西部湖沼地帯では北部ほど劇的な展開はなく、一見問題なく進んでいた。現在の沼地の民と
前回の残りなのか……時折、思い出したように死体が起き上がったが、動きに精彩を欠いており騎士団が軽く小突くだけで撃退できた。戦争どころか戦闘とも呼べない。
「くそっ! ここには来てないのかよ……」
抵抗が無いというのは純粋に敵兵がいないということ。死霊術師が西部に来ていないためである。これではテーズの怒りはどこへ向かえば良いのか……前回の教訓を踏まえて口に巻いた布越しに呪詛を生み出すしかない。
工兵達が沼地の民が指示する場所に、適切な素材の橋をかけていく。これは彼らへの救済措置でもある。軍団工兵達の見事な動きも、今のテーズにはのろのろとして、馬鹿にしているように見える。
その横で
「ふむぅ。なにか妙ですな。敵は小勢にして卑劣な輩……こうも上手くいくというのは、私のようなひねくれ者にはどうにもおかしい話に感じてしまいます。しかし、陛下がここへ我々を寄越した以上は何かあると信じたいですなぁ」
口うるさい父のようだったコーディアを失った悲しみを隠して、
それに対して中年騎士……
「陛下とて完璧ではない。それに骨子を考えたのは軍団だろうからな」
「さぁて。どうでしょ? 知ってます? 陛下って博打とか大好きなんですよ。娘を騎士にくれてやったりするのも、見ようによってはとんでもないことです。彼への報酬の先払いみたいで」
確かにブレーズ王にはそういうところがあった。ある意味では王様らしい気質と言えるのだろう……公と私が完全に融合しているのだ。シャルグレーテとツコウに関してもそうだ。王族の娘に本来は許されない恋愛結婚を認める私情と、ツコウという並外れた戦士の血統を自分の家に取り込めないかという打算の合体だ。
では、この現状はどういったことなのだろう。考え抜いた先にモルダは自身の誤りを悟った。王の命令は何だった? “青”と“緑”の役割はこの地の住人の
「そうか……我々のやるべきことはここを安定させること。そして、敵の狙いは……」
「モルダ殿?」
少し見方を考えれば分かることだった。
死霊術師。現代には存在しないはずの名前は一人歩きして、軍関係者の度肝を抜いた。無限に湧く不滅の軍勢を作る支配者。まさに歩く王国なのだと、誰もが想像を膨らませた。
だからこそケイラノスという国は、アルゴフの弟子たちを相手に後手後手に回り……実際に戦う“一剣”達は彼らに苦渋をなめさせ続けた。勝っているのに、負けた気にさせられていたに過ぎなかったのだ。第一、死霊術がそれほど都合が良いものならアルゴフが倒されることは無かったはずだ。いやそれよりも世界はとうに彼らが支配していただろう。
「テーズ。ここは我々だけで充分だ。一隊連れて、
「はぁ!? いや、行く。行きますよ。確かにここには仇はいねぇ」
馬の一団が沼地から出ていく姿をモルダは眺めた。“一剣”は戦う存在である。それに対して自分たちは任務が何であれ全うするだけだ。羨ましいとも思ってしまうが、自分が聖都に駆けつけたところで何もできまい。
「モルダ殿……つまり、死霊術師達の目的は……」
「ああ、聖都の一点突破。狙うのは物資を各地に届ける
とはいえ、戦は何が起こるかわからない。奇しくもここでコーディアが言ったように思いどおりにはならないものだ。青と緑の騎士団は万が一に備えての聖都攻略を視野に入れた。自分の国の首都を攻めることを想定するなど、あまりやりたいことではなかった。しかし、やらねばならない。
願わくば、この備えが無駄になると信じて。
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遠く離れたモルダが予測していた通り、ブレーズ王は
各方面へと戦力を割り振った後に、聖都には戒厳令が敷かれた。活気があふれていた首都ドラドミスから民草の声が絶えた日として、今日は歴史に名を残すだろう。
「予想通りなら守りは万全とは言い難いが……それでも来るであろうな。若者は夢があって良い」
「世間知らず、とも言いますが」
そう。ソールソンとブラーギの言う通り、アルゴフの後継者アマドは向こう見ずな若者なのだ。
どれほど残虐に見えようとも、現在に全てを賭けて光へと駆け出しているだけでしかない。
悪かったのはめぐり合わせだろう。アマドの父が彼を意識から消し去らなかったのなら……宮廷魔術師達のような道も切り開けたはずだ。そうはならず、アマドは救い主に飛びついた。
「万全ならずとも落ちぬのが、我らのケイラノス。それを知らずに来るか……」
ドラドミスは不落の要塞でもあるのだ。元々がそうあるように作られた上に、多くの宗教勢力がこの地に大神殿を持つ。実際に城の前には各神殿兵と民衆から出た義勇兵が展開している。
仮に敵がドラドミスを占領したとしても、これらの勢力が大義名分を得て解放するだろう。その場合、ケイラノス自体は大きく力を削がれることになるが、消え去りはしない。
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「それでも今日やらなければ、勝ちの目は絶対に無い。と思い込んでしまっているのが、敵の真面目なところだな。実際怖い手段だが、どこか別の国でやれば良かったものを」
最強の騎士もまた億劫そうに呟いた。その腰には先程、戻ってきた愛用の双剣がある。その黒白にならってか、黒の騎士である彼の傍らには白の騎士もいた。
「なんだか悪いね。綺麗なところ譲ってもらったみたいで」
「死体に綺麗も何も無いと言いたいが、戦う場所がなぁ……
黒閃と白閃がある限り、聖都の守護は揺るがない。
それを証明するためにわずかな時間を待ちわびるとしよう。