あの後、ロベルトは特に核心に触れないままで去っていった。
ロベルトが去った後、エリアスは静かにグラスを手に取る。
けれど、口をつけることはなく、そのままじっと考え込む。
(……ロベルト先輩は迷っている……)
確かに、ロベルトの母親が黒幕である可能性は高い。
しかし、ロベルト自身がどこまで関与しているのか、どこまで彼女を止める意志があるのかは、まだはっきりしない。
「……エリアス?」
レオナードの声に、エリアスは顔を上げた。
カーティスも腕を組んで、やや難しい表情をしている。
「さっきのやり取り、見てたけどさ……ロベルト先輩、やっぱり何か知ってるよね」
「ああ。でも、彼は動けない。何かが、彼を縛っている……」
エリアスの言葉に、レオナードが短く息を吐く。
「それが母親への忠誠なのか、あるいは何か弱みを握られているのか……」
カーティスが目を細める。
「後者の可能性は高いかもね。ロベルト先輩自身がこの件の主導権を握ってるなら、もっと堂々としてるはずだと思うし。あの動揺の仕方は、自分が決めたわけじゃないのに、巻き込まれている立場の人間の反応に近いよ」
エリアスも同意するように頷く。
(だとしたら、ロベルト先輩を追い詰めるのではなく、助ける方向で動いた方がいいのかもしれない……)
「問題は、彼をどう動かすか、ですね」
エリアスがそう言うと、レオナードは思案しながら組んでいた腕を指で軽く叩いた。
「……一つ、手がある」
「何ですか?」
レオナードはゆっくりと口を開いた。
「ロベルトを王宮に留める理由を作る」
カーティスが首を傾げる。
「理由……?」
「彼がこのまま母親の影響下にあるなら、王宮の外で密かに動くことが多いはずだ。今の役職は王宮の顧問官だが、あれは名誉職でこちらに来ることはほとんどない。だからこそ、動ける。しかし、もし王家の監視下に置かれたらそう簡単に母親と接触できなくなる」
エリアスははっとする。
「でも、そんなことをしたら、余計に彼の警戒心を煽りませんか?」
「表向きは監視ではなく、信頼を示す」
レオナードの目が鋭く光る。
「――ロベルトを、王の相談役に任命する」
エリアスとカーティスが同時に目を見開いた。
「相談役……ですか?」
「そうだ」
レオナードは頷く。
「王宮の財務や外交はすでにそれぞれの官僚が担当しているが、"若手の意見を取り入れる" という名目でロベルトを任命する。彼は有能だからな、表向きは違和感がない」
「でも、それだとロベルト先輩が受け入れるかどうかが問題ですよね?」
エリアスが言うと、カーティスが頷いた。
「うん。今の状態じゃ、彼はそんな申し出、素直に受けないと思うのですけど……」
「だからこそ、もう一押し必要だ」
レオナードは静かに言う。
「彼が、母親ではなくこちら側につかざるを得ない状況を作る。そうすれば、彼は決断を迫られるだろう」
エリアスは息をのむ。
(決断を迫られる……?)
「どうするんです?」
レオナードの唇が、わずかに吊り上がる。
「エドワルド兄上に頼もう。"ロベルトに対し、正式に王命を下してもらう"」
エリアスとカーティスは、ほぼ同時に驚いた声を上げた。
「王命……!」
「つまり、ロベルトに逆らえない形で要職を任せるってこと?」
「そういうことだ」
レオナードは頷いた。
「王命となれば、彼は簡単には拒めない。そして王宮に留まらざるを得なくなる」
「それなら、母親の影響を減らせる……」
エリアスは考え込む。
(確かに、それならロベルト先輩を母親の影響下から引き剥がせる……)
カーティスは腕を組みながら、ふっと笑った。
「……まぁ、流石ですね。殿下、容赦がない」
レオナードは冷静に返す。
「こちらも命がかかっているのでな」
エリアスは真剣な眼差しでレオナードを見つめた。
「……本当に、それしか方法はないのですか?黒幕の可能性は少ないかもですが……」
レオナードがゆっくりと頷く。
「今の彼には選択肢を与えるだけでは、恐らく何も変えられない。ならば、選択肢を一つに絞る必要がある」
エリアスは沈黙する。
(……それしか、方法がないのなら)
やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「分かりました。では、陛下に話を通すのが先ですね」
レオナードの目がわずかに細められ、満足げに微笑んだ。
「そうだな」
カーティスは苦笑しながら手を振る。
「じゃあ、僕は陛下のとこに行ってくるよ。"可愛い婚約者" からのお願いってことにすれば、案外すんなり受け入れてくれるかもね。後が怖いけど……」
エリアスは小さく吹き出しそうになるが、カーティスの策士ぶりに改めて感心する。
(彼も、彼なりに戦ってるんだな)
「じゃあ、任せたよ」
カーティスが軽く手を振り、そこから離れた。
エリアスはレオナードの方を振り向いた。
「……上手くいくでしょうか?」
レオナードは静かに微笑む。
「私たちは、布石を打つだけだ。どう動くかは、ロベルト次第だが……」
彼の瞳には、揺るがぬ決意が宿っていた。
「どのみち、彼は決断しなければならない」
「そうですね……」
(俺たちは、やるべきことをやるだけだ)
「ところで、我が妃よ」
不意にレオナードの声色が変わり、エリアスはびっくりして見上げる。
「もう少し、近くにいろ。離れると不安になる……」
耳元でそう囁かれつつ、腰を引き寄せられた。
「っ、レオ様……!」
思わずグラスを落としそうになり、エリアスは慌てたが小さく溜息を吐いた。
今はもう“近い”と遠ざけるような立場ではない。
少しだけ、エリアスはその身を預ける。
「旦那様のおおせのままに……」
そう言うと、ふ、と小さくレオナードが笑い、上出来だ、と呟いた。