海の底から気泡が浮かび上がるように、ふわふわと浮上したあたしの意識は水面まで到達して、ポッと弾けるように覚醒した。
下半身がスースーする。下腹部に、何か違和感があった。
最も弱い内壁の奥を、ぐちぐちと何かが探っている。
「嫌っ……!」
飛び起きて、ギョッとした。
あたしは仰向けの状態で、膝を立て、無防備に脚を開いていた。その両脚の間には、小太りで化粧の濃いひっつめ髪の中年女が座っていて、あたしの股を覗き込んでいる。花柄の真っ赤なワンピースは、はち切れんばかりにパツパツだ。
ぬるん、とあたしの中から何かが出ていく。
女は片手の指をタオルで拭きながら、平然とした顔で言った。
「病気は持ってなさそうだが、イマイチ物足りない体だねぇ。乳の下に布を詰めさせな」
最後の言葉はそばに立っていたメイドに向けられていた。女はそれだけ言い残し、ベッドを下りていく。
「だ、誰……? 今の、何を……」
状況の不明さと、内部を探られていたショックにあたしは混乱する。
ここはどこなのか、今の女の行為が何を意味するのか、わからなくて不安になる。
最後の記憶は、あの布袋の大男に首を絞められたところで終わっている。あたしは恐らく気絶したのだ。
ならば、またあの男たちに掴まって閉じ込められているはずなのに、ここはどこなのだ。尻の下のベッドも、あの部屋のかび臭い硬いベッドと違い、ふわふわで上等だ。
女は面倒そうにため息をつくと、メイドへ「説明しておやり」と言い残して部屋を去った。
残されたメイドはあたしに柔らかく微笑み、湯浴みを促してくる。三十歳前後だろうか。おっとりした見た目だが、芯の強さを感じる。
「湯なんかより、ここはどこ?」
「ここは『ラピスラズリ』という名の娼館です。先ほどの方は当館の女主人、マダム・サファイア様ですよ」
「娼館……?」
耳を疑った。どうしてあたしがそんな場所に……?
考えて、男たちの会話が思い出された。
『いい子ぶんなよ、甘ちゃん野郎。どうせ"ラピスラズリ"に連れてくんだから同じじゃねえか。初めてをきたねぇオッサンに奪われる前に、俺がやさしーく抱いてやるんだよ。な? 慈善事業だろ?」
『馬鹿言うな。オーダーは、さらって"ラピスラズリ"へ連れていけってところまでだ』
そうか、あたしはあの大男に掴まったあと、彼らの計画どおりに連れてこられたのだ、娼館に。
「あたし、娼婦なんかじゃない。帰りたいんだけど!」
「それは叶いません。あなたはここへ売られてきたのです。その代金分を稼ぐまでは、ここから出ることは許されません」
「代金を稼ぐって、どうやって……」
「ここは娼館ですから、花を売るのです」
穏やかな声で言いながら、メイドは慣れた手つきであたしを立たせ、Tシャツをさっと脱がせてしまった。気がつけば下着も脱いで、すっぽんぽんにされている。
花を売る、というのはつまり性を売るということだ。だからあの女主人は、あたしの中を触診したのか。
冗談じゃない。花など売ってたまるか!
と思うのに、今あたしはメイドに促されて大人しくシャワールームまで来てしまった。
いや別に、体を清めるのは花を売るためじゃない。走ってかいた汗とTシャツの男臭さと、あたしを犯そうとした男の手の感触を洗い流したかった。
あたしは今、体中がべたついて気持ち悪かったのだ。
「じ、自分でやるからいいって」
「これが私の仕事ですので」
顔に似合わず強引だった。
メイドは石鹸と温かいシャワーを使って、手際よくあたしの体を清めていく。際どい部分にも遠慮なく手が伸びてきたが、そこに官能的な要素はなかった。それこそシンクの中でじゃがいもを次々洗っていくかのように、無感情な手捌きだ。
シャワーが終わると、メイドはあたしに下着と透け透けのネグリジェを着せ、ドレッサーの前に座らせた。そして顔を軽く上向かせ、液体とクリームをぺちゃぺちゃ塗りつける。続いてその上から化粧を施し始めた。
肌は薄塗りで整えられたが、アイシャドウやチークなどのポイントメイクは派手だった。特に頬は、一歩間違えれば、おたふくさんだ。
くらっとするような甘い匂いの香水まで掛けられて、まるで別人の自我を上塗りされるかのよう。
最後に、これまた派手な、胸元の大きく開いたドレスを着せられて、最終調整とばかりにブラジャーの中にガーゼを詰められる。現実世界でいうパットの役割だ。ドレスの胸元に、あたしらしからぬ豊満な谷間ができた。
髪をアップに整えられて、鏡に映る自分はすっかり娼婦らしくなってしまった。
そこへ再び女主人――マダム・サファイアが入ってきた。
「準備はできたかい? じゃあさっそく働いてもらうよ。今夜は人手不足なんだ」
むにっとした熱い手が、あたしの腕を掴んだ。その握力が思いのほか強くて振りほどけない。
そのまま娼館の廊下を引っ張られていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ。あたし、体を売ったりなんて」
「別に仕込んでもいない娘に初日から客をとれなんて言わないさ。あたしも鬼じゃないからね。あんたはただ愛想を振りまいてりゃいい。まあ、誰かに気に入られりゃ寝ても構わないが」
マダム・サファイアは豪奢な両開きの扉の前まで来ると、その片方の扉を薄く開け、中へあたしを押し込んだ。
「くれぐれも、粗相はするんじゃないよ」
背後で扉が閉まる。あたしは説明不足を訴えようと慌てて振り返り、扉に飛びついたが、無情にもガチャリと鍵の掛けられる音がした。
「なんなの……」
改めて室内を振り返る。そこには結婚式の立食パーティのような煌びやかな光景が広がっていた。