貧民街の広場には、施しを受ける人々と、それを見守る貴族や神官たちの姿があった。
王宮からの護衛も周囲に配されており、一見すれば穏やかな光景だ。
だが、エリアスの背筋には妙な緊張感が張り付いていた。
(……何かがおかしい)
カーティスとロベルトが別動で動いていることは聞いている。
しかし、彼らの動きが間に合うかは分からない。
この場では自分が囮であり、敵を引きつける役目だ。
その意図を悟らせることなく、状況を制御しなければならない。
その時だった。
「──動くな」
低く冷ややかな声が響く。
エリアスの目の前で、護衛の騎士の一人が短剣を抜き、静かに構えた。
「……何のつもりです?」
エリアスは声を落ち着かせたまま問いかける。
次の瞬間、ほんの少し先で声が上がった。
「この子の命が惜しければ、王弟妃殿下に来てもらおうか」
視線を向けると、幼い子供が別の男に捕らえられていた。
(……来たか)
エリアスは表情を変えず、捕らわれた子供と、その周囲を囲む男たちを観察する。
敵は最低でも五人。
エリアスの周囲を囲むようにして立っており、一見、それは護衛にも見える。
子供も怯えて騒いでいないことから、騎士の一人が子供を抱き、王弟妃とやりとりをしているように見せかけているのだろう。
広場には人々が多く、下手に騒げば混乱が起こることは安易にわかる。
幸いなことにハルトはセオドールと共に少し遠くにいて、無駄に巻き込むことはなさそうだ。
「その子は──」
「いいから、動くな」
エリアスの護衛のはずだった騎士が、剣を突きつける。
だが、その手はわずかに震えていた。
(……様子がおかしい……)
すると、騎士がわずかに口を開き、低く絞り出すような声を漏らした。
「……申し訳ありません。家族を……取られている……」
かすかな声だったが、エリアスの耳にははっきりと届いた。
(ああ、なるほど……)
「……どこに?」
「分からない。だが、"今すぐ王弟妃を連れてこい" と……さもなければ……」
騎士の声が震える。
エリアスは小さく息を吐き、考える。
(時間が稼げれば、カーティスやロベルト先輩が動けるはずだ……この事態を把握していてくれると良いのだが……)
ここで無理に抵抗すれば、子供も、騎士の家族も助からない。
敵は計画的に動いている。ならば、こちらも冷静に対応しなければならない。
「……分かりました」
エリアスは静かに息を吐き、敵の要求に応じる素振りを見せる。
「……すぐに動くのは得策ではありませんよ」
敵の男が警戒するようにエリアスを睨む。
「どういう意味だ?」
「ここは人目が多すぎます。このまま動けば、不自然に思われるでしょう?」
エリアスは落ち着いた口調で続ける。
「私が王弟妃である以上、不審な動きをすればすぐに気づかれる。あなた方の目的が騒ぎを起こすことではないなら、慎重に動いた方がよろしいのでは?」
敵の男がわずかに逡巡する。
(……今、少し時間を稼げた)
エリアスはわざと敵の目をじっと見据えた。
「それとも、私がこの場で大声で助けを求めたほうがいいですか?」
敵の表情がわずかに歪む。
「……それは困るな」
「でしょう?」
エリアスは冷静に微笑む。
(あともう少し……)
──その瞬間だった。
広場の外から、騎馬の音が響いた。
そして、鋭い声が空気を裂く。
「エリアス!下がれ!」
黒色の髪をなびかせ、レオナードが率いる王宮軍が突入してきた。
敵の表情が一瞬にして凍り付く。
その隙に──
「俺は騎士だ!なめないでもらおう……!」
裏切りを決意した騎士が、敵に刃を向けた。
「なっ……!」
敵が反応するよりも早く、王宮軍が広場を制圧する。
あっという間に、敵は包囲され、逃げ場を失った。
子供を捕らえていた男はセオドールに制圧され、ハルトが子供を抱いていた。
広場は一気に安全を取り戻す。
エリアスは息を吐いた。
(……レオ様)
だが、次の瞬間。
馬から降りたレオナードに、強く抱きしめられた。
「……っ、レオ様?」
「お前は……私を心配させすぎる」
レオナードの声が低く響く。
エリアスは少し困ったように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。……レオ様、あの騎士の家族が……」
視線を向ける先には、敵の一人を捕縛している騎士の姿が見える。
レオナードは静かに頷いた。
「心配ない。ロベルトとカーティスがそちらは解決したようだ。すでに尋問に入ると知らせがあった。あの騎士からも話を聞けば、あちらの味方についている貴族も目星がつくだろう」
「……寛大なご処置をお願いしますね。最後はちゃんと騎士として働きましたよ」
「分かっている。私とて、お前が人質に取られたら従うだろうからな」
苦笑を浮かべながら、レオナードはエリアスを放した。
エリアスはレオナードの横に寄り添いつつ、
(……次は、黒幕を引きずり出す番だ……)
静かに夜空を見上げた。