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第60話 決戦

 曹操は逆襲の準備をした。

 長安城はそのままでひとつの都市であり、その中に生産設備もある。

 頑丈な盾を三万つくらせ、夏侯惇が指揮する部隊に持たせた。


「惇よ、わが軍の先鋒となり、あのやっかいな連射弓兵を倒してくれ。弓兵部隊が排除されれば、私は総攻撃をかけ、劉備軍を滅ぼすであろう」と曹操は言った。

 隻眼の将軍夏侯惇は、片目を光らせてうなずいた。


「連射弓兵さえ倒せば、わが軍は勝てるのだ。盾で押しつぶすつもりで行け!」

 夏侯惇は出撃した。


 魏延は、盾を連ねた異様な部隊が南門から出てきたことに気づいた。

「ついに来たか。小型連弩では、あの部隊は破れない……」

「私の出番ですね」

 強弩隊の隊長、劉封が言った。

「強弩隊、前へ!」


 劉封が指揮する部隊が、劉備軍の前面に出た。

 強弩とは、強力な弓矢である。槍に近い大きな矢を放つ。

 夏侯惇隊を充分に引きつけてから、「発射!」と劉封は叫んだ。


 数百本の強弩が飛んだ。それは盾をつらぬく威力を持っていた。

 数十人の兵に命中した。彼らは胴体から血を噴き出して倒れた。

 夏侯惇の部隊は、ひるんで止まった。

 強弩が次々に飛来して、盾兵の命を容赦なく奪っていった。強力な弩は、一本でふたりをつらぬいたりした。


「突進しろ! やつらを倒しさえすれば、曹操様の天下が訪れるのだ!」

 そう叫んだ次の瞬間、夏侯惇は腹に強烈な痛みを感じた。強弩が突き刺さっていた。

「夏侯惇将軍がやられた!」

 指揮官の周りで兵たちが叫び、部隊は算を乱して、城へ向かって逃げた。


 夏侯惇部隊の敗走は、劉備がいる本陣からも見えた。

「いま突撃すれば、勝てるのではないですか?」

 劉備の隣で、孫尚香が言った。

「あ、ああ、そうかもしれんが、敵はまだ強大だぞ?」

「勝機です。敗兵を追って城内へ入れば、必ず勝てます」

 尚香は勝ち気な瞳で、城門を睨んでいた。

 劉備は、勝負をかけようか、という気になった。

「突撃の鉦を鳴らせ」と彼は言った。

 従兵が鉦を響き渡らせた。

 劉備軍八万の総攻撃が始まった。

「わたしも行きます」

「待て! おまえは兵ではない!」

 劉備が制止したが、尚香は槍をつかんで駆け出していた。


 夏侯惇と劉備の両方の兵がなだれ込んできて、南門は大混乱に陥った。

 劉備軍の兵は別の門へ走り、次々と開門していった。

 張飛が、李厳が、孟達が、厳顔が、黄権が、その他すべての従軍してきた将軍が、兵を率いて突撃した。

 張飛はすさまじい戦いをした。嵐のように曹操の兵を斬った。

 李厳はここで戦果を挙げて、劉備に認めてもらいたいと思って、懸命に戦った。

 孟達は出世欲に駆られて、貪欲に敵兵を斬りまくった。

 厳顔は軍人の責務を果たすべく、黙々と戦った。

 黄権はいましか曹操を倒す機会はないと考えて、兵を鼓舞し、叱咤した。

 劉備軍は敵を倒すという目的に向かって邁進したが、曹操軍は突然城内に敵兵が現れて、うまく対応できなかった。 

 長安城内にはまだ曹操の兵の方が多かったが、たちまち秩序が失われた。三十万近くの兵が、逃げたり、戦ったり、戸惑ったり、投降したり、上官にどうすればよいのか問い詰めたりした。


 曹操は多くのすぐれた人材を持っていたが、他の戦線に投入し、長安城にはそれほど多くの名将は残っていなかった。

 夏侯惇と張郃が死に、貴重な人材がますます少なくなっていた。

 それでも残った将は果敢に戦おうとした。

 曹洪は敵兵を城外へ押し返そうとして、手勢を率いて南門へ向かった。敵味方入り乱れる中で、彼は逃げる兵を止めようとした。

「戦え! 逃げるな! わが軍の方が多いのだ!」と彼は叫んだが、浮足立った兵をまとめることはできなかった。

 声を上げた曹洪は、張飛に目をつけられ、蛇矛の餌食となった。 


 曹真や文聘もなんとか戦いを立て直そうとしたが、逃げ惑う兵を従わせることはできなかった。劉備軍が殺到して、曹操軍は制御不能に陥っていた。

 彼らは歯噛みしながら戦い、乱戦の中で死んだ。

 賈詡の知謀もこうなると役に立たなかった。逃げるしかないと思い、北門へ向かって駆けた。逃げ切れず、彼は首を斬られて戦死した。

 司馬懿は真っ先に逃げていた。彼は脱出に成功し、城から出て、北へ北へと走りつづけた。


 この戦いで、尚香は初めて人を斬った。

 戦闘に対する困惑や苦悩は彼女にはなかった。すぐに戦いに没入することができた。

 槍で敵兵を刺し、倒し、道を切り開いて、長安城内を突き進んだ。

「虎痴、私を助けよ!」という叫び声が聞こえてきた。

 声の方へ行くと、小柄な老人が立っていた。身なりから、かなりの高官であろうと思われた。

 尚香が老人を殺そうとすると、大男が立ちふさがった。

 剛槍を持っていた。

 その男と対峙すると、尚香の肌がちりちりと粟立った。

 張飛や趙雲と同等の迫力を感じた。

 尚香は笑った。

 本気でやっていいんだ、と思った。

 張飛や趙雲は味方だ。殺してはいけない。

 だが、この男は殺していい。

 尚香は迫りくる剛槍をすり抜け、大男の首に槍を突き立てた。命を取った手応えがあった。

 槍を抜くと、首から血を噴出しながら、男は倒れた。

 尚香が殺した大男は、魏で最高の豪傑、許褚。


「虎痴がやられた……。何者だ……?」

 老人が呆然とつぶやいた。曹操だった。

 たぶんこいつが大将だ、と尚香にはわかった。

 この老人を殺したら終わりか……。

 尚香はいくぶんか残念に思った。まだ戦い足りなかった。

「女……?」

 曹操は不思議そうに尚香を見た。 

「あなたが曹操だな」

「そうだ……。降伏する……」

 魏王は突っ立ったままそう言ったが、尚香は首を振った。

「だめだ。あなたを生きたまま夫のもとへ連れていくと、もしかすると情けをかけて、生かそうとするかもしれない」

「おまえは誰なんだ?」

「わたしは孫尚香。孫策の妹だ。兄にかわって、乱世を終焉させる」

「孫策の……?」

 曹操は亡霊でも見るようなまなざしで、尚香を見た。

 彼女は乱世の奸雄の胸に槍を刺した。老人はあっけなく死んだ。

 張飛が走ってきて、「尚香さん!」と叫んだ。

 彼女の足元に横たわる亡骸を見て、張飛は「曹操……」とつぶやいた。

 劉備の義弟は、あらためて義兄の妻を眺めた。

 殺気を全開にした孫尚香は、張飛ですら慄然とするほどの迫力をまとっていた。

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