207年冬、劉備は関羽と張飛を護衛にして、諸葛亮の家を訪ねた。
家の周りに田んぼがあった。すでに稲刈りが終わっている。
「頼もう」と劉備は言った。
諸葛均が門に出てきた。
「私は劉備玄徳という者だ。諸葛亮殿に会いたい」
「兄はいま昼寝しております。起こしますね」
「いや、睡眠の邪魔をしたくない。起きるまでここで待っていてよいだろうか」
「はい。では、兄が起きたら、お呼びいたします」
「よろしく頼む」
劉備は門に立って待った。
一時間経っても、諸葛亮はまだ眠っている。
「兄者、相手は二十歳も年下の若者です。起こしてもよいのではありませんか」
「いや、おれは諸葛亮殿に教えを乞いに来たのだ。待つのが礼儀である」
二時間待ち、諸葛亮が起床して、均が呼びに来た。
「おまえたちはここで待っていてくれ」
劉備は関羽と張飛を門に残し、家の中に入った。
客間で、諸葛亮は正座していた。
劉備も対面で正座した。
「お待たせして申し訳ありません、劉備将軍」
「こちらこそ突然押しかけて申し訳なかった」
諸葛亮は微笑んでいたが、暗いまなざしをしていた。
「どのようなご用ですか?」
「あなたに天下国家のことを教えてもらいたい」と劉備はいきなり言った。
「ははははは」と諸葛亮は笑った。「私は若輩者です。天下のことなどわかりません」
「では農業のことでよい。今年の実りはどうでした?」
「よく収穫できました。ここは平和ですからね。落ち着いて田の手入れができます」
「しかし、いずれ荊州にも曹操が攻めてきます。そのときはどうなさる?」
「曹操……」
諸葛亮の声が低くなった。
「私は母を曹操に殺されました。しかし、彼はとうとう袁氏を滅ぼし、八州の主となりました。もはや抵抗はできません」
「曹操の支配下で、農耕をつづけますか?」
「それ以外にどのような選択肢がありましょうか」
「そうですか。あなたに軍師となってもらい、曹操と戦いたかったのだが……」
「私は一介の農民に過ぎません。軍師などつとまりませんよ。お引き取りください」
「今日は帰ります。また教えを乞いに来ます」
劉備は義弟たちと新野城に帰った。
「劉備兄貴、なんの話をしたんですか?」
「世間話だ」と劉備は言った。
あの若者は本心を隠している、と彼は感じていた。
一か月後、「諸葛亮に会いに行く」と劉備は言った。
「また行くのですか」と関羽は言い、張飛は嫌そうな顔をした。
「行きたくないなら、供は子龍に頼む」
「兄貴が行くなら、喜んでお供をしますよ!」と張飛はあわてて答えた。
諸葛亮は庭で梁父吟を歌っていた。故郷徐州の古い歌。
「こんにちは、また来ました」と劉備は声をかけた。
「将軍、こんにちは」
亮は客間へ行き、再び対面した。
「天下国家のことを教えてください」と劉備はまた言った。
諸葛亮は暗い瞳を新野城主に向けた。
「曹操はこの国の北部を押さえました。彼と戦うのは容易ではありません」
「だが、まだ彼が天下の主となったわけではない」
「そうですね。中国南部は曹操の支配を受けていません。揚州には孫権がいて、勢いがあります。そして荊州には劉表が、益州には劉璋がいます」
「私は劉表殿を助けて、曹操に対抗すべきでしょうか」
「ははははは、劉表様は、とうてい曹操と戦える器ではありません」
亮は笑った。
「どうすれば、曹操に勝てますか?」
「すぐに曹操を倒す方法はありません。しかし、対抗できないわけではありません。将軍が劉表と劉璋を倒し、天下を三分すればよいのです」
「天下三分……」
劉備はごくりと唾を飲んだ。
「曹操、孫権、そして劉備将軍で天下を分け合う。まずはそこまで持っていって、ようやく曹操と戦えるようになります」
「ものすごい構想を聞いた気がする。諸葛亮殿、私と一緒に戦ってください」
劉備は身を乗り出したが、諸葛亮は首を振った。
「私は人殺しをしたくないのです。お引き取りください」
劉備は諸葛亮の家から出た。
「兄者、今日はなんの話を?」
関羽が聞いたが、劉備はうわの空で、「天下三分、天下三分……」とつぶやき、まともに答えられなかった。
208年正月、劉備は三たび諸葛亮を訪ねた。
関羽と張飛は半ば呆れながら供をした。劉備がどうして無名の若者に執着するのか、理由がわからなかった。
「諸葛亮殿、また来てしまった」と劉備は言った。
亮は微笑み、劉備を客間へいざなった。
流浪の将軍は、しばらく声もなく、暗い瞳を持つ眉目秀麗な若者を見つめていた。そして突然、強く言った。
「諸葛亮殿、あなたとともに曹操を倒したい」
亮は雷に打たれたような顔をした。
「あなたは曹操を殺したいと思っているはずだ。お母さんを殺され、故郷を追われたのだから。おれを利用して、仇を討てばよい。おれはあなたの才を利用して、天下に平穏をもたらしたいと思っている。漢の皇帝を意のままにし、徐州で大虐殺をした曹操には、この国を渡したくないのだ。どうかおれを助けてくれ、諸葛亮殿!」
劉備にそう言われて、亮は呆然とした。
私はこの人に人生を捧げるしかない、となぜか思った。
「新野城へ行きます」と諸葛亮は言った。
「おお……おれの軍師となってくれるか、諸葛亮殿」
「孔明とお呼びください、殿」
孔明は立ちあがった。
「均、私は劉備玄徳様とともに行く。いまからこの家の主はおまえだ。家も田も好きにしろ。どこかへ行きたくなったら、捨ててもよい」と彼は弟に告げた。
劉備と孔明は、並んで門を出た。
関羽と張飛は、堂々としている若者の背後で龍が飛んでいる幻覚を見て、目をこすった。