あたしよりもいくらか若そうな青年だった。シンプルな黒いスーツに、あたしが現実世界で見慣れている黒髪とこげ茶色の瞳。
端正な顔立ちをしているが、特徴的なところが何もないため、すぐに忘れてしまいそうな顔。まだ丸みの残った頬からは、発展途上の香りがする。
「うん、美味しいよ」
あたしは青年の質問に短く答えた。
「僕も食べようかな。おすすめあります?」
「うーん……ミートボールかな。甘辛いやつ。あそこのテーブル」
「ちょっと取ってきます」
青年はあたしの指差したテーブルに向かい、ミートボールを中心にいろんな料理を山盛りにして戻ってきた。あたしと同じような行動に、ちょっと好感が湧く。
いや、ここは娼館だし、この青年も女を買いにきた客なんだけど。
彼はあたしの隣に並ぶと、ミートボールをひと口で頬張った。けっこう大きいから、あたしは半分に切って食べていたのに、なかなか豪快だ。
「ほんとだ、濃いめの甘辛いソースが美味しいですね」
「でしょ。白ご飯欲しくなるよね」
「シロご飯?」
「あ、ううん、忘れて」
そういえば、この世界で米は見たことがない。少なくとも、この国では主食として浸透していないようだ。ご飯を食べない人種からすると、口内調味の感覚もわからないだろうから、この話はここでおしまいだ。
青年はミートボールを頬張りながら話す。
「あなたも娼婦なんですか?」
「まあ、一応」
と答えてみる。この格好で「メイドです」と嘘をつくのも変だろう。
「全然それっぽくないですね」
「ついさっき無理やり娼婦にされたばっかりだからね」
「えっ、それって人身売買とか?」
「そうそう、気づいたら売られてたの。で、着替えさせられて、バチバチ化粧キメられて、ここに放り込まれた」
「それは災難でしたね」
「あなたこそ、娼婦を買いにきた客って感じじゃないけど」
「ああ……そうですね。変なおせっかいをする人がいて、連れてこられたっていうか」
「へぇ、そんなこともあるんだ?」
青年は困ったように微笑みながら続けた。
「僕、アレオン教徒なんです。だから25歳になるまでは、女性とそういうことしちゃいけないんですけど……男がそんなんでどうするとか、なんとか」
「ふうん。面倒な親父って感じ」
「あっ、そうなんです。面倒な親父――父なんです。父自身も、アレオン教徒なんですけどね」
「そうなんだ? 率先して息子に教義破りさせるの? なんで?」
「父いわく、25歳になるまで禁止という教義は、一部では形骸化しているらしいんです。周りを見てください。若そうな男性もいるでしょう?」
見回してみると、確かに青年の言うとおり、25歳に満たないように見える男もいた。
「聖堂で見かけたことのある顔もいます。ただの信者だけでなく、聖職者の顔も。嫌になっちゃいますよね。父にこっそり問いただしたら、この地下街の娼館には、地上で身分ある人たち……貴族や聖職者がこっそり欲を満たしに来るんですって。25歳未満の神父様だって身分を隠して来るらしいんです。うんざりしちゃいます。僕が生まれてからこれまで信じてきたアレオン教は、どうなっちゃったんでしょう」
青年の苦悩を聞きながら、あたしは言葉に詰まった。
アレオン教とはいったい何なのだろう。そもそも宗教とは何なのか。現実世界で無宗教だったあたしには、よくわからない。
宗教に裏の顔があるのも、仕方のないことなのだろうか。セラディスはこういう現実も知ったうえで神父をしているのだろうか。
いろいろ考えを巡らせていると、ウェイターがやってきて青年に耳打ちをした。
ウェイターは青年の手から食べかけの皿をやや強引に引き取ると、青年の背を押し、手持ち無沙汰にしている別の女のもとへ導いていく。
せっかくの客を、変な女とつるませてはおけない、というわけだ。
青年は歩きながら振り返り、あたしにぺこりと頭を下げた。表情がなんとも嫌そうだったが、信心深そうな彼はきっと、娼婦の自尊心を傷つけないように上手く断るのだろう。
あたしは再びひとりになった。
四度目のお代わりをし、食事を再開していると、今度は別の男が近づいてきた。
ジャケットの前合わせ部分に金の刺繍が施されたスーツを着た、華やかな中年男。すらっとしていてスタイルがいい。イケオジといっても過言ではない。
そして、なんだか金持ちのにおいがする。元夜職のあたしの勘だ。
『くれぐれも、粗相はするんじゃないよ』
女主人の言葉が脳裏をよぎり、あたしは口に運びかけたサーモンのカルパッチョを静かに皿へ戻した。