呂布が死んだ後、劉備はまた許都で過ごすことになった。
曹操は、車冑を徐州刺史に任じた。
張飛は不満だった。
「劉備兄貴がいなければ、郯城も下邳城もあんなに簡単には落ちなかったし、呂布もまだ生きていただろう。徐州を得る資格があるのは、兄貴だ」
関羽は義弟をなだめた。
「曹操は兄者を怖れているのだ。徐州刺史を別の者にしたのは、その恐怖の表れだ」
劉備はふたりの話を聞き流し、のほほんとしていた。
許都にはふたりの主がいる。
献帝と曹操である。
傀儡と人形使い。
操り人形が自らの意志を持とうとすると、乱が生じる。
献帝には、親政をしたいという意志があった。
199年、車騎将軍の董承は、皇帝の意を汲んで曹操を暗殺しようとした。
王子服、呉碩、呉子蘭、种輯らを仲間に引き入れて、計画を進めた。彼らは皇叔と呼ばれている劉備に目をつけ、暗殺の実行役にしようとした。
董承は宮殿の一室に劉備を呼んで、「曹操殿は、皇帝陛下をないがしろにしていると思いませんか?」と話し始めた。
「きな臭い話を聞いたんだが……」
簡雍が劉備屋敷で声をひそめて言った。
「きな臭い話をされたよ。許都も物騒になった……」
曹操暗殺など、劉備にとっては迷惑な話だった。もし彼を倒すなら、堂々と戦って勝ちたい。
「おまえ、どこから聞いた?」
「おれは王子服殿と親しくてね」
「口の軽い男を同志にしている。董承殿の先は長くない」
劉備は許都から離れようと思った。
なにか口実はないか、懸命に考えた。
揚州北部を領有している袁術が皇帝と自称して、仲という国を建てている。後漢王朝から見れば、偽帝である。
「やってみるか……」と劉備はつぶやいた。
司空府へ行き、曹操と会った。
「曹操殿、私は偽帝を討ちたいのです」と劉備は言った。
「偽帝とは?」
「袁術ですよ。仲の皇帝などと僭称しています。許してはおけません」
曹操は腕を組み、首をかしげた。
「討ちたいと言っても、あなたは兵を持っているのか?」
「昔からの仲間が二百人ほどいて、呼べばすぐに集まります」
「二百しか兵がいなくては、国は倒せまい」
「寡兵でも戦います。道々募兵すれば、多少は増えるでしょう」
「ううむ、それは楽観的すぎるのではないか? わずかの兵だけで劉備殿に袁術を攻撃させたと知られれば、この曹操の名折れだ」
曹操は劉備を左将軍に任命し、二千の兵を与えることにした。
劉備の第一目的は、曹司空暗殺計画が進む許都から離れ、加害者にならないことである。
袁術を倒せればそれに越したことはないが、そちらは副次的な目的。
劉備は家臣と二千の兵を連れて、喜々として許都から出陣した。
「晴れ晴れとした気分だ。陰謀なんて、おれの柄じゃねえ」と彼は言った。
徐州下邳国に駐屯して、「袁術を討つため」と車冑に説明し、兵を集めた。
徐州での劉備の人気は高く、曹操の予想に反して、たちまち一万もの兵が集まった。
曹操から与えられた兵と合わせて、一万二千の兵力。
200年正月、許都の曹操暗殺計画が発覚して、董承は捕らえられ、族滅された。王子服らも処刑された。
同じ頃、袁術は長年の暴飲暴食がたたって病死した。苛烈な徴税など悪政の限りを尽くしていた仲の国は、初代皇帝の崩御とともに崩壊した。
劉備はまだ下邳にとどまっていた。
「なんとまあ、標的の袁術が死んじまったぜ」
「兄者、この際、徐州を奪ってはいかがですか」
関羽が真顔で言った。
「それもいいなあ。いつまでも曹操の世話になっているわけにはいかん。自立しねえとな」
「彼と敵対する覚悟はありますか?」
「おう。曹操はなかなか優秀な男だが、この徐州で大虐殺をやった。そんなやつに天下を取らせるわけにはいかねえよ」
劉備軍は下邳城を急襲した。
関羽は城から逃げ出そうとした車冑を斬った。
劉備は再び徐州の主となった。