東の宮殿の警戒は依然として厳しく、エリアスの自由が戻ることはなかったが、それでも以前よりは穏やかな時間が増えていた。
レオナードは頻繁に部屋を訪れ、まるで何事もなかったかのように振る舞っている。
エリアスが逃亡未遂を起こした時のような強引さは影を潜め、代わりに淡々とした態度で過ごすことが多くなった。
(……今のところ、大きな動きはない……)
エリアスは窓辺で本をめくりながら、ふと外の景色に目を向ける。
レオナードがここにいる時間が増えたのは、決して自分と過ごしたいだけが理由じゃないだろうとエリアスは予測している。
レオナードは何かを警戒している様に見える。
(おそらく、王宮内に何か不穏な動きがある……)
カーティスやエドワルドの言葉を思い出す。
――レオナードは狙われている。
――レオナードがいなくなれば、王は孤立する。
――レオナードを排除しようとする動きがある。
(それなのに……レオ様は、まるで何もないかのように振る舞っている)
まるで、"俺に余計な心配をさせないため" かのように。
そのことが、逆に不安だった。
いっそのこと共有してほしい。
エリアスを守りたい気持ちも大きいだろう。
自分は少し過激に動きすぎたのかもしれない。
けれど、出来れば──悩むときも一緒でありたい、と思う。
(……何も起こらなければそれが一番いいけれど……)
しかしそんなエリアスのささやかな希望を壊すかのように不穏な出来事は起こった。
「殿下、視察の準備が整いました」
同じ部屋にいたレオナードにそう声がかかる。
久々に視察へ出る、と聞いたのは昨夜のことだ。
エリアスの額にキスを落としてから、レオナードは部屋を出た。
出発は東の宮殿からにしたらしく、護衛の騎士たちが馬を引き、準備を整えている。
エリアスは部屋の窓から、その様子を見ていた。
久々の視察に、王宮の人々も活気づいているようだった。
窓を隔てても声が聞こえてくる。
――だが、その時だった。
「殿下!お待ちください!」
慌てたような声が響く。
「この馬……蹄に異変が!」
その声と同時に、レオナードが乗る予定だった馬が、不自然に足を引いた。
近くにいた騎士がすぐさま馬の脚を調べると――蹄鉄に、不自然な傷がつけられているのが見つかった。
「……細工、か」
レオナードの低い声が響いた。
「落馬を狙ったか、あるいは……」
騎士たちの間に、緊張が走る。
万が一、視察中に馬が暴れたり、蹄が割れたりすれば、落馬は免れない。
視察先で事故に見せかけて命を狙う――そういう意図だったのではないか、と誰もが察した。
「殿下、視察は延期を……!」
「……ああ。そうだな」
レオナードは、一瞬だけエリアスのいる窓辺を見上げると、静かに視線を戻した。
「本格的に狙われている、ということか」
それだけ呟いて、踵を返す。
そのまま、エリアスのいる部屋へと戻った。
※
「レオ様……!」
エリアスは、部屋の扉が開かれると同時に立ち上がった。
細かい声は離れていて聞こえなかったが、何かしらあったことは騒ぎで分かる。
レオナードは、何も言わずにエリアスへと歩み寄り、そのまま腕を伸ばす。
そして――強く抱き寄せた。
「……っ」
突然の抱擁に、エリアスは息を詰まらせる。
「……お前を巻き込むつもりはなかった」
「レオ様……?」
「だが、もう手遅れだな」
レオナードの声は低く、冷静だった。
けれど、その腕には確かに "力" が込められている。
「……私は、巻き込まれたくなかったわけじゃないです」
エリアスは静かに言った。
「レオ様を助けたいです。側近としても……伴侶としても」
「……」
レオナードは少しだけ驚いたように、エリアスの顔を見つめた。
「……お前は、本当に変わったな」
「そうですか?」
「……ああ」
レオナードは、ゆっくりとエリアスの髪に手を滑らせる。
まるで 確かめるように"。
「……お前は、私の傍にいるんだな」
「……今までもずっと一緒でしたよ」
「そうだな。これから先も絶対に手放さない」
――その言葉が、胸の奥に深く響いた。
エリアスは、そっと指輪をはめる手を握りしめる。
馴染んできた指輪の感触を確かめながら、強く決意する。
「レオ様」
「……なんだ」
「……全部、教えてください」
もう、逃げない。
そう、改めて誓った。