目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第25話:据え膳いただいてもいいですかっ?

 御者が勧めてくれたというレストランは、温かな照明と木の温もりに満ちたホッとする空間だった。耳どおりの良いジャズ系の音楽が鳴り、壁には古風な絵画と、手入れの行き届いた花瓶が並んでいる。

 窓際の席に案内されると、あたしはわくわくした気持ちで椅子に腰かけた。


「落ち着く場所ですね。旅先でこういう店に入れると、なんだか得した気分になります」


 セラディスが穏やかにそう言って、メニューを手に取る。


「だよね。いい雰囲気で、なんだかデートみたい」


 あたしも自分のメニューを広げて、アルコールの欄に目を走らせた。

 店員がやってきて、飲み物の注文を聞いてくる。尋ねられるが早いか、あたしは迷いなく答えた。


「シードル(リンゴの果実酒)をボトルで!」


 セラディスが慌てて顔を上げた。


「マ、マナシア、お酒は……」

「平気だって。旅の初日なんだし、景気づけに飲もうよ、ね?」


 困惑した表情のセラディスに微笑みかけ、あたしは勝手に注文を確定させてしまう。店員はボトルがさばけて嬉しいのか、あたしたちの何かが面白かったのか、ニコニコしながら戻っていった。


 まもなく、首の細い茶色いガラス瓶に詰められたシードルが運ばれてきた。ラベルには金の縁取りと、絡み合うように描かれたりんごの枝葉と果実。手仕事の温もりが感じられる。

 店員は、黄金色の液体を二人分グラスに注ぐと、一礼して去った。


「乾杯しよ?」


 あたしはグラスを持ち上げる。セラディスも観念した様子でグラスを手に取った。


「……では、ふたりの旅の無事を願って」


 乾杯。


 口に含むと、りんごの爽やかな甘味と、微かな発泡の刺激が舌に心地良かった。こくんと喉を鳴らせば、その快感が体の中心を通り抜けていく。

 渋っていたはずのセラディスも、ひと口飲んで目を瞬かせる。


「美味しい……思っていたより、飲みやすいですね」

「でしょ? あたしのチョイスに間違いはないんだよー」


 なにせ夜職やってたんだから、とは言わない。


 その調子で料理も次々と注文していく。


「ラム肉のローストと、生牡蠣の盛り合わせ、それから……ウナギのグリルも。あと、香草バターのエスカルゴ。お野菜は、うーん、ブロッコリーのガーリック炒めで!」


 精力が付きそうなメニューばかり並べた注文だったが、セラディスはまるで気づいていないようだった。しめしめ。たんと食わせてやろう。


 料理が運ばれてくると、あたしは張り切って彼の皿に取り分けていった。


「いっぱい食べて、明日も元気に頑張ろうね」


 セラディスは少し照れたように「ありがとうございます」と言いながら、素直に口に運ぶ。いい子いい子。


 ついでに空いたグラスにも、お代わりを注いじゃえ。


「たくさん飲んでねぇ」

「あ、待っ、私はそろそろ――」

「何言ってんの。ノンアルコールなんて今夜は飲ませないよっ」


 グラスを塞ぐ手を冗談ぽくどけてシードルを注いでしまうと、セラディスは諦観の笑みを浮かべて二杯目もちびちび飲み始めた。


 食事が終わるころには、彼の頬はほんのり赤くなり、言葉も少しゆっくりになっていた。


「……あれ、なんだか少し……頭がぼうっと……」

「もうー、飲み過ぎちゃったかな? はい、腕貸して。宿まで戻ろう」


 あたしはセラディスの腕を取り、ふらつく彼を支えながら宿屋へ戻った。ちなみにあたしはアルコールに強い性質たちなのでへっちゃらだ。


 部屋に戻るなり、セラディスはベッドに倒れ込んだ。そしてそのまま、動かなくなる。


「え、ちょっと、えっ……寝た?」


 彼が予想以上に酒に弱かったことにあたしは驚きつつも、深呼吸して気持ちを切り替える。


「……寝てても、いいか」


 これはこれでチャンスだ。あたしはそっと彼のそばに腰を下ろした。


「セラディス、服、苦しくない? 緩めてあげるね」


 自分に言い訳をするように呟いて、そっと神父服のボタンに指をかける。ひとつ、またひとつと外していくたびに、鼓動が早くなる。


 中に着ているシャツも含めて全てのボタンが外れ、滑らかな肌が露わになったところで、彼のまつ毛がぴくりと震えた。


 次の瞬間、セラディスがパッと目を見開き、彼の肌に触れていたあたしの手を掴んだ。


「マ、ぁシア、なにをして……!」


 驚きと混乱に揺れる目。酔ってぼうっとしているはずなのに、その瞳には確かな拒絶が宿っていた。


「大丈夫、大丈夫。ね、あたしに任せて?」


 笑って誤魔化し、彼の手をそっと掴み返して身を乗り出す。セラディスは顔を背けて抵抗したが、腕に力が入っていなかった。


「ちょっとだけでいいの。せめてキスだけ……ね?」

「らめれす、私たちはまら……その……」


 呂律ろれつが回っていない。押せばいける。

 キスで火をつける自信はあった。舌を入れられれば、九割九分こっちのものだ。あとはもう、なし崩し的に……!


「大丈夫、ちょっと唇くっつけるだけ。ただのスキンシップだって。額のキスと同じ。何もエッチじゃないでしょ? ねえセラディス。あたしのこと好き? 愛してる? あたしはセラディスのこと愛してる。だからもう少し触れたいの。ね? 大丈夫だって。ここはルミナスでもないし司祭館でもない。誰も見てない。誰にもバレないよ?」


 あたしは自分でも笑えるくらい必死に彼を言いくるめようとしていた。言葉を続けることで反論の隙を与えまいとした。


 けれどもあたしはミスをした。あたしの最後の言葉が、彼の虚ろだった意識を覚醒させた。


「大丈夫、神様だって見てないよ」

「っ……いいえ、アレオン神はすべてをご覧になっています」


 視界がぐるんと回転した。


「きゃっ……!」


 目の前には天井を背にしたセラディスの顔。その頬に手を伸ばそうとしたけれど、手首がベッドに縫い付けられて動かせない。

 彼は、今までに見たことがないほど、なんというか……別人のように怖い顔をしていた。


「セラディス……?」


 少し不安になって名を呼んだ次の瞬間、彼の表情はもとの温和なそれに戻る。そしてみるみるうちに狼狽し始め、彼はベッドから飛び退き、よろよろと後ずさった。その目は怯えているようにすら見えた。


「……ご、ごめんね。ごめんなさい」


 悪いことをした自覚があった。ちょっとしたあたしの欲が、セラディスをこれほど困らせるなんて思わなかった。

 もし駄目でも、笑って『駄目ですよ』と止められて終わると思ってた。

 それが、どうしてこんな……。


「頭を冷やしてきます」


 そう言い残して、彼は部屋を出て行ってしまった。


 閉じられた扉の向こうで弱々しい足音が遠ざかっていくのを聞きながら、あたしは自分のしたことの重大さにようやく気づいた。


 セラディスを、傷つけてしまった。


 胸が締めつけられる痛みを感じながら、あたしはひとり、ベッドの上で膝を抱えた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?