諸葛亮孔明は181年、徐州琅邪国で生まれた。劉備より二十歳若い。
父の諸葛珪は官吏として働いていたが、若くして病死し、諸葛亮とその兄弟は叔父の諸葛玄に引き取られた。
彼は叔父のもとで、しあわせに暮らしていた。
諸葛玄は穏やかな人で、亮に読み書きを教えてくれた。彼は人並みはずれて賢く、すぐにたくさんの書物を読むようになった。
兄の諸葛瑾と弟の諸葛均も頭のよい子で、三兄弟は優秀であった。
彼らのしあわせは、193年に崩れた。
曹操が徐州を侵略した。
彼は徐州牧陶謙の部下に父親を殺され、その復讐をするため、琅邪国で大虐殺を行ったのである。
理不尽な行為であった。
陶謙を殺すだけなら理解できるが、どうして徐州民を無差別に殺戮しなければならないのか。
諸葛亮の母は曹操軍に殺された。
亮は曹操を恨み、世の理不尽を憎んだ。
諸葛玄は亮たちを連れて、徐州から命懸けの脱出をした。
曹操軍に追われながらの逃避行であった。
彼らの周りで大勢の罪のない男女が殺された。
「曹操……許さない。いつか殺してやる……」と諸葛亮はつぶやいた。
荊州にからくも逃げ延び、諸葛玄は新野県に移住した。
彼は劉表に仕える官吏となった。
201年、諸葛瑾は揚州に勢力を持つ孫権に招かれ、出仕した。
「亮、達者でな。均を頼むぞ」
「うん。兄さんも元気でがんばって」
瑾は弟たちを気にかけながらも、自らの人生を切り開くため、揚州へ旅立った。
諸葛亮は新野県で学問をつづけた。
叔父は惜しみなく書物を購入し、甥に与えた。
亮は荊州の智者司馬徽や彼の弟子たちと付き合い、切磋琢磨した。司馬徽は亮の非凡さを見抜いた。
「諸葛亮は並はずれて聡明だ。臥龍と呼んでよいだろう。しかし惜しいかな、曹操への憎しみに囚われすぎておる」と評した。
204年、諸葛玄が心臓の病で急死した。
その後、亮は弟とともに農耕をして生き延びた。
父が死に、母が死に、叔父が死んだ。
曹操は各地で戦争をし、世の中に死を撒き散らしつづけている。
他の群雄も似たようなもので、戦争に明け暮れている。
「私はどう生きていけばよいのだろうか」
亮は悩んだ。
曹操を殺してやりたい。しかし、戦争の片棒はかつぎたくない。誰にも仕えたくない。
劉表に仕えるなど論外である。
彼は荊州の平穏にしか興味がなく、早晩、曹操に滅ぼされるだろうというのが、亮の見立てだった。
新野の城主、劉備は気になる存在だった。
曹操と戦いつづけている。
徐州で一度は曹操を撃退している。徐州の民を救い、琅邪国の再建に尽くした。
だが、戦争をし、民を苦しめている点では、曹操とたいして変わりはない。
「くそっ、私はどうやって生きればいいんだ」
諸葛亮は鍬を大地に振り下ろした。
曹操を殺したい。だが、誰であろうと戦争屋には仕えたくなかった。