「なっ、なに!? なんなの!?」
驚きで声を上げたあたしの口を、熱く柔らかな手が覆った。
「静かに。騒ぐと他の部屋の方が起きてしまいます」
窓の外からレースカーテン越しにぼんやりと差し込む月明かりが、あたしに
ノアだとすぐに気づけたのが奇跡なくらいだ。三つ編みの長髪はほどかれて顔の両脇にしなやかに垂れている。眼鏡はかけておらず、黒い瞳が
これは深夜の魔力だろうか。地味だと
なんでノアがあたしの部屋に?
そう考えて、そうだ、部屋のドアを開けて寝たんだったと思い至る。
ドアが開いていれば猫だって簡単に入れる。
けれどここは聖職者しか泊まらない司祭館。他人の部屋に入る聖職者がいるもんかと油断していた。
あたしは口を塞ぐノアの手を慎重にずらし、また塞がれないよう、声を落として言った。
「何のつもり?」
「ソファでの続きをしに来ました。さっきは途中で終わってしまったでしょう?」
言葉と同時に、ノアの指先があたしの首筋を撫でた。くすぐったさと妙な感じとの間の、絶妙なタッチに、思わず肩が小さく跳ねる。
「ちょ、ちょっとやめて。そういうの趣味じゃない。あたしには夫がいるし、あなただってシスターでしょ」
ノアが微笑み、その手が止まることなくネグリジェの首元から露出した鎖骨に滑る。
「ご存じですか? アレオン教の教義では結婚年齢に制限はありません。その国の法律さえ許せばゼロ歳児でも結婚できます。しかし他者との性的な交わりは、25歳以上になってからと決まっている」
「……何の話?」
「アレオン神は私たちに忍耐の試練をお与えになりました、というお話です。いっそ結婚年齢を25歳以上としてしまえばいいものを」
「し、知らないよ、そんなの」
「そうですよね。マナシアさんはセラディス神父様の奥方ですが、アレオン教徒ではない。そうでしょう?」
「どうしてそう思うの」
「夕食のテーブルで一緒になった際、食前のお祈りをしていませんでしたね」
ノアは非難するでもなく、弧を描いた唇のまま言う。
「それは……」
確かにそうだ。あたしには食前の祈りなんて習慣はない。もともと無宗教なのだ。
でも、セラディスだっていつもお祈りなんかしていない。いや、ユダリスク司教との夕食会ではしていたけれど。
ってことは、本当なら食前の祈りはするのが正解ってこと? じゃあどうしてセラディスはいつもしていないの?
あたしが黙っているのをどう勘違いしたのか、ノアは表情を和らげて首を振った。
「責めているわけではありませんよ。私が言いたいのはですね、セラディス神父様に合わせているだけで、あなた自身はアレオン教徒でないのなら、本来あなたに教義は関係ないということです」
「でも……」
彼女はあたしのバリアを剥がそうとしている。
「婚姻の儀で誓いを立てたことですか?」
そうだ。セラディスは言った。自分たちは婚姻の儀でアレオン神へ、あたしが25歳になるまでキス以上の行為はしないことを誓った、と。
「あの誓いは、決まり文句のようなものですので」
「シスターがそんなこと言うの?」
「私のこと、信心深い聖女だと思われます?」
ノアの目が柔らかく細められる。あたしは答えがわからない。
「シスターになるしか生きる道のない女もいるのですよ」
「それは、どういう……」
「教義は嫌い、という意味です。同じでしょう、あなたと私」
バリアの端がめくられていく。
「さあ、その教義についてですが、具体的に禁止されているのは、性欲を喚起させる場所への口づけ、素肌への性的な愛撫、そして生殖器への性的な接触・挿入です。逆にいえば、それらに当たらない行為であれば教義違反にはなりません」
悪びれない口調の説明に、あたしは聞き入ってしまう。
それらに当たらない行為、というのが咄嗟に想像できなかった。キスも愛撫も挿入も駄目なら、結局ぜんぶ駄目ではないか。
「シスター・ティアリナから教わりました、ぎりぎり神の足元に立っていられる"方法"を。私はただ、その方法であなたを救いたいのです」
「あ、あたしは望んでない」
「はい。これは私が勝手に行う"救済"です。あなたの心身を蝕む熱から、あなたを解放して差し上げましょう」
救済。その言葉の、なんと甘やかなこと。
もともと薄いシールのようだったバリアが、最後のひと端までめくられて、どこかへ飛んでいった。
ノアの手が、鎖骨の下へと滑っていく。下着をつけずに寝ているから、ネグリジェの薄い生地越しに手と指の動きがダイレクトに伝わってくる。
その手は腹部まで下がらずに、同じ場所を試すように何度も往復する。
右……左……。脇のすぐ下あたりまでもぐったかと思えば、つうっと浮上してきて頂上をかすめていく。
「マナシアさん。目を閉じて、リラックスしていてくださいね」
言われたとおりにしてみると、視覚が塞がれたせいか、触覚と聴覚が鋭敏になったような気がした。
「ふふ、可愛い方」
と囁く彼女の声が、ぞくりと背筋に甘く響く。彼女がちょうど跨っているあたりの下腹部に、覚えのある種類の熱が生まれ始める。
やがてその手は露骨に頂点ばかりを撫でさするようになる。
伸ばした四本の指の間を順に通過させるように。そうして次は、浮き立った部分を指の背と腹で交互に軽く弾くように。かと思えば今度は、集めた指先でさわさわとくすぐるように。
つきんつきんと神経に響く小さな刺激が、体の下の方まで流れていく。
口を開けば湿った吐息が漏れる。
身をよじろうとしても、腰の上にはノアが乗っているし、いつの間にか片手が顔の横でノアの手と緩やかに繋がれていて、身動きがとれない。
あたしは目を開き、空いている方の手でノアの手首を掴んだ。
「ね、ねえ……これは"性的な愛撫"じゃないの?」
ノアが妖艶な笑みを浮かべる。
細い手首がするりとあたしの手を逃れていく。
「服の上から触れているだけですので、"素肌への性的な愛撫"ではありません」
「それって、屁理屈――んっ」
先端へ、ピリッとした甘辛い刺激。親指と人差し指による、絶妙な力加減の瞬間的な圧迫。
強くされれば痛いし、触れるだけでは物足りない。長すぎても感覚がぼやけてしまうから、まるで小鳥がついばむように、一瞬の刺激を何度も繰り返す。
じんじんと、下腹部に刺激が溜まる。
次の瞬間、生温かい粘体が、小鳥に代わってその場所を包んだ。
「っあ……ッ」
下を見ると、ノアはウェーブがかった黒髪を散らしながら、あたしの胸に顔をうずめていた。