エリアスが書類を整理していた時だった。
控えめなノックの音とともに、扉の向こうから侍女の声が響く。
「お妃様、カーティス様が急ぎのご用件でお見えです」
「……カーティスが?」
エリアスは眉をひそめる。
カーティスがここに来るのは、今や珍しいことではなくなった。
ただ、今回のようなことは初めてだ。
(よほどの急用……いや、ただ事じゃないな)
「通してくれ」
そう告げた瞬間、扉が勢いよく開かれ、カーティスが飛び込んできた。
その顔には、明らかに余裕がない。
冗談を挟むことすら忘れたような、焦燥と緊張。
「エリアス、すぐにレオナード殿下のもとへ行くよ」
カーティスの低い声が部屋に響く。
「……何があった?」
エリアスは立ち上がり、彼の顔を覗き込む。
「殿下が危ない。暗殺計画が動き出してる」
「っ……!」
心臓が跳ねた。
やはり、そんな気がしていた。
視察前に発覚した馬の細工。
最近は警戒態勢の強化がされているのも分かる。
全てが "何かが起こる前兆" だった。
「今どこに?」
「執務室だ。レオナード殿下を狙った動きが確認された。だけど、僕が直接行こうとしても、警備が厳しくて通してもらえなかった。恐らくもう僕が関与しているのはバレてる」
「……だから、俺と一緒なら通れる可能性がある、と?」
「その通り」
エリアスは一瞬考えるが、すぐに決断する。
「行こう」
椅子を引き、書類を机に置くと、すぐにカーティスと並んで扉へと向かった。
だが、彼がもう一度、低い声で言う。
「待って、それだけじゃないんだ」
足が止まる。
「……?」
カーティスが、真剣な眼差しでエリアスを見つめた。
「エリアス、お前も狙われる可能性がある」
一瞬、息が詰まる。
「……俺が?」
「レオナード殿下の暗殺が失敗した場合、次の標的は王弟妃――お前だ」
「……」
エリアスは唇を引き結ぶ。
つまり、母親の計画は失敗した場合も次の一手を用意している、ということか。
それにしても自分を狙う理由が……と思ったところで先日のロベルトとの会話を思い出す。
「俺がいなくなれば……一石二鳥ってことか」
「なんだよ、」僕が知らない情報があるな?」
カーティスの言葉に、エリアスは苦笑を浮かべた。
「まあ……そのうち、ね。ちょっとデリケートな話なんだ」
「まあいいけど……とにかく単独行動は危険だ」
エリアスは短く息を吐いた。
レオナードだけではなく、自分まで――。
だが、考えている暇はない。
「分かった。行こう」
エリアスは足を踏み出した。
カーティスが頷き、二人は急いだ。
廊下に出ると、いつもと違う緊張感が張り詰めているのが分かった。
通常なら立哨しているはずの騎士たちが増え、要所要所に警備が配置されている。
「……やっぱり、警戒が強まってるな」
エリアスは小さく呟く。
すれ違う貴族や宮廷の使用人たちも、落ち着かない様子で視線を交わしている。
(誰かが何かを察している)
王宮は、情報が流れるのが早い。
まだ公にされていないが、この空気は "何かが起こる" という予感を周囲が感じ取っている証拠だった。
「……まずいな」
カーティスが小声で言う。
「何が?」
「このままじゃ、敵側も 'こちらの警戒が強まってる' ことに気づくだろう」
「……つまり、仕掛けるなら今かもしれない?」
カーティスは静かに頷いた。
「急ぐぞ」
二人は足を速めた。
執務室の前にたどり着くと、いつも以上に厳重な警戒が敷かれていた。
扉の前には二人の騎士が立ち、鋭い視線をこちらへ向ける。
今までこんなことはなかった。
レオナードは基本的に静かなことを好む。
エリアスが側近となってからはそれが顕著だったのか、常にここはレオナードとエリアス二人の領域だったのだ。
「カーティス殿、殿下は執務中です。今は――」
「私が用事があってきました」
エリアスが一歩前に出た。
「王弟妃殿……」
騎士たちの表情がわずかに変わる。
王弟妃としての自分の立場が、ここで役に立つ。
「殿下にお伝えすることがあります。通していただけますか?」
騎士たちは一瞬だけ視線を交わし、それからゆっくりと頷いた。
「……分かりました。ですが、どうかお気をつけて」
「ありがとう」
エリアスは短く返し、扉を押した。
重々しく、扉が開く。
室内に足を踏み入れると、レオナードの姿が見えた。
机に向かい、書類をめくっていた彼は、扉が開いた音に顔を上げる。
「エリアス……?」
僅かに驚いたような表情。
だが、その瞳にはすぐに "何かを察した" という色が宿る。
エリアスは、一歩、レオナードに近づいた。
「レオ様――急ぎの報せです」
その瞬間、室内の空気が一変した。