入ってきたのは、やはりさっきの大男だった。今度は手に、食事の乗ったトレイを持っている。
男はトレイを机の上に置くと、床に尻餅をついていたあたしの足首を掴んだ。
もしかして本気で……とあたしの心を恐怖が駆け上がる。
「嫌っ、いやあっ、折ったりしないで!」
あたしの声に、男はビクッと驚いたような反応を見せた。そして、あたしの足の裏を見るだけですぐに手を離す。
たっ、助かった……!?
男はあたしから目を逸らしたまま、
「床はしばらく掃除していない。木くずでも刺さって怪我をされると面倒だから動くなと言ったのに。聞き分けのない女だな」
そう呟いて、あたしを脇の下から抱えるようにして持ち上げ、椅子に座らせた。
「食え」
男はベッドまで歩いていき、脚を組んで座った。
あたしの両手首は縛られたままだ。どうやって食べろっての?
トレイの上の食事は質素だった。パンとスープだけ。それも、パンは黒ずんでいて硬そうで、薄い色のスープには、枯れかけた茶色まじりの葉野菜と、鶏肉っぽいものの切れ端が浮いているばかり。
今、何時だろう……。
昼食をとってから、何も口にしていない。空腹ではある。けれど、誘拐されている状況で食べる気力が湧くはずもない。
黙って座っていると、男がまた口を開く。
「無理やり食わされたいなら、それでもいいが」
あたしは、よくない。
観念して、縛られたままの手でスプーンを取った。
スープを掬って口に入れる。
……不味い。見た目通りの不味さで驚きもない。スープ自体の味はごくごく薄く、枯れかけの葉野菜は紙を噛んでいるよう。そして耐えがたいのが、肉の切れ端のエグみだ。鶏肉かと思ったけれど何か違う。何の肉? 食べていいヤツ!?
スプーンを置き、パンを手に取る。触った感じがすでにカチカチだった。指で千切れず、仕方なく口元まで持ってきて齧りつく。
数日干したフランスパンみたいな硬さ(そんなの食べたことないけど)。咀嚼しても顎が痛いだけで、旨味がまったく感じられない。口の中の水分が持っていかれて、飲み込むだけでもひと苦労だ。
ただ胃に詰めるだけの食事。いや、食事というより、もはや苦行だ。
ベッドに腰かけた男は終始無言であたしを見ている。
その視線が居心地悪くて、何か話題を振って緊張を和らげようと試みた。
「あの……このスープ、さっぱりしてて美味しいね。味つけは何で――」
「ハッ、美味いわけがないだろう。いいもの食ってる上の人間が、機嫌取りのつもりか?」
返す言葉がなくなった。黙って、作業のように咀嚼と嚥下を繰り返す。
上の人間、か……やっぱり、ここは地下なんだな。
器の中身をすっかり空けたころ、別の問題があたしを襲った。
それは、極限にまで達した尿意。
これまで我慢していたが、食事をして胃腸が動いたせいか、急激に限界が迫っていた。
羞恥を押し殺して言う。
「ねえ、あの……トイレに行きたい」
男は何かを考えるような素振りを見せた。
早く早く! 悪のアジトでもさすがにトイレくらいあるでしょ!?
逃げないから早く連れてって!
あたしは焦れる。
男はトレイの上の、スープが入っていた器を顎で指した。
「ソレにしろ」
「ええっ!? 無理無理! そんなのできない!」
「じゃあ諦めるんだな」
「あ、諦めるって何!? 漏らせって!?」
「俺は出る。好きにすればいい」
「ちょっと!」
男は立ち上がり、言葉どおり出ていこうとする。
「待ってよ! トイレ、連れてって!」
「何度も言わせるな。それとも見られていたほうがいいか?」
いいわけない、けどっ……!
あたしが絶句しているうちに、男は扉を開けて出ていった。
あたしは椅子の上で体を丸める。
どうしよう。限界は目前。
でも、食べるのに使ってた食器におしっこするなんて、最低。想像しただけで、みじめで涙が出そう。
トウマとだって、そんなプレイしたことないのに。
というかトウマとは、普通のエッチしかしたことがない。
男が出ていってから、どれほど経っただろう。
あたしには永遠みたいに長い時間だった。
あたしは苦渋の選択をした。
スープの器を床に置き、足首を拘束されたまま、膝立ちでそこに跨る。スカートの中に手を入れて下着をずらした。
ちょろ……ちょろろろ
じょろじょろ、じょろろろ、じょろろ
じゃああああああ
「ふあ……」
口から安堵の吐息が漏れる。我慢していたものを一気に開放する快感もあった。勢いづいてしまえばもう止められない。
やがてすべてを出し切り、あたしは黄色い液体のなみなみ溜まった器の横にへたり込んだ。
やっちゃった。はは。飲んだスープより大量だ、こりゃ。
若干開き直っている自分に気づく。開き直りでもしないとやってられない。
傷ついた尊厳を、見ないふりでもしなければ。
セラディスには絶対、知られたくないなぁ……。
あたしは膝を抱えて顔をうずめた。