曹操は、自分が皇帝になるつもりはなかった。少なくとも、天下平定が成るまでは。
もしなろうとすれば、なれたはずである。
董卓は皇帝を交代させた。袁術は仲の皇帝になった。
ふたりよりも遥かに実力があり、天下の半分以上を領有していた曹操がその気になれば、帝位簒奪は困難ではなかった。
天下統一を成し遂げたときには即位してもよいが、それまでは控えよう。
漢王朝の権威を利用し尽くす。利用価値がなくなるまで。
国内に敵がいるうちは、劉協に皇帝の座を預けておいた方がよい。
曹操はそんなふうに考えていた。
しかし、劉王朝は腐り切っており、いずれは曹王朝を開かねばならないとも思案していた。
じわりと皇帝の座に近づいておき、後継者はすんなりと即位できるようにしておきたい……。
212年、荀彧が死去した。
その年、曹操は魏公の位に昇り、九錫を与えられた。
九錫とは、普通は皇帝にしか使用が許されないものである。
一錫の車馬。
二錫の衣服。
三錫の虎賁。
四錫の楽器。
五錫の納陛。
六錫の朱戸。
七錫の弓矢。
八錫の鈇鉞。
九錫の秬鬯。
「荀攸、私はこんな特権がほしくて、魏公になったと思うか」
曹操は、荀彧の後任の尚書令、荀攸に問いかけた。彼は首を振った。
「閣下は、飾り立てたものより、実質的なものを愛されていると思います。野を駆ける狩り、気の置けない者との酒、真に芸術的な文学……」
「そのとおりだ。ではなぜ荀彧を殺してまで、魏公にならねばならなかったか」
「先の先を見据えてのことでしょう。天下をどう治めるべきなのか、王朝はどうあるべきなのかを考えておられる」
「力ある者が治めねば、戦乱はいつまでもつづく……」
曹操は、天下平穏のために、いずれは曹王朝をつくらねばならないと考えていた。
だが、単なる名誉欲で皇帝になりたいなどと思ったことはない。
後年、曹王朝が弱体化し、司馬王朝に取ってかわられるのだが、曹操が天国か地獄でそれを知ったら、「やむを得ぬ」とつぶやいたにちがいない。
216年、曹操は魏王になった。
王位についたことに対して、いくつかの反発があった。
耿紀の許昌での蜂起、魏諷の鄴での反乱。
なによりも大きな反発は、劉備が漢中王と称したことである。
これにより、魏、呉、蜀の三国戦争時代が本格的に始まっていく。
動乱の時代はまだまだ終息の気配を見せない。
次世代へと引き継がれる勢い。
曹操は、漢中王のことを知ってつぶやいた。
「荀彧、私はまちがっていたのだろうか……」
218年、呂蒙に討たれた関羽の塩漬けの首が、孫権のもとを経由して、曹操に送りつけられた。
かつて配下にしたいと熱望した男の変わり果てた姿を見て、曹操はふいに戦争の虚しさを感じた。