あたしのベッドは、ふたつ並んだうちの窓側のほうだった。そこへ潜り込み、閉じたカーテンの下から漏れる月明りを無為に見つめながら、あたしはずっと眠れない時を過ごしていた。
眠れるはずがない。体は熱いのに手足は冷たくて、心臓の鼓動ばかりが耳について落ち着かない。セラディスの顔が、あのときの怯えたような目が、頭から離れなかった。
どれくらい時間が経っただろう。置時計の秒針は無機質に時を刻み続けるが、セラディスはまだ帰ってこない。
どこで何をしているのだろう。自分のせいだとは百も承知だったが、心配と不安で心がざわついた。
セラディスが鍵を持って出なかったことはわかっていたので、ドアは施錠しなかった。
やがてそのドアが、キィと小さく音を立てた。変なヤツだったら即刻撃退してやろうと思った。エリオードに貰ったバレッタは、枕の下に入っていた。
けれど、穏やかな足運びとわずかに感じたお香っぽい匂いで、あたしはそれがセラディスだとわかった。
あたしは振り向けなくて目を閉じ、寝たふりをしてしまった。
気配が近づいてくる。そして、あたしのベッドのそばで立ち止まった。
肩まで被った布団の上に、そっと手が置かれる重みを感じた。
「すみません、マナ」
セラディスの声はいつもと変わらず穏やかだったけれど、どうしようもない切なさが滲んでいた。
「――トウマさんになれなくて」
胸が、引き絞られるように痛んだ。
あたしはここにきてもまだ振り向けなかった。じっと唇の裏側を噛んでいた。下手に口を開けば、謝罪より何より先に、情けない嗚咽がこぼれ出てしまいそうだった。
布団の上の重みが消えて、気配が離れていった。
もうひとつのベッドのほうで衣擦れの音がして、間もなく部屋は再び秒針の音に支配された。
気づけば朝になっていた。昨夜いつ眠りに落ちたのかは覚えていない。
眩しい朝の光が、薄く開いたカーテンの間から差し込んでいる。体を起こすと、柔らかな声が、寝起きの鼓膜に染み込むように届いた。
「おはよう、マナシア。よく眠れましたか」
顔を向けるとそこには、すっかり身支度を整えたセラディスが立っていた。
言わなきゃと思った。
「っ……あ、あの……セラディス、あたし、昨日は本当に――」
「昨夜は、すみませんでした。酔ってしまって、お店を出てからのことが、全然思い出せないんです」
……え?
彼の言葉が理解できず、あたしは呆然とした。
覚えていない? あの出来事を? ……まさか!
嘘だ。優しさで、忘れたふりをしてくれているのだと思った。
けれど、『本当は覚えてるんでしょ?』なんて言い出せない雰囲気が今朝の彼にはあった。
「……あ、あたしのほうこそ、無理に飲ませちゃって、ごめんなさい」
あたしは彼に準ずることにした。でもそのせいで、本当に伝えたかったごめんなさいは、言えないままになってしまった。
「いいえ。シードル、美味しかったです」
微笑みかけられて、同じだけの笑みを返す。胸の中にはしこりが残った。
朝食を済ませ、馬車はまた聖都アウレリアへ向けて出発した。昨日と同じく途中の町々で休息を取り、旅程は順調に進んでいった。
日が暮れるころ、鮮やかなオレンジ色の夕焼けをバックに、これまでに立ち寄ってきたどの町よりも遥かに大きな町が姿を現した。
それは町というよりは、ひとつの大きな城のようだった。
聖都アウレリア。
聖都ルミナスよりもいっそう高く広い城壁。夕陽の逆光が東の草原に濃く長い影を落としている。
城壁の奥に高くそびえる尖塔が、ひときわ目を引いた。天を突くかのようなその塔の先端には、太陽を
聖都の名にふさわしい信仰の象徴。絶対的な神の存在感。
現れた町の荘厳さに、あたしは思わず息を呑んだ。大都市への期待感と、同じくらいの緊張で肩に力が入るのを感じる。
正面に座るセラディスを見ると、彼もまた偉大な都市を見つめていた。その横顔はどこか儚げで、放っておいたら夕日に吸い込まれて消えてしまいそうに見えた。
「セラディス」
あたしは無意識に彼の名を呼んだ。
深い青に、赤が混ざった瞳が揺れて、ゆっくりとあたしへ向けられる。
あたしは身を乗り出して、両手で彼の手を取った。
その手は驚くほど冷えていて、あたしは握る手に力を込めた。