卒業式も入学式も、桜は咲かない。
それが山形に生まれ育つ女子高生の宿命だ。
満開の花の下で、卒業証書が入った筒を手に肩を寄せ合って撮る写真も、校舎裏に忘れられたように咲く木の下での涙の告白も、ない。
私が高校に入学したその年も、すっかり新しい学校とクラスに馴染んだ四月の暮れ。ほとんど初夏と言ってもいい頃に、ようやく桜は見ごろを迎えていた。
「なづなちゃん、栄養学の小テストどうだった?」
「あー……最後の問題、見事に引っかかっちゃった」
「うわっ、だよねぇ~。問題ちゃんと読んでたら百点満点だったのに~」
桜の咲かない春、私は、地元の高校――
産業高校とは、農業高校と工業高校と商業高校のいいとこどりみたいなもので、私は商業科調理コースに在籍している。
クラスメイト全十名という中で、ほとんど全員友達みたいなものだけど、中でも仲良しになったのが、このすずめちゃんだ。
実家は青森で町中華をやっているという。
小さくて、コロコロして、すずめというより小型犬みたいな子。
「なづなちゃん、そろそろ部活決めた?」
「んーん。なんかもう、ここまで来たらいいかなって」
この
「とっくに体験入部期間終わっちゃってるし。新入生の歓迎会だって終わってるでしょ。そこに今さらってのもねー」
「興味ある部活とかなかったの?」
「うーん、強いて言えば園芸部とか? 無農薬野菜の味は興味ある……けど、やろうと思ったら家の畑でもできるんだよねぇ」
「あはは、田舎者の
「それに、家の手伝いもしなきゃいけないし」
「じゃあ、暇ってことだね!」
「え?」
話聞いてた?
家の手伝いあるから暇ではないよ?
バイト代は『月の小遣い』という名の寸志しかないけど、家の手伝いは私にとっては立派な修行の場だ。何の修行かって言われれば、プロになって、お店を継ぐなり自分のお店を持つなりのための。
だから、部活をやっている暇なんてそもそもなくって、体験入部だって意図的に行かなかった。
興味のある部が無かったのもあるけれど。
「失礼します」
不意に、教室の入り口のほうが色めき立った。
開け放たれた扉の向こうで、最敬礼四十五度で挨拶をする女生徒がひとり。
さらりと靡く黒髪は短く切りそろえられ、間から整った顔立ちが覗く。
すらっと伸びた背の印象もあって、一瞬男性アイドルグループのメンバーか、歌劇団の男役かと思ってしまったほどだ。
教室に入って来たイケメンは、クラスの女子たちの視線を一心に受けながら、まっすぐ私の方に向かってくる。
突然のことにびっくりして、思わず前髪チェックしちゃったりなんかして。
いざ覚悟を決めて対面しようかという時に、すずめちゃんの溌溂とした声が響いた。
「
「お疲れ様。すずめ、この子が?」
「はい、そうです!」
瀬李と呼ばれた上級生は、澄んだ瞳で私をまじまじと見下ろす。
そんなに見つめられると恥ずかしくて顔を逸らしたくなってしまうが……それにつけても顔がいい。反則。レッドカード。退場――はしなくても良いけど。
「えっと……はじめまして?」
どうにか口にできたのは、視線を泳がせながら発したそんな言葉だけで。
だから、先輩が返事をするのに少しだけ時間がかかっている間に、どんな顔をしていたかなんて、まったく見ていなかった。
「そうだな、始めまして。剣道部二年の西川瀬李です」
「あ……えっと、山辺なづなです」
「うん、聞いてるよ。すずめから」
また、すずめちゃん――って、そうか。彼女、剣道部だっけ。そんな話を聞いた覚えがある。
わざわざ青森から山形の高校に通って、しかも剣道。
ますます、彼女がこの高校を選んだ理由に謎を感じるけれど、今はそれよりもこのイケメンだ。
「あの、何か用でしょうか……?」
「山辺なづなさん。ご実家は、商店街の方の定食屋――で間違いないね」
「そう、ですけど」
「料理は好き?」
その問いに、言葉が詰まる。
好きか嫌いかで言われたら好きだけど、質問の意図が分からない。
そもそも初めて会った相手に対して不躾だし。
私は、ちょっぴりムッとしながら頷き返す。
「好き……ですけど?」
「うん、良いね」
瀬李先輩は、笑顔で頷くと、私に向かって手を差し伸べる。
真っ白ですべすべしたきめ細やかな肌――しかし、その指の付け根は触らなくても分からないくらいにゴツゴツと固く盛り上がって、小指と人差し指なんかはできたばかりのマメだか傷だかを労わるように、真新しい真っ白なテーピングが巻かれている。
こんなボロボロの手、見られて恥ずかしい――なんて様子は微塵もなく差し出されたその手を、綺麗な髪や、整った顔立ち以上に、私は、何よりも美しいと思った。
「マネージャーをやってくれないか? 剣道部の」
「……へ?」
美しい手に見とれていたせいで、変に鼻から抜けたような返事をしてしまった。
慌てて咳払い交じりに取り繕う。
「マネージャーって、私、剣道とか全然、知らないですけど」
「大丈夫! どっちかって言うと、合宿所の運営のお手伝いって意味のほうが強いから!」
「合宿所……?」
すずめちゃんが言うに、左沢産業高校剣道部は、専用の部活寮を持っているらしい。
学内に農産科用の実習寮があるとは聞いていたけど、部活動の専用寮があると言うのは初耳だった。
いや……それもすずめちゃんから、何となく聞いたかな。
私がちゃんと聞いていなかっただけかもしれない。
「寮と言ってもシェアハウスみたいなもので、掃除や洗濯、ご飯の支度まで、すべて寮生が協力して行っている。だから、ほとんど合宿所と言った方が正しいんだ」
瀬李先輩が補足してくれるけど、そもそも運動部経験のない私には、その寮と合宿所の違いというものがいまいちピンと来ない。
「つまるところ、なづなさんにはマネージャーとして合宿所でみんなの食事を作って欲しい」
何も考えずにちょっとだけ楽しそうだなと思ってしまった私だったが、その心は、彼女の言葉でスッと、自分でもびっくりするくらいあっさり冷めきってしまった。
「もちろん、丸投げするつもりはない。家事も料理も、寮生みんなで協力して行う。その陣頭指揮を執ってもらうのがマネージャーだ」
「今は、三年生の先輩マネージャーが居るんだけどね。夏には引退しちゃうじゃん。二年生には誰も居なくって、後任を探してるって言うから。だったら、なづなちゃんどうかなーって推薦してみたの」
「せっかくですけど、お断りします」
「えー、どうして!?」
今にも詰め寄る勢いのすずめちゃんを制して、先輩が優しく問いかける。
「理由を聞いても?」
「いや、聞いてるだけで大変そうですし。勉強とか、やらなきゃいけないこともいっぱいで」
「ウチ、勉強しながら部活も頑張ってるよ!」
「すずめちゃんは、ほら、私、家の手伝いもあるし」
「確かに、大変な仕事を頼んでいるのは承知だ。ただそれでも、私は――」
先輩は、何かを言いかけて、はたと口を噤んだ。
それから言葉をかみ砕くようにして、続ける。
「いや、すずめの話を聞いて、キミが良いなと思ったんだ」
「……それは、ありがとうございます?」
「答えはすぐにくれ、とは言わない。考えておいて貰えないかな」
口ぶりからして、どうやら諦めるつもりはないみたい。
またこの顔を拝めるのは、嬉しいような、ありがたいような、そんな気持ちはあるけれど。
でも、こればかりはどうしようもないというか……私自身の問題だ。
「じゃあ、入部試験をしてくれませんか?」
「試験……うん?」
私の提案に、先輩が頷くような、首をかしげるような、曖昧な返事をする。
「立場が逆じゃないか? 私が課すならまだしも、こっちは、なづなさんがマネージャーになってくれることに対して、なんの憂いも不満もないよ」
「いえ、だからこそお願いします。そうすれば、たぶん
押し切るような提案に、先輩は半信半疑ながらも承諾してくれた。
入部試験――そう、食べて貰えば一発で
私が、他人に料理を作ってはいけない理由が。