王宮の大広間は、華やかな装飾と貴族たちの談笑で満ちていた。
カーティスの婚約発表ということもあり、多くの招待客が集まっている。
煌びやかな衣装を纏った貴族たちが談笑し、音楽隊が優雅な旋律を奏でる。
(……華やかだな)
エリアスは少し離れた位置から、会場の様子を眺めていた。
いつもなら、このような場ではレオナードの側近として後ろにいた。
だが、今日は違う。
彼は"王弟妃"として、レオナードの横にいる。
(慣れないな……)
視線を巡らせると、既にカーティスはエドワルドと共に壇上に立っていた。
いつもの飄々とした態度は変わらないが、どこか緊張の色が滲んでいる。
「さて、本日の主役の一人が、ようやくその立場を受け入れたようだ」
レオナードの低い声が耳元に響く。
「カーティス、緊張しているように見えますね」
「当然だろう。あれがどれだけお調子者でも、国王の婚約者という立場の重みは変わらん」
エリアスは小さく頷いた。
(……問題は、ここからだ)
この場には、ロベルトも招かれている。
そして――エリアスの家族も。
「エリアス!」
父・エルネストの声が鋭く響く。
彼は王宮での正式な装いをしているものの、その眼差しは厳しい。
「お前、一体どういうつもりだ? なぜ何も言わずに……?」
「父上……」
「しかも、お前が王弟殿下に閉じ込められていると聞いた。どういうことだ、エリアス!」
エリアスの目の前に立つのは、父であるフィンレイ子爵エルネスト、母、そして兄。
久々に顔を合わせた家族の表情は、驚きと困惑、そして怒りに満ちていた。
周囲の貴族たちが興味深そうにこちらを見ているのがわかる。
エリアスは静かに視線を落とし、拳を握りしめた。
(……やっぱり、こうなるよな)
無理もない。
自分の家族に何の相談もせず、王弟妃としての道を選んだのだ。
元々、家族はレオナードとの関係を良しとしていなかった。
それは家格の違い故に、だ。
「エリアス、本当に大丈夫なの? 無理をさせられているのなら、今すぐ……」
母の声は心配に満ちている。
兄も何か言いたげにエリアスを見ていた。
「私は……」
なんと言えば納得してもらえるのか。
どう伝えればいいのか、言葉を探していると――
「申し訳ない」
――その瞬間、予想もしていなかった言葉が響いた。
エリアスの家族だけでなく、周囲の貴族たちが驚きに息をのむ。
何より、エリアス自身が息をのんだ。
(……え?)
目を見開いたまま、エリアスは隣に立つ人物を見上げる。
レオナードが――王弟殿下が――
静かに頭を下げていた。
「私は、エリアスをフィンレイ家から奪ったも同然です。無礼をお許しください」
信じられない光景だった。
堂々とした態度を崩さず、王族としての誇りを決して曲げないこの人が、今、エリアスの家族に対して頭を下げている。
「……っ……」
エルネストも、一瞬言葉を失ったようだった。
あまりのことに周囲が静まり返る。
「……陛下が正式に公布したこととはいえ、私はエリアスの家族に何の説明もしてこなかった。妃として迎えるにあたり、礼を尽くすべきだったのに、それすら怠った。結果として、貴族社会のしきたりを無視する形になったのは否定できない」
レオナードは一言一言、ゆっくりとした口調で言った。
その声は、決して威圧的ではない。
だが、強く、揺るぎない。
「……王弟殿下……?」
母が戸惑いながら呟く。
兄も信じられないという表情で、視線をエリアスとレオナードの間に彷徨わせている。
「しかし、それでも私はエリアスを手放すつもりはありません」
レオナードは、まっすぐにエルネストを見据えた。
「エリアスは私の妃です。彼なしでは、私は成り立たない」
堂々とした宣言。
その言葉に、エリアスの心臓が大きく跳ねた。
(……この人は、俺を手放す気なんて、最初からなかったんだ)
「……」
エルネストは、しばらく沈黙した。
周囲の空気が張り詰める。
レオナードは頭を下げた。
だが、それは謝罪ではない。
これは――宣言だ。
"エリアスは私の妃であり、手放さない"という、揺るぎない意志の表れだった。
父はゆっくりと息を吐いた。
「……息子を、よろしく頼みます」
その一言が、場の空気を決定づけた。
エリアスは、驚きと安堵の入り混じった気持ちで、父を見た。
「父上……?」
「お前が選んだ道なら、私は何も言わん。ただ……無理はするな」
母がそっとエリアスの手を握った。
「あなたが幸せなら、それでいいのよ」
兄も少しだけ肩をすくめる。
「まあ……もう、殿下がそう言っているんだから、俺たちがとやかく言うこともないか」
エリアスは喉が詰まるような感覚を覚えた。
(……こんな日が来るなんて、思ってなかった)
ずっと反対されていた。自分自身もいつか、別れが来るものだと。
でも――
「……ありがとう」
小さく、そう呟いた。
レオナードがそっとエリアスの手を握る。
強く、優しく。
「エリアス」
低い声が耳元に落ちる。
「私は、お前のすべてを受け入れる。だから、お前も私を受け入れろ」
エリアスはゆっくりと頷いた。
(……この人のために、俺はここにいる)
覚悟は、もう決まっている。
そして、次の瞬間――
「レオナード殿下」
その場の空気を切り裂くように、別の声が響いた。
エリアスが振り向くと、そこにはロベルトがいた。
彼は穏やかな笑みを浮かべているが、その目はどこか冷たい。
「ご無沙汰しております」
レオナードが低く返す。
「ええ、しばらくお会いしていませんでしたね」
ロベルトの視線が、エリアスの手元の指輪に向けられる。
「王弟妃殿も、相変わらずお元気そうで」
何かを探るような、含みのある言葉。
(……始まる)
レオナードとロベルトの密談の時が、ついに訪れようとしていた。