エリアスが執務室に足を踏み入れた瞬間、空気が張り詰めるのを感じた。
レオナードは机に向かい、書類をめくっていたが、扉が開く音に顔を上げる。
その金色の瞳が、こちらをとらえた。
「エリアス……?」
わずかに驚いたような声。だが、すぐに彼の表情が冷静なものへと変わる。
エリアスの後ろに立つカーティスの緊迫した表情を見れば、ただ事ではないことは明らかだった。
エリアスは一歩前に進み、息を整えて口を開く。
「レオ様、急ぎの報せです」
その言葉を聞いた瞬間、レオナードの目が鋭く細められた。
「……カーティス」
「僕が掴んだ情報によれば、殿下に対する暗殺計画が本格的に動き出してる。今夜――いや、もしかしたら今すぐにでも」
レオナードはすぐに反応した。
「対策部隊は?」
「すでに動かしてる。セオドールも手配済み。ただ、問題は規模と手段だ」
エリアスはレオナードの側に進みながら、さらに言葉を続ける。
「……それだけじゃないんです。暗殺計画が失敗した場合、次の標的は"王弟妃"、つまり私です」
カーティスが小さく舌打ちする。
「まったく、殿下がダメなら次にエリアス……って、どこまで用意周到なんだか」
「……」
レオナードは何も言わなかった。ただ、ゆっくりと立ち上がり、エリアスの前に歩み寄ると――彼の肩を掴んだ。
「エリアス、お前はすぐに東の宮殿に戻れ」
「……え?」
「そこが最も安全だ。今すぐ護衛を増やし、お前を絶対に外へ出させないようにする」
エリアスは息をのんだ。
(……閉じ込めるつもりか?)
「レオ様、それは――」
「これは命令だ。お前を巻き込むわけにはいかない」
冷たく響く声。しかし、その言葉の奥には強い執着と焦りが滲んでいた。
「嫌です」
エリアスはまっすぐにレオナードを見返す。
「私はただ守られるだけの存在ではありません。王弟妃です。あなたの伴侶です」
レオナードの瞳が揺れる。
「だからこそ、お前を安全な場所に――」
「違います!だからこそ、今あなたと一緒にいなければならないんです!」
レオナードが言葉を失う。
エリアスは強く拳を握りしめた。
「私は逃げません。もう勝手にあなたの元を離れたりしない。だけど、だからといって何もせずにじっとしているなんて、そんなの……耐えられません」
レオナードの指が、かすかに動く。
「……」
「今は一緒にいるからこそ、一緒に状況を打開したいんです」
しばしの沈黙の後、レオナードは小さく息を吐いた。
「……お前は本当に頑固だな」
「そういうレオ様ほど、私を閉じ込めようとばかりするでしょう」
レオナードは目を伏せ、短く笑った。
「……そうだな」
そして、ゆっくりとエリアスを見据える。
「……分かった。お前の覚悟は認めよう」
「ありがとうございます。ではどう動くか……ですね」
「えーと……一応、案があると言えばあるんだけど……」
カーティスがエリアスの後ろで小さく手を挙げた。
ただどうにもその顔は二人を窺うようなものだった。
「どういう案だ?」
レオナードが聞くと、カーティスはまずこう言った。
「説明しますけど……絶対に僕に怒らないでくださいよ」
「なんだ、それは?」
レオナードが怪訝そうな顔をする。
エリアスの方は、なんとなく察しがついてしまった。
「とりあえず、聞かせてくれ、カーティス」
レオナードの先を急がせる言葉に、カーティスは一度頭を掻いたのちに息を吐いて、説明をし始めた。
「……まあ簡単に言うと、"エリアスを囮にして敵を誘い出す"ってことなんですけど」
「……は?」
レオナードの表情が一瞬で険しくなる。
しかしカーティスはそれを見なかったことにして、すぐに続ける。
「殿下を狙う暗殺計画が動いてる。でも、当然ながら殿下への直接的な攻撃は難しい。だから次の標的として"エリアス"が狙われる可能性が高い」
「それは分かっている」
「だからこそ、エリアスを"狙わせる"んです」
「……どういう意味だ?」
「"エリアスが無防備に動いているように見せかける"ってことですよ。例えば、王弟妃としての公務を一部表立って行う。その最中に、あえて"警戒を緩めたように見せかける"ことで、敵に付け入る隙を与えるんです」
カーティスは手を組みながら説明を続けた。
「当然、実際に無防備にするわけじゃない。影ではしっかり護衛をつけるし、罠も仕掛ける。敵がエリアスを狙って動いた瞬間、一気に潰すってわけです」
エリアスも頷く。
「俺が敢えて動くことで、敵が計画を実行せざるを得ない状況を作る……ということか……」
「そう。向こうは、今の状況が"いつ仕掛けるべきか"を探ってる最中だと思う。でも、こちらが"今がチャンスですよ"って誘い出せば、敵も焦って動かざるを得なくなる」
レオナードの眉間に深い皺が寄る。
「……エリアスが囮になるだと?」
それを聞いたレオナードの開口一番の声は低い。
「あ、だから!僕を怒らないでくださいって!案ですよ案!他にあればそうしますよ!」
既に眉根に皴を寄せているレオナードから逃げるように、カーティスはエリアスの背中に隠れる。
しかしエリアスは少し考えた後に、レオナードをまっすぐと見た。
「いい案だと思いますよ、レオ様」
「正気か?」
レオナードは苛立ちを隠そうともしない。
「レオ様、冷静に考えてください。敵は確実に私を狙ってきます。その時、私が"あえて狙われる隙"を見せれば、やつらは食いついてくる」
カーティスが頷く。
レオナードはエリアスを睨みつけるように見つめた。
「そんな策、完璧な保証はどこにもない」
「けれど、何もしなければ殿下が狙われ続けるだけです」
レオナードの指がわずかに震える。
「……」
「私はレオ様を守りたいんです。それが王弟妃としての私の役目だから」
しばしの沈黙の後、レオナードは短く息を吐いた。
「私の妃はやはり頑固だな……お前の意志がそこまで固いのなら、私も全力でお前を守る」
「ありがとうございます、レオ様」
エリアスが微笑むと、カーティスが軽く手を叩いた。
「よし、それじゃあ計画を詰めようか」