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10-1

窓辺で本を読んでいたエリアスは、控えめなノックの音に顔を上げた。


「お妃様、カーティス様がお見えです」


侍女の声に、一瞬だけ驚いたが、すぐに納得する。


(また、こっそり来たんだな……)


レオナードが執務に出ている間に、カーティスは時々こうして訪ねてくるようになった。

表向きは "王の婚約者" という立場になった彼は、それを最大限に利用して、こうしてエリアスの元へやってくるのだ。


「通してくれ」


短く返事をすると、すぐに扉が開かれた。

カーティスはいつも通りの軽い足取りで部屋に入り、扉が閉じられると同時に息を吐いた。


「……いやぁ、緊張した。何度来ても緊張する……」

「お前な……まあ、そのうちお前もここに住むんだろ」

「……実感わかなさすぎる……どうしてこんなことに」


カーティスはソファにどっかりと腰を下ろす。

エリアスもため息をつきながら、彼の向かいに座った。


「むしろそれは俺が聞きたい。そんな話にはなってなかっただろ?お前の父上と姉上はレオナード様に、と考えてはいたってのは聞いたけど」

「それね……まあ、色々と内査官の地位をフル活用して調べてたら王に見つかって……そこから色々と波及したわけだけど……それよりも!今度の話だよ!」


エリアスは腕を組みつつ首を傾げる。


「今後か」

「うん、ちょっと整理しようと思ってね。エリアス、今の状況がどうなってるか、ちゃんと理解してる?」

「……レオ様が狙われている。だから、俺は彼を助けると決めた」


そう答えると、カーティスは「うんうん」と頷きながら、膝の上で手を組む。少しだけ視線を落とした。


「でもさ、そもそも……この話の"本来の流れ"って、エリアスは知らないよね?」

「本来の流れ……?」

「あの小説のことだよ。ほら、僕が転生したっていう……」

「ああ……そういえば。お前がうろ覚えすぎて……」


この世界は、カーティス曰く"小説の中の世界"だ。


(親友じゃなかったら、頭おかしい奴くらいにしか思わなかっただろうな……)


だが、その内容をエリアス自身が知っているわけではない。

カーティスは「すみません」と呟くと、少し気まずそうにエリアスを見た。


「……少し思い出してさ。ハルトと王がくっつくのが小説のエンドだったように思うんだよ」

「……は?」


あまりに衝撃的な事実に、エリアスの思考が一瞬停止した。


「え、待って、どういうことだ?」

「ハルトってレオナード殿下をはじめ、めちゃくちゃモテるんだけど、最終的に王を選ぶんだ」

「じゃあ、俺は?」


エリアスが眉をひそめると、カーティスは申し訳なさそうに視線を逸らした。


「……捨てられ役のモブ?」

「…………お前は?」

「いや、僕は……あの、小説ではね……その、悪役?」

「……悪役」


カーティスは肩を竦め、少しだけ苦笑する。


「ハルトを何度か狙ったみたい。嫉妬とは思うんだよ。あまり詳細は覚えてない」

「……本当に?」

「本当に。僕だって全部覚えてるわけじゃないんだよ。細かいところは曖昧なんだ」


エリアスは今度は首を反対に傾げて、考え込む。


「つまり、お前はハルトに嫉妬したあまり、最終的に断罪される……と?」

「そういうこと」

「ふざけた話だな恋愛脳すぎる……」


エリアスは溜息を吐く。


「でも、それだけじゃないんだよ」


カーティスの声が少しだけ低くなる。


「小説では、王が狙われる暗殺事件があって、ハルトがそれを防ぐ……はずだった」

「……でも今は違う」

「そう。王じゃなくてレオナードが狙われた。これは、もう小説の通りじゃない」

「じゃあ、俺が小説を変えた?」


エリアスが尋ねると、カーティスはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。


「わからない。でも、未来はもう決まってるものじゃないんだよ。実際にお前はこの通り──レオナード殿下の正妃になってる」


その言葉に、エリアスは目を伏せる。


(俺が……変えた?)


確かに、"エリアス・フィンレイ" は本来、小説の中ではしがない存在だった。

それなのに今、王弟妃として王宮にいて、レオナードと共にいる。

……いや、"共に"ではないか。

レオナードに囚われ、閉じ込められ、妃教育を受け──それでも、好きな気持ちは変わらなかった。


「……俺が……変えた……」


呟くように言いながら、エリアスはそっと左手を見た。

そこには、いつの間にか馴染んだ王家の指輪がある。

最初は重く感じていたそれも、今では当たり前のようにそこにある。


(本当は……これを受け入れてしまいたい)


"王弟妃" という立場を、本当は誇りに思ってしまいたい。

レオナードの隣にいることを、当然のことにしたい。


(レオ様を好きだからこそ……ちゃんと納得したい……)


それにはレオナードを守らなければならない。

そのために、自分ができることを考えなければ。

これを成し遂げられれば何かが拓ける気がする。


「カーティス……ありがとう。少し、考えを整理できたよ」


エリアスは笑ってみせる。

カーティスはそんな彼をじっと見つめ、やがて小さく笑った。


「エリアスは、本当に変わったね」

「……そうか?」

「うん。でも、いい変化だと思うよ」


そう言って、カーティスは立ち上がった。


「そろそろ戻るよ。じゃないと、レオナード殿下が帰ってくる。あの人、僕が陛下の婚約者になったとき、いやそーーーーな顔をしたからね。どんだけエリアスにご執心なんだか。僕が帰ったらすぐ来るぞ、絶対」

「お前、何言って……」


盛大な溜息を漏らしながらカーティスは肩を竦める。

エリアスも苦笑を浮かべつつ立ち上がり、じゃあね、と手を振り出ていくカーティスを見送った。

扉が閉まると、再び部屋は静かになった。

なんとなく、その扉を見つめる。


(まさかな)


──けれどその静寂を破るように、廊下の向こうから足音が響く。


(レオ様……⁈)


エリアスは息をのんだ。

次の瞬間、扉が開かれる。


「……エリアス」


低く、いつもより少し荒い呼吸。

次の瞬間、強く抱き寄せられる。


「……っ」


驚く間もなく、唇が塞がれた。

『どんだけエリアスにご執心なんだか』というカーティスの声が頭の中に蘇る。

抗うことも、拒むこともできない──いや、しない。


(ああ、どうしたって……好きだ。今更嫌いにはなれない)


ただ、そのぬくもりに溺れるように、エリアスは目を閉じた。


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