向かって不老不死がどうだの、無敵の軍勢だとか、世界の覇権がどうのこうのとやかましいので目に塩を詰めて放り出したが……死体だったのか、なら効果はあるまいな。喋るカラスの方は鑑賞物として面白かったが、よく考えれば声真似をする鳥は多い。総じて魅力が無かったな」
古の秘技も大王にかかれば散々なものであった。
ツコウはサーラーン戦士達はともかくとしても、チアースシャ大王は中々面白いと思う。頭髪が無く、浅黒い巨漢である。貫禄十分な大男が露出の多い布をまとわり付かせただけの格好で、優美な姿で寝そべっているのは同じ仕草をする連中に見せてやりたいと思う。
「それはそうと、投剣主よ。そこな女人は誰なのだ。感じられる武威は只者でもなし、ホレこの獣達も竦んでおるわ」
「私の婚約者で、名をシャルグレーテ。ブレーズ王の娘でありますが、同時に一剣も務めています」
「なんと。では、余の妹ではないか。稀に見る花ではあるが、ならば口説くこともできんな。誰か、シャーロットを呼んで参れ。姉妹を再会させなかった王などという評判は御免こうむるぞ」
控えていた侍女がこれ幸いとばかりに足早に去っていくのを見ながら、口説くというのはサーラーン流の社交辞令なのだろうとツコウは考える。サーラーンでは女性を口説くのは男性の義務とさえ言われている。
シャルグレーテの姉、シャーロットは妹とは違い控えめな性格の王女だった。彼女を正妻にしている辺りに、大王がどれだけケイラノスを重要視しているかが分かるというものだ。
慌ただしく家族が久闊を叙している間にも話は進む。
「察するに、あの面白くない輩共がこの地に跋扈するのを防ぐために、ブレーズはお主らを寄越したと見える。相変わらず甘い男よな。それだけの余裕があるということでもあろうが……各地の墓場を見回るよう触れは出そう。後はお主ら次第、結果が分かれば詳細を見せてもらいたいものだ」
手を出しているかは知らないが、アンデッド共も気の毒なことだとツコウは思う。サーラーンの遊牧民達は祖先を崇めること、かつての雪熊の国よりも遥かに敬虔だ。墓場に入るか、出るかした死体達は容赦なく残虐な目に合うだろう。見回るよう触れを出すというが、元々警備は厳重である。
柔らかな金髪の女性たちが戯れるさまを見ながら、チアースシャ大王は何気ない調子で言う。
「さて、常なればお主らを迎えるための宴会を広く開くところだが……」
ツコウは顔を引く付かせた。酒も全く飲めないわけではないし、食うのも決して嫌いではない“黒の一剣”だが、サーラーン人のいう宴会というのは3日3晩続くことを知っていた。
外交やらに自分は向かないだろうと思うのは、こうした時だ。度量のある者なら喜びさえするだろう。だが、チアースシャ大王は予想外の言葉を放つ。気のせいか、大王の背後にいる魔獣が鼻息を荒くしている。狼を巨大化して、鋭い矢のようにすればこうなるだろうという魔獣だ。
「我が妻には悪いが……お主らはもう帰ったほうが良いと考える」
「その心は?」
「勘よ。余はブレーズと引き比べても中々の君主だと自覚しているが、虫の知らせというものに関してはブレーズを遥かにしのぐと自負している。奇妙なことに思えるだろうが、この感覚が優れていなければ王というのは中々務まらん。おっと、大王だったか。というわけで準備は既に整えているゆえ、焦らず急いで帰ると良い」
ツコウ達にとってサーラーンはあまり長居したい国でもない。ましてや大王直々の言葉を軽んずるのも良くない。シャルグレーテと共に、ツコウは謁見の間を後にすることにした。
柔らかな金髪だが、長く伸びた髪を揺らしながら歩み寄ってくるシャルグレーテの姉、シャーロットが別れを惜しむ。
「どうか妹をお願いします。この子は昔から無茶ばかりしますから心配で……」
「姉さま!」
さしもの王女騎士も、年長の家族には構わないものらしい。ツコウは温かい微笑を返したが、思わぬ方向に飛び火することになる。
「投剣主よ。婚約が無事に結婚へと繋がれば、お主も我が義弟になるのではないか?」
「まぁ素敵です。前から弟が欲しかったの」
「子ならいつでも作れるがなぁ」
最強の騎士はほうほうの体で謁見の間から逃げ出した。サーラーンにはもう来たくないと、内心で決意しながらだ。
謁見の間を出て、待合所へ行くとベリムとアルムどころかコリンまでもが求愛の嵐にさらされていた。逃げた先で思わぬ救世主になった“黒の一剣”は一路故郷であるケイラノスを目指す。訃報が待ち受けているとも知らずに……
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後に残されたチアースシャ大王は物憂げに、椅子への座り方をごく普通の姿勢に戻した。側にいるのシャーロットのみで、直接的な陰謀渦巻く国の主としてはいささか不用心の感がある。
だがチアースシャにとっては、これが最も安全な陣容なのだ。
「これで良かったのか、兄者よ」
『ああ。直に会って分かったが、連中ならどうにかしようよ。だができる限り早めに事態を収拾してほしいものだ。北からの臭いが生臭くてかなわんからな』
チアースシャはシャーロットではなく、背後にいる魔獣と会話していた。加えてその獣を兄と呼ぶとは、いかなる事情があるのか。
実際のところ、秘密など無い。この魔獣は兄かどうかはともかくとして、チアースシャの血縁であるのは間違いなかった。このことを知るのは極々少数の側近だけである。
チアースシャが生まれようとしていた時、父である先王が何か奇妙な物を借り受けて儀式を行った。その結果として生まれたのがチアースシャの兄だった。文字通り血肉を分けた関係であり、互いに裏切らないという点においてこれほど頼りになる兄弟も無かった。父が一体何を使用していたのか、それがわからないということを除けば。
こうした経緯もあり、国としてはともかくチアースシャ自身はケイラノスより余程に古代の御技に詳しかった。死霊術師の話をすんなりと受け入れたのは、彼としてはらしくなかったかもしれない。一笑に付すべきだったかも、とも思い直したが不審には思われなかったようだ。
「刃物は素人には持たせてならない、というのはこういうことですね」
「そうだな。ケイラノスに仕掛けている死霊術師は賢いアホだ。手腕は卓越しているが、やることなすことがチグハグで随分と時間を浪費している」
『だが、最初から目標を見定めている。ことはそろそろ次の舞台になるはずよ。シャーロットには悪いがな』
「まぁ……お兄様は術士達の狙いを既にご存知で?」
シャルグレーテと同じ髪をしているが、順応性という点ではシャーロットは妹の遥か上を行くだろう。魔獣を兄と受け入れ、大王に深く愛されている。側室達に殺されてもおかしくない状況で、平時の穏やかな顔のままにすべてを乗り切ってきた。だからこそチアースシャもシャーロットを妻としてだけでなく、部下としても信頼していた。
『ふん。叶わぬ夢だ。奴らが全盛の時代にも無理であったこと……魔術師が実権を持ち、貴族となる国。魔導国家の設立よ』
その過去を見てきたかのように語って、魔獣は腕に顎を乗せた。くだらないと思いながら、遥か遠くの者たちの思惑を看破していたのだ。
だが、自分は主役と成れないことも分かっている魔獣はまどろみながら、北の同盟国の無事をぞんざいに祈った。