東の宮殿に閉じ込められてから、もう何日が経ったのか。
窓の外を見ても、星の輝きしか見えない。
時間の感覚は鈍くなり、空の色でしか昼夜の判別ができなくなっていた。
日記を書きたくともペンも紙もない。刃物の類も一緒にないところを見ると、恐らくは自害を防ぐために取り除かれているのだろう。
息が詰まる、そう思いながら部屋の中をあてもなくうろうろとしていた時、ふとエリアスは違和感に気付いた。
いつもは深夜になるまで、何かしら物音がする廊下がやけに静かだ。
(……おかしい)
部屋の扉をそっと開けると、いつもなら立っているはずの侍女も、護衛の姿もない。
この数日間、監視は完璧だった。廊下を出ようとすればすぐに止められ、許可なく扉を開けることすらできなかったのに。
けれど今は、扉の向こうに誰もいない。
(こんなこと、今まで一度もなかった……)
鼓動が高鳴る。
──今なら、逃げられるかもしれない。
もしも見つかったら……ただの散歩だと言い訳すればいい。
しかし、それが言い訳でしかないことは、エリアス自身が一番よく分かっている。
(俺は……逃げたいのに逃げたくないんだな、相変わらず。ああ、でも……)
外の空気を吸いたかった。
この閉じられた世界から、一歩でいいから踏み出したかった。
エリアスはそっと足を踏み出し、廊下へと出る。
宮殿内は相変わらず静かで、歩くたびに絨毯を踏む自分の足音がやけに大きく響く。
慎重に歩を進めながら、耳を澄ませるが、人の気配はない。
(誰もいない……本当に……?)
まるで"誰かがわざと人払いをした"ような違和感。
けれど、疑っている暇はない。
エリアスは大きく息を吸い込み、迷わず走り出した。
──この宮殿の出口は、正面と裏口の二か所。
人の目を避けるなら、裏口から出るしかない、が──どうだろうか。いっそ他の宮殿と繋がる回廊への出口もいいかもしれない。
とりあえず外に出られれば、官舎までは戻れる。
はかない一瞬の逃亡ではあろうとも──別にいい。
(レオ様が来る前に……っ)
逃げるなら、今しかない。
息を潜めながら廊下を駆け抜け、裏口へと向かう。
扉が見えてきた。
(行ける……!)
そう思った瞬間──
「どこへ行くつもりだ?」
静かな声が、背後から響いた。
「っ――!」
驚いて振り返ると、闇の中に金色の瞳が光った。
レオナードが、いつの間にかそこに立っていた。
(嘘だ……気配なんてなかったのに……!)
動揺を悟られぬよう、エリアスはすぐに体を翻した。
扉まであと数歩。
(間に合う……!)
そう思った刹那、空気が揺れた。
「っ……!!?」
伸ばした手が、レオナードの腕に掴まれる。
瞬間、強い力で引き戻され、背中が壁に叩きつけられた。
「痛っ……!」
思わず呻くが、レオナードは表情ひとつ変えない。
そのままエリアスの手首を壁に押さえつける。
「やはり、そう動いたか」
低く、冷たい声。
まるで "お前ならそうすると思っていた" と言わんばかりの口調だった。
「……っ、離してください……!」
エリアスは必死にもがく。
だが、レオナードの力は強く、振りほどくことはできない。
「私の目を盗んで逃げるとは、大胆だな……愛しい妃よ」
吐息がかかるほどの距離で囁かれる。
「……当たり前でしょう! こんなところに閉じ込められて、誰が大人しくしていられるものですか!」
エリアスは睨みつける。
「王弟妃として扱うというのなら、せめて普通に過ごさせてください! 俺は……!」
言いかけた瞬間、レオナードの指が顎をすくい上げた。
「それで、お前はどこへ逃げる気だ?」
その瞳は鋭く、けれどどこか嘲弄を含んでいる。
「どこでもいい……!」
「私のいない場所か?よくよく嫌われたものだ」
静かな言葉。
エリアスは言葉を詰まらせた。嫌ってなんかいない。
レオナードが好きだ。
けれどそれを言葉にするには、あまりにも口惜しい。
唇をきゅっとエリアスが噛む。
それを見て、レオナードは小さく笑う。
「お前は、わかっていない」
「……何が……!」
「私は、絶対にお前を逃がさない。それで例えお前の心が離れようとも、だ」
その言葉に、エリアスの背筋が凍る。
「……っ、だからって、こんなやり方……!」
言い終わる前に、レオナードの腕がエリアスの腰を強く引き寄せた。
「っ……!」
もがく腕を容易く封じ込め、レオナードは唇の端を吊り上げる。
「罰が必要だな」
(……!)
レオナードの瞳が冷たく光る。
「……っ……!」
逃げられないと悟ったエリアスは、悔しさにレオナードを睨む。
その仕草を見たレオナードが、満足そうに微笑む。
「いい子にしていれば、こんなことにはならなかったのにな?エリアス……」
嘲弄するような囁きが、耳元に落ち、レオナードの唇がエリアスのそれを塞いだ。