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第39話:カチャン

 布袋の中で、あたしは息を潜めたまま、後ろ手に拘束された手首を捻った。少しの遊びもなくぎちぎちに固められているようで、動かすと紐が肌に擦れて痛い。

 足首も同じだった。片方の足を強引に引き抜こうとしてみたけれど、ヒールを脱いでも踵が引っかかってしまい、足首から先を切り落としでもしない限り、両足を分けることは無理そうだった。


 何か紐を切るものが必要だ。それを探すにはまず、この袋から出なければ。


 顎を持ち上げ、布袋の口を見上げる。巾着袋と同じ閉じられ方をしているその口は、幸運なことに、直径五センチほど開いていた。これなら頭で押していけば広げられる。


 あたしは芋虫のようにもぞもぞ上へ移動し、袋の口に頭頂部を押し当てた。首を前後左右に振りながら、膝の曲げ伸ばしの力でグッと上に上がる。

 袋の口が緩む感触があり、額のあたりまで頭が出た。よし、いける。同じようにもう一度。膝の力で伸び上がると、すぽんと頭が表に出る。


 殺風景な部屋。

 しかし、袋の中のむわっとした湿度と温度を思えば、目の覚めるような解放感だった。新鮮とまではいえない空気を鼻呼吸で何度も取り込む。


 口の中にはまだ布が詰まったままだ。けれどそれも今は唾液を吸って萎み、僅かに滑りやすくなっている。

 あたしは舌を使って何度も布を押しやり、ついに口から吐き出した。


「けほっ」


 唾液が口の端から顎へと伝う。解放された口で深呼吸を繰り返すと、頭が数段クリアになった。


 あたしは目を見開き、改めて部屋を見渡す。


 窓はない。出入口はひとつ、木の扉のみ。広さは学校の教室の半分くらい。

 監獄の牢みたいな質素な室内だ。家具は、今あたしが横たわっているかび臭いベッドが壁際にあるのと、反対側の壁に木の机と椅子があるだけ。机の上には蝋燭立てがあって、その上で揺れる小さな炎がこの部屋の唯一の明かりだった。紐を切れる何かを探そうにも、視界はすこぶる悪い。


 あたしは布袋の中で体をよじり、足先まで完全に外へ出た。ひとまとめにされた足をベッドから下ろし、上体を手で支えられないので、よいしょと勢いづけて身を起こす。


 音が立たないようにヒールの靴を脱いでから立ち上がり、裸足でぴょんぴょん跳ねて、明かりのある机へ向かう。


 机上には蝋燭立てしかない。引き出しもないので、はなから探せる場所などないのだが、僅かな希望を求めて机の周りを眺めてみる。ガラス片か金属片でも見つかれば、ラッキーだ。


 けれども、そう都合よく鋭利なものは落ちていない。あたしは蝋燭の明かりを頼りに足首の紐を見てみる。


 紐の太さは直径三ミリ程度。もしもあたしの体が柔らかければ、足首まで体を折り曲げてガジガジ噛んで切れたかもしれない。

 いや、どうせできないのだから無駄な想像だ。


 どうしようかと考えて、蠟燭の炎に自然と目を奪われる。焼き切るのはどうだろう。

 でも待って、この紐の素材は何だ?


 現実世界で生きていたとき、怖い話を聞いたことがある。

 火を使うときは化学繊維の服を着てはいけない。化学繊維に火がつくと、すぐに燃え広がるうえ、溶けた繊維が皮膚に張りついてしまう。そうなると服を脱ぐこともできず、大火傷を負うことになる。


 この世界に化学繊維なんてないだろう。でもこの紐は、火がついても燃え広がらないタイプの素材なのだろうか。紐が切れたって、手首と足首に大火傷を負ったんじゃ逃げられない。

 何より、痛いのは嫌だ。


 あたしは足首の紐に目を凝らす。茶色っぽい色と、粗い繊維。麻紐、という言葉は聞いたことがあるが、これがそうなのかは見ただけじゃわからなかった。


 どうしよう。どうするべきか。

 蝋燭を床に下ろして、足を持ち上げて紐をあぶってみようか。それで危なそうならやめればいい。うん、そうしよう。

 ようやく決心がついたその時だった。


 カチャン


 反射的に振り返るのと、扉が開くのとは同時だった。

 腕の太い、屈強な大男。目のところに穴が開いた布袋を被っている。

 あたしを担いできた男だ、と直感で思った。


 目が合った瞬間、男がすばやく距離を詰めてきて、あたしの腕を掴む。


「痛いっ、離して! なんでこんなことするの? あたしなんか、さらったって身代金は出ないから!」


 叫んでも、男は何も言わない。ただ無言で、またあたしを担ぎ、ベッドへ放り投げた。衝撃で息が詰まる。


「そこから下りるな。脚を折られたくなければ」


 男はそれだけ言い、床に転がったあたしのヒールの靴を回収して出ていく。


 カチャン


 扉に鍵のかかる音が、あたしの心の端を折る。

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