東の宮殿の一室。
エリアスは机に向かい、報告書を整理していた。
ロベルトの母が関係者と仕掛けただろう騎士を使った人質作戦も、レオナードの介入で阻止された。
それでも油断はできない。
王宮に入り込んでいる関係者の正体も明らかになりつつあるが、次の手をどう打ってくるかは分からない。
エリアスは慎重に思考を巡らせながら、ふと異変に気付いた。
(……? なんだ?)
室内にいる使用人たちが、妙な表情をしている。
別に騒いでいるわけでもないが、どこか様子を窺っているという空気が漂っていた。
「……何か?」
エリアスが声をかけると、使用人たちは慌てて姿勢を正した。
「い、いえ! 失礼いたしました!」
「……?」
何かがおかしい。
嫌悪や侮蔑のような類ではなさそうだが……。
エリアスは少し首を傾げながらも、書類整理を続ける。
そこへ、扉が開いた。
「よっ、エリアス」
カーティスだった。
しかし、その顔はどこかニヤついている。
エリアスは不穏な予感に眉を顰める。
こういう時のカーティスが持ってくる話はたいていロクなものじゃない。
カーティスはエリアスの方をピっと指さした。
「……何か?」
「聞いて驚け、エリアス!お前とロベルト先輩の不義密通が噂になってるよ」
「…………は?」
エリアスは手を止め、カーティスをまじまじと見た。
「何の話だ?」
「いやー、僕も聞いた時は『はぁ!?』ってなったんだけどね」
カーティスは肩をすくめながら、ソファに腰かけた。
「なんかさぁ、"王弟妃殿下がロベルト先輩と密会している" って話が、じわじわ広がってるんだよね」
「……待ってくれ。それは本当に俺なのか……?俺だとすれば俺はどの時間で密会してるんだ?」
エリアスは完全に困惑した。
「いや、ずっと東の宮殿にいるし、出る時はほぼレオナード殿下と一緒だし、どうやって……?」
「ねぇ? 謎だよねぇ?」
「俺がもう一人いるか実は双子か……」
カーティスは笑いながら、ソファから身を乗り出す。
「今のところ双子でもないし、僕が知ってるエリアスは一人だねぇ。でね、面白いのはさ、この噂……"誰も詳しいことを言えない" んだよ」
「……は?」
「だって、みんな『そういう噂がある』とは言うけど、『いつどこで密会してるのか』って聞くと黙るんだもん」
「……いや、それ噂として成立してないだろ」
エリアスは呆れたように額に手を当てた。
「でもねぇ、"噂が流れること自体に意味がある" んだよ」
カーティスがそう言った瞬間、扉が再び開いた。
「……エリアス」
低い声が響く。
エリアスが顔を上げると、そこにはレオナードがいた。
「もう来た。はっや……」
カーティスが小さく呟くが、それはレオナードには聞こえなかったらしい。
レオナードはエリアスの前に立ち、見下ろす。
「どうされましたか、レオ様」
内容は、まあ……エリアスにも察しが付く。
しかしレオナードも少し困惑しているようだ。
何回も首を傾げている。
「おかしな噂を聞いて、だな……」
「はぁ」
それだろうな、とエリアスは思うがあえて言わずに首を傾げた。
「その、お前とロベルトが関係をしていると。いや、疑うわけではないが……」
いつものレオナードよりは随分と覇気がないが、言葉が続いた。
(いや、疑ってません、それ……?混乱かもですけど)
エリアスはレオナードの真剣な表情を見て、内心ため息をついた。
そのまま、静かに口を開く。
「冷静に考えてくださいよ? 私がロベルト先輩と密会する時間、どこにあるんです?」
「それは……」
レオナードが一瞬、口をつぐむ。
確かに、エリアスの行動はすべてレオナードの監視下にある。
前よりは出れるようになったし、幾分か緩やかになったとはいえ、勝手に一人で抜け出すことなど、まず不可能だ。
「だいぶん凄いですよ、この状態でロベルト先輩と浮気だなんて」
「そうだな……流石に……」
「私が浮気できたとして……せいぜいカーティスくらいじゃないですか?」
「……」
レオナードの目が細められた。
「……つまり、お前とカーティスなら可能性があるということか?」
「えっ」
藪蛇だった。
「いや、違いますよ!? だってカーティスとは普通に一緒にいることが多いというだけで!その確率論ですよ⁈」
「そうだよねー! じゃあ、やっちゃう? 不義密通!スキャンダルだよね。王の婚約者と王弟妃の道ならぬ恋とか。こっちの方がよほど面白そう」
「お前、なんでそういうことを……ないないないない」
エリアスはうんざりしたように言うが、レオナードの目が鋭く光る。
「……カーティス」
「はい?」
「エリアスの側近時代も含め、お前と親密だったことは事実か?」
「え、凄いなぁ、殿下……本当にその話に乗っちゃいます?まあ、仲は良いと思いますよ。親友ですし」
「……ふむ」
レオナードの手がエリアスの腰を引き寄せる。
「……待って、今の流れでそうなるのはおかしくないですか?」
「……やはりお前は閉じ込めておくのが一番安全だと、改めて分かった。塔の上とかに作るか?部屋を……お前の」
「いや、だから、それも違いますよね⁈」
エリアスはため息をつく。
「これは明らかに策略ですよ、レオ様」
「分かっている」
「分かってるなら、落ち着いてください」
「分かっていても、落ち着けるものではない」
エリアスは呆れてもう何も言えなかった。
レオナードの独占欲は、相変わらず強すぎる。今日は変な方向だが。
だが、この噂の背後に "誰かが意図的に流した" という事実があることも確かだった。
「さて……これをどう処理するか、ですね」
エリアスは場を直すべく一つ咳払いをしてから、小さく息を吐いた。
このままでは、"策略として機能していない" のに、噂だけが独り歩きするという妙な状況になってしまう。
黒幕が仕掛けた "密通疑惑" の行方は、まだ見えない。
しかし――
(面倒なことになったな……)
エリアスはレオナードの腕の中で、小さくため息をついた。
(だいたい、どこでもこんな調子のレオ様なんだ……どうやって……)
と思ったところで、あ、と小さくエリアスが声を上げる。
「どうした?」
「いえ……ロベルト先輩と私の不義密通という話ならば、狙いは失脚あるいは信用の失墜」
「そだね。ロベルト先輩はもう用済みってことなんだろうねぇ。はっきりとしてるなぁ」「王弟妃への影響は上手くいけば、レオ様との不仲かな……と。ただこの噂が機能しているかは甚だ謎ですが……でも要するに打ち消すならば……」
「こういうことか?」
レオナードがエリアスの言葉を引き継ぐように、エリアスを更に腕の中へと引き寄せて耳元に顔を寄せた。
エリアスは顔を真っ赤にさせながら慌てて、レオナードを遠ざけるように身を捩る。
「ええ、まあ!私とレオ様が睦まじくすればいいのはそうですけど!実演しなくていいですよ!カーティスの前ですってば!」
「えー僕もエリアスとイチャイチャしたいなぁ……それ、僕も入っちゃダメなやつ?」
「お前が入ってどうするんだよ⁈とにかく、真面目にですね……」
「やはり、お前たち怪しくないか……?」
神妙な声で言いだしたレオナードにエリアスは盛大な溜息を吐いたのだった。