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第32話 長坂の戦い

 荊州を南北に走る襄陽江陵街道は、大渋滞になっていた。

 劉備軍の撤退路だが、曹操を怖れる住民たちの避難路でもある。

 荊州民たちは、曹操の徐州大虐殺のことをよく知っていた。自分たちも虐殺されると思った人は少なくなかった。彼らはパニックに陥り、南へと逃亡した。

 人々の波に巻き込まれ、劉備軍の逃走は遅れた。


「これでは漢津に到着する前に、曹操軍に追いつかれてしまう」と劉備は焦った。

 長坂橋を渡ったとき、張飛は歩みを止めた。

「兄貴、おれはこの橋で曹操軍を迎撃します。先に漢津へ行ってください」

 劉備は川と橋を眺めた。橋を一点防御すれば、しばらくは持ちこたえられそうだった。

「わかった。頼むぞ、張飛」

 五千の歩兵を張飛に与え、劉備は先を急いだ。


 劉備軍を追う曹純の騎兵隊も、人民の大渋滞に遭遇し、容易には進めなくなっていた。

「曹純様、どうします。殺して進みますか?」と副官がたずねた。

「いや、荊州はすでに降伏しているのだ。民を殺戮してはいかん」と曹純は答えた。

「しかし、これでは劉備軍に追いつけません」

「では、殺すぞと脅せ。いいか、脅すだけだぞ。けっして殺してはいかん」

「わかりました」


 副官は剣を高くかかげ、荊州民に向かって叫んだ。

「道を開けろ。開けねば殺すぞ!」

 そのひと声で、民は「やっぱり曹操軍は虐殺をする」と確信し、街道から逸れて逃げ惑った。

 曹純は複雑な気持ちになった。曹操様の評判を落としてしまった。しかし、追撃にはどうしても必要なことだったのだ。

「進め! 劉備に追いつくのだ」と指揮官は言った。

 騎兵隊は南下しつづけた。


 張飛は橋の南に兵を整列させた。

「敵は必ず橋を渡る。弓矢で敵を削れ。橋を渡ったやつらは、皆殺しにするぞ」

 全兵士に弓を持たせて、そう指示した。

 やがて、敵騎兵の姿が橋の向こうに見えてきた。曹純隊である。

「引きつけろ。敵が橋の上に来たら、矢を放つのだ」

 張飛は騎兵隊を見つめた。

 先頭集団が渡りかかった。

「いまだ、発射!」と叫んだ。


 曹純は唖然とした。

 劉備軍に待ち伏せされていた。

 橋の上で弓矢に射られて、部下たちがバタバタと倒れていく。小癪な!

「くそっ、急いで渡れ! 駆け抜けるのだ!」

 曹純は叱咤して、橋の南にいる敵歩兵を倒そうとした。

 騎兵対歩兵では、騎兵の方が圧倒的に有利なのが、軍事上の常識である。橋を渡りさえすれば、勝てるはずだと思った。

 ところが、敵の中に虎髭の大男がいて、ものすごい強さを発揮した。ひとりで曹純配下の騎兵のほとんどを屠っている。常識はずれの豪傑、張飛のしわざだった。


「おれは劉備の義弟、張飛益徳。命がいらないやつはかかってこい!」

 その叫び声を聞いて、曹純は進路を変えることにした。劉備の下に恐るべき豪傑が三人いると聞いている。張飛はそのうちのひとり。部下を超人のような男に殺されたくはなかった。

「ここはだめだ。別の道へ行くぞ!」と曹純は言った。


 曹純隊が退いていくのを見て、張飛はひと息ついた。

 これで時間は稼げた。命じられた仕事はした。

「橋を焼け」と彼は部下に命じた。


 曹純は別の橋を探した。

 張飛にはやられてしまったが、逃げ帰るわけにはいかない。まだ四千の騎兵が残っている。

 長坂の東で橋を見つけ、曹純隊は南下した。

 また劉備軍らしき歩兵隊を発見した。その歩みは遅い。

「攻撃しろ!」と曹純は命じた。


 曹純隊に追いつかれたのは、趙雲の隊だった。彼は劉備の妻子の守備を命じられていた。

 麋夫人は新野ですでに病死していたので、趙雲とともにいるのは、甘夫人と阿斗。彼はふたりを護衛しながら、漢津をめざしていた。

「敵騎兵が迫ってきます!」と趙雲の部下が叫んだ。

「あわてるな。おまえたちは奥方様と若君を守っていろ。敵は私ひとりでかたずける」

 趙雲は反転し、たった一騎で曹純隊に立ち向かっていった。彼も超人的な武力を持っている。趙雲の周りで血しぶきがあがり、たちまち百人、二百人と曹純の部下は死んでいった。

「私は常山の趙子龍だ。ここは通さぬ」

 その名を聞いて、曹純はついに戦意を失った。

 三人の豪傑の名は、関羽、張飛、趙雲。

 そのうちのふたりとぶつかってしまったのだ。

「劉備軍は異常だ」と彼はつぶやいた。

 撤退しよう。やつらと戦っていたら、全滅する……。


 曹純隊が退き、劉備軍は漢津で集合することができた。

 関羽は船を集め、待っていた。

 全軍が船に乗った。

 漢水を航行し、大河長江との合流点、夏口に到達。劉備はそこで劉琦に再会することができた。


 曹操軍は襄陽城にとどまり、それ以上追ってはこなかった。

 曹操は襄陽で荊州の占領統治をしなければならなかった。すぐにさらなる南下をすることはできなかったのである。  

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