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9-6

エリアスの逃亡未遂から、数日が経過し──状況は、さらに悪化していた。


「お妃様、ご準備を」


部屋の外から聞こえてくる侍女の声は、これまでと変わらない。

けれど、雰囲気は確実に違っていた。


(……監視が、増えた)


逃げようとした代償は大きかった。

以前までは、扉の前に立つ護衛は二人だった。

だが、今は四人に増え、侍女たちの入れ替わりも頻繁になった。

部屋の扉は常に施錠されており、開けられるのは侍女か護衛のみ。


(……逃げようとしたのが悪かったのは、わかってる)


けれど、エリアスの自由はさらに遠のいた。

浴室も室内のものに変えられ、レオナードが伴う時だけ、部屋を出た浴室に行くことが出来る。

ただ、それだけ。

完全に、王弟妃という"籠の中の鳥"になったのだと、エリアスは痛感した。


「……お妃様?」


侍女の優しい声に、エリアスはゆっくりと息を吐く。


「わかりました。準備をします」


短くそう答えると、侍女たちが中へと入ってくる。

彼女たちはいつも通り、丁寧に礼をしながら支度を始めた。


(……王弟妃としての"教育"か)


侍女たちの手によって衣服を整えられ、椅子に座らされる。

この時間が、エリアスにとって何よりも苦痛だった。

少し前から始まった“妃教育”だ。


「本日は、礼法と所作のお勉強を進めてまいりますね」


柔らかい声で告げられた言葉に、エリアスはそっと目を伏せた。

今日も、昨日と同じように"王弟妃としての振る舞い"を叩き込まれる。

勉強もマナーも苦ではない。王宮に上がるときだって、作法は再度覚えなおした。

側近になってからも向上心を持ち、励んできた。

なのに、この時間は異様に苦痛でたまらない。


「どうして、これほどのことが必要なのですか?」


思わずこぼれた問いに、侍女の一人が微笑む。


「当然のことですわ。お妃様は、王弟殿下の正式な伴侶ですから」

「……私は、側近でした」

「ええ。でも、今は王弟妃でいらっしゃいます」


あまりにも簡単に言われた言葉に、エリアスの胸がざわついた。


(本当に、もう"側近"ではいられないのか?)


試験を受け、努力を重ねて得た立場だった。

誇りを持っていた仕事だった。

それを、何の相談もなく奪われ──王弟妃という"新しい役割"を押し付けられた。


(……押し付けられたんじゃなく、こういう形じゃなく……)


もし、求められていたのなら──こんな形でなければ。

エリアスは、喜んで受け入れていたかもしれない。


(レオ様の伴侶になれるなら、それは……望んでいたこと、なのに……)


だが、現実はそうではない。

望んでいたはずの未来は、まったく違う形で手元に落ちてきた。


「……」


エリアスは黙って目を閉じた。

逆らっても、意味がない。

逃げることすら許されなくなったのだから。


「お妃様、本日は殿下が視察よりお戻りになります」


侍女の言葉に、エリアスの指がぴくりと動いた。


(……レオ様が戻る)


この数日、レオナードは視察と称して宮殿を離れていた。

その間、エリアスはほんの少しだけ自由を感じていた。

だが、それも今日まで。

レオナードが戻ってくるということは──。


(……また、監視が厳しくなるな)


あの人が好きだ。今でも変わらず。なのに、待ちわびるわけではなく──いない時間を自由と思ってしまう自分も嫌だった。

けれど、今の状態も受け入れられない。

エリアスは小さく息を吐き、窓の外に目を向けた。

けれども、その時

そんなことを考えていた時──


コン、コン。


控えめなノックの音が響いた。


「お妃様、王がいらっしゃいました」


(……え?)


思考が一瞬、停止する。


(……王が? ここに?)


エリアスは戸惑いながらも、侍女に促されるまま立ち上がった。

扉が開かれると、そこには──エドワルド、そしてカーティスが立っていた。


(……カーティス?)


思わず目を見開く。


「調子はどう?」


カーティスは軽く手を上げながら、微笑んだ。

それはいつものように、気軽な仕草で。


「どうして、お前……」

「どうして、って親友の顔を見に来たに決まってる」


エリアスの前に立つと、カーティスはエリアスに抱き着いた。


「ごめん、エリアス……巻き込んで」


小さな声は少し震えていた。

巻き込む、とは“小説”のことだろう。

あれを全部信じたわけではないが、概ね事態は外れず流れた。

それに恐らく、色々とあるものの、捨てられるという未来は防げたのだろう。

変わりに逃げられない未来になったが。

カーティスの背中を小さく叩く。


「いいよ、別に……」


そうエリアスが言うと、カーティスはもう一度、ごめん、と呟いてからエリアスから離れる。

気が付けば人払いがされており、エドワルドは応接セットのソファに足を組んで座っていた。


「さて、王弟妃殿」


エドワルドが、意味深な笑みを浮かべながら言った。


「少し、話をしようか」


東の宮殿の空気が、わずかに張り詰めた。


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