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第41話:鍵穴の向こう

 振り返った男に、あたしは背中を向けて縛られた手首を見せる。


「痛いの。もう少し緩めて」


 男の目がわずかに動く。疑念と警戒。そして逡巡の色。

 たから、ひと押し。


「これが解けたところで、どうせ逃げられない。そうでしょ?」


 じっと見つめていると、男は居心地悪そうに目を逸らして近づいてきた。そして無言であたしの手首の紐を解き、後ろ手でなく、前で緩めに縛り直す。足首の拘束も緩めてくれた。


「……ありがとう」


 一応礼を言ってみる。布袋の中の男の目が、どこか不愉快そうに歪む。


「お前は……何をしたんだ?」

「えっ?」


 どういう意味の質問なのか。


「何を、って……?」


 尋ね返しても男は答えない。通じないならいいや、という感じで目を伏せ、踵を返して部屋を出ていった。


 再び部屋に物寂しい静けさが戻る。


 何を、って何? あたしは何もしていない。誘拐されるようなことは何も。


 服も靴もバッグもアクセサリーも、お金持ちっぽいものは何もない。前のマナシアが使っていた一式をそのまま使っているだけで、高級店のロゴマークがあからさまに入っているわけでもない。


 お金を持っていそうと思われるような話を外でしたこともない。


 何をした? って……何なの、その質問?


 あたしはベッドから下り、またぴょんぴょんと跳ねるようにして扉へ向かう。

 脚を折るとか言っていたが、あの大男はたぶん、そこまではしない。

 何故そう思うか。そこまでする気があるならあたしがベッドを離れられないよう縛りつけておけばいいのに、そうしないからだ。


 扉に耳を当てる。足音や物音がしないのを確認し、ドアノブにそっと手をかけた。レバータイプのノブをゆっくりと押し下げ、引っ張ってみる。


 わかってはいたが、開かない。


 ドアノブの上に鍵穴があった。覗いてみると、向こう側の様子が見えた。

 外はどうやら廊下のようで、明かりの少ない薄暗い中、板張りの床と壁が扉の正面から真っすぐ奥に向かって伸びている。廊下の突き当りにひとつと、左右にひとつずつ扉があり、左の扉の手前には左に折れる道もある。


 人の気配はなかった。


 あたしは考える。この鍵を開ける方法はないだろうか。言っちゃ悪いが、向こう側が見えるようなちゃちな鍵なら、簡単に開けられそうな気がしてくる。


 ピッキング、という言葉が頭に浮かぶ。その手順を教える動画を一度だけ、興味本位で観たことがある。確か、細い金属の棒を二本使うんだ。


 流し観ていただけなので、細かい手順は覚えていない。けれど、とにかく試してみるしかない。まずは、金属の棒の代わりになるものを探そう。


 あたしは机の上の蝋燭立てを手に取り、狭い部屋の隅々を照らしながら巡った。

 机の下、椅子の下、板張りの床と壁、天井、ベッドの周り。


 ベッドの下を覗き込むと、埃まみれの床に細長いものが落ちていた。蝋燭を近づけてよく照らしてみる。

 それは、串焼きに使うような木の串だった。


 括られた手を懸命に伸ばしてそれを掴み、綿埃を払う。


 ……使えるかな?


 一本しかないので仕方なく、真ん中でペキンと二つに折った。

 扉の前に戻り、一本を鍵穴に差し込んでみる。すると、何かに引っかかるような感触が僅かにあった。

 だが、それだけ。串はそのまま向こう側へ貫通してしまう。


 あの動画ではどうやってたっけ……全然覚えてない。


 とりあえず、棒を二本使うことは確定なので、左右の手に一本ずつ持って同時に差し込んでみる。そしてカチャカチャと細かく動かす。


 開くわけがない。こんなんで開くなら鍵なんていらない。

 あたしの馬鹿! なんであの動画、ちゃんと観なかったんだ。

 いや、だって、人生でピッキングする機会なんかあると思わないでしょ!? やるのは空き巣くらいじゃん!

 くそう、くそう。中途半端な知識が一番悔しい……!


 自分で自分を罵倒し、言い訳しつつデタラメに手を動かす。

 ミシ、と串が軋む音がして息を呑んだ。


 駄目だ、駄目だ。串が折れては元も子もない。

 冷静になれ。考えて。覚えてないなら、考えるんだ。どうすれば二本の棒が鍵の代わりになる?


 鍵穴をよく見る。子ども向けの絵本に描かれるような定番の形だ。上が丸くて、下が台形。


 次に鍵の形を考える。鍵穴に差し込んだとき、上の丸い部分には軸がくる。それはどの鍵も同じ。形が異なるのは、下の台形に入る部分。

 ってことは、鍵を開けるのに細工すべきは下側。


 鍵を差し込んで、くるりと一周回すと開錠される、その仕組みを考えろ。

 鍵は、あの凸凹した形で鍵穴の中の突起物の高さを変える。その突起物がピタッとはまった位置になると、軸を中心に回るようになる。


 でも高さを変えるって、こんな真っすぐな棒でどうやって?

 ……少し、折り曲げたらいいかな?


 あたしは串の先を、鍵穴の縦の長さの半分くらいの長さで90度に折り曲げた。先端が下を向く形で鍵穴に差し込み、扉の内部――向こう側へ貫通する手前でぐりぐりと動かしてみる。


 何かが触れる感じと、その何かが串によって少し動く手応えがある。だけど、ここからどうするの?


 不意に、手応えが消えた。

 串を引き抜いてみると、折った先端がなくなってた。千切れて内部に落ちてしまったらしい。

 あたしはもう一度、鍵穴を覗き込む。


 正面に、目玉があった。


「キャッ……!」


 悲鳴を上げて尻餅をつく。


 鍵の開く音がした。

 あたしは這うようにして後ずさる。


 扉が押し開かれていく。

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