完全に躱したつもりが、敵の
飛ばされた黒の騎士は失敗を挽回する機会を得るため、衝撃をなるべく殺しながら民家の壁へと激突……いいや、着地した。
「ゲェ、ホッ……!」
完全には衝撃を殺せなかったツコウは、“一剣”となって以来の屈辱を味わった。衝撃で肺にかかった圧力で咳き込みながら、嗚咽を漏らす。訓練時代でもこんな無様は晒さなかったというのに。
ツコウはその精神的苦痛を何とか飲み込むと、移動を再開しながら直前に見たものを思い出す。あの巨人は何かの死体を集合させたモノだった。すくい上げるような平手に何かの顔がいっぱいに張り付いて、暗い物も見てきたツコウですら強烈に揺さぶられた。あるいはそのために敵の攻撃をかわしきれなかったのだろう。
「啖呵を切ったは良いものの……相性が悪いな。巨人と相性が良い奴に任せたいところだが……」
男の見栄というものだろうか? ツコウはひとりごちながら、滑るような動きで巨人の足首を切り裂いた。借り物の薄青の双剣が連続使用に悲鳴を上げつつあるが、この際折れるまで使ってから切り替えようと割り切った。流石に自分の生命と金の引き換えは無理だ。
再び向かい合えば巨人の足首の傷はとうに塞がっていた。簡易とは言え遺物による攻撃でも塞がるのは、そういった機能を付与されているか、魂とは関係の無い作用で修復しているのだろう。
「突き立てよ! 〈
その点、巨人にとって最悪の存在はシャルグレーテの方であった。
街路が形を変え、棘のような形になりながら肉塊へと牙を突き立てる。地に属する物を掌握する最上位遺物は、どのような局面でも圧倒的な力を発揮する。
肉の怪物の欠点は、所詮肉であり鋼のような硬さを持ち得ないことだ。
「おい、シャル。俺の得物じゃ、肉には対して効果が無い。刀身が短すぎて話にならん」
「そして、〈
「そうだろうな。むしろ……あー、なんだ押し付けるようだが、今のまま足元で戦って欲しい、いや、というか相手を任せたい」
戦闘中に発せられた言葉にシャルグレーテはあ然とした。その難易度ではない。ツコウが他人を頼っているという、異常さに危うく敵への警戒を解きそうになった。
もちろんのこと、任務上で任せられることは任して来ている。しかし、それとは違い己の不足を補って欲しいと言っている。自分の発案と自分の意志で、これからやることを援護して欲しいと。付き合いの長さから、シャルグレーテはそれのおかしさに気付き笑った。
「もちろん、いつも通り好きにやってくれ。君の背中を守りたいと、いつだって願って来た私さ。何より……
返答は無く、承諾と共にツコウは駆けた。巨人へ向かい、一直線に。
地を這う虫のままでは巨大な敵へと勝てない。あくまでもツコウは才能に恵まれすぎた剣士だから。現実を超えた巨体に対抗する術など無い。だから狙うのは自分と同じ、見いだされた者へと向かう。
ツコウは巨体を駆け上がるべく、地を蹴り上げたのだ。
巨人の攻撃が迫るが、それは大地から突き出した岩の剣によって割かれ僅かに裂け目ができる。そこへ向かって、滑り込む……死が横を駆け抜けていく感触がした。
巨肉の足の甲を踏みつけると嫌な感触がした。蹴り上げられる寸前に膝裏へと回り込み、簡易遺物を突き立てる。
かつて、小さいとは言え砦をあっさりと飛び上がって見せた時とはまるで違う。相手が敵意を持って動いている。それだけで登攀の難易度は桁違いになっていた。
ツコウは死霊術師の視線を感じたが、巨人への指令以上のことはしてこない。恐らくはこの巨体を動かすこと自体が、相当な難易度であり常に接触している必要があるのだ。無茶苦茶な動きをさせればツコウを振り落とせるが、そうなれば死霊術師自身も肩に乗ってはいられない。
どこもかしこも血みどろの戦場だ。“一剣”を欠いた六大騎士団員達はトンボもどき達を相手に奮戦。シャルグレーテは巨人を相手にしている。
「全く、戦いというのは割に合わないな」
ボヤきながらツコウは巨人の皮膚に張り付いている人の顔に、内心謝りながら登っていった。これほどグロテスクなものは初めて見たと思いながら、ソレが何か重大ななにかのようにも感じる。
腰まで来ると薄青の双剣を投擲し、それを踏み場に一気に跳ねた。危うく滑りそうになりながら、両足を着けるともうツコウ揺れることはない。高価な双剣をただの足場に使ったことを、少し残念に思いながら改良された黒白の双剣を抜いた。
「こんなところまでご苦労なことだ……というのはお互い様か。まったく、まったく、俺も何だってこんなことをしているのやら」
「なんだって? それを君が言うのか。ケイラノス最強、一剣、黒の死神。その二本の剣で人生も、女も、友さえ手に入れてきた君がそういうのか。君は叶えられるじゃないか、どんなことだって、剣の腕一つあればどこへだって行ける」
黒衣の青年の言葉は澄み渡っていた。ツコウに対する言葉も、礼賛するようだった。しかし、その言葉の裏に仄かな暗い炎を感じるのも、さして難しいことではないだろう。
これまでの行動から、アルゴフの後継者は“一剣”、とりわけツコウに執着していた。彼の言動からすれば無意識にだろう。確かに優れた個人は重要な要素だが、徹底して対抗する必要は無い。だが、死霊術師は英雄達を相手にすることを念頭に入れていたため全ての攻め手が半端に終わった。後手後手に回ったケイラノスに致命傷を与えられなかったのもそれが遠因だ。
「そうだ。つまり逆に言えば俺には剣士としての役割しか、期待されていないということだ。俺が明日からパン屋になるなどと言い出せば、ケイラノス人全員が止めるだろうな。才能が勿体ない。無駄だ。それでは俺の役に立たないと、非難の大合唱だ。過ぎた才能は運命を定める。お前にも分かるだろう? モラレス子爵家の
「なぜ、それを……」
「まぁよくできた偽物ではあったとは思う。しかし……言っては何だが、一年足らずの盟約による小細工が超大国を騙し抜けるはずもない。単にこの混乱の一要素に過ぎないから、重要で無くなっただけで身元はとうに割れている」
敵の精神を知ることは、必勝に繋がる基本だ。アルゴフの弟子たちとケイラノスは当然にそれを行う。無論のことツコウも彼のことを調べ上げた。アルゴフを討った際、現れたドラウグルがモラレス子爵とその嫡子だと確信が持てなかったがために。
結果として子爵は確かに本人で予感は外れたが、嫡子は違った。よく似た誰かだったのだ。
ツコウは自分でも分からないまま、心情を吐露し始めていた。突き抜けた才能同士に思うことがあるのか……それが分かることすら無いだろう。
「お前は類稀な魔術の才を持って生まれた。そう認知されることはなかったが、それが原因で父親はお前を忘却に沈めた。そして、その才からアルゴフの後継者に選ばれた。分かるはずだ……俺も、お前も、人が羨む才能という轍の上でしか生きていけない。いいや、生きていくことを許されない」
ツコウにとって、“一剣”としての役割はただの仕事だ。そのはずだったが、これまでの戦いには熱を感じた。カルプスが死に、サルムも死んだ。自分の何かが変わりつつある。だからこそ、ここで言っておきたい。きっと自分は思うがままには生きれないから。
アマドにとって、託された使命は至上のものだった。人生の途中で存在を無かったことにされた彼は
「俺には期待など不要だ。だから、誰も俺に強要しないで欲しい」
「私には期待が必要だ。だから、誰かに託されたい」
アマドもまた、剣を抜く。足場にしているだけでは、巨人は操れないのか。静止した奇妙な舞台の上で、剣と剣が向かい合う。周囲の状況が遠くに思える。ツコウは彼が剣を用いることに不思議な納得を覚えながら、その目は相手を肯定していた。
「「お前は邪魔だ。とっとと死ね!」」
騎士らしくも無い。魔術師らしくも無い。
二人の男は決戦を開始した。