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第22話 聞き込み捜査 ~牛乳寒天~

 部長たちから大仏おさらぎ先輩の件を引き受けてからすぐ、私はとある部員に連絡を取った。

 メッセージを送るとすぐに会えるということだったので、自分の部屋に呼ぶ。


「それで、話というのは?」


 部屋にやってきた歌音さんは、畳張りの部屋に綺麗に正座をして、まっすぐ私を見つめた。


「ちょっと聞きたいことがあったんだけど……その前に、良かったら食べる?」

「これは?」

「牛乳寒天。デザートで出せないかなって試作したんだけど」

「いただきます」


 涼しげなガラスの器に盛られた、ぷるりと震える乳白色のキューブ。

 牛乳寒天は、普段の調理器具で簡単に作れる即席デザートだ。


 用意するのは、新品の牛乳と粉寒天と砂糖とお鍋。以上。

 開けたての牛乳を、とりあえずコップ一杯くらい飲んで英気を養う。

 残りの牛乳は常温に戻すか、面倒だったら軽くレンチンをして温めておく。

 ヒエヒエだと、寒天と混ぜる段階で変に固まっちゃったりするので、ここが一番大事なポイント。


 お鍋に水溶き寒天を入れて火にかけ、沸いてきたらお好みの甘さになるまで砂糖をよく溶かす。

 それから、牛乳をお玉とかで一杯ずつ、入れては混ぜ、入れては混ぜと、火にかけながら少しずつ水溶き寒天に馴染ませていく。

 家にあるなら、泡だて器とかを使うと綺麗に混ざって良い。


 牛乳が全部混ざったら、中身のなくなったパックを洗って、できれば熱湯で消毒もして、鍋の中身を熱々のまま注ぎ込む。

 最初にコップ一杯飲んだのは、水溶き寒天の分がパックから溢れないようにするためだ。

 別に飲まなくても良いんだけど、手っ取り早いので私は飲んじゃう。


 あとは蓋を洗濯バサミやテープで止めて、冷蔵庫で固まるのを待てば完成だ。

 サイコロ状に切って、透明な器に盛ると見た目も映えてGOOD。


「どうかな? ちょっと甘みが足りないかなって。本番では、もう少し砂糖入れるつもりなんだけど」

「私、あんまり甘いの得意じゃないので、このくらいでちょうどいいです」

「え、甘いの苦手な女子とかいるんだ」

「なづなさん、それ偏見」


 歌音さんに、ピシャリと言い切られる。

 いや、冗談のつもりだったけどさ。

 そんなにキッパリと言わなくってもさ。


「うーん、じゃあ寒天の甘さはこれくらいにして、トッピングでも用意するかぁ」

「いいですね。黒蜜とかならかけたいです」

「考えとくね。ありがとう」

「それにしても――」


 甘いデザートを食べて、少しは気が緩んだのか、歌音さんはまじまじと部屋の中を見渡した。


「ひとり部屋だと広々と使えていいですね」

「真帆先輩が引退しちゃったからね。かといってマネージャーの生活サイクルと、部員の生活サイクルが違うから、一緒にもできないし」

「マネージャーを増やしたりしないんですか?」

「今でも回せてるっちゃ、回せてるんだよね。大変は大変だけど、歌音さんたち選手も、必要な場面では手伝ってくれるし。だから、無理に人を探さなくってもって感じで」

「そういうものなんですね」

「あー、それでね、話ってのはその部屋のことで」


 口も軽くなってきたところで、ようやく本題に入る。


「歌音さんって、寮の部屋、大仏先輩と一緒だよね?」

「そうですけど、それが何か?」


 そう、彼女は、大仏先輩と寮の同室なのだ。

 普段から寝食を共にしているわけで、その辺の部員よりは情報を持ってるんじゃないかと見込んで声をかけさせて貰ったのである。


「大仏先輩って……その……どんな人?」

「はい?」


 歌音さんの、怪訝な顔と返事が返ってくる。

 まあ、そうだよね。

 こっちもどう聞いたらいいか分からなくって、無難なところで濁したら、こんな聞き方になってしまった。


「うーん、とりあえず静かな人ですね。ほとんど会話はありませんし。言葉を交わすのは、事務連絡的なことくらいです」

「事務連絡?」

「朝練行くね、とか。ご飯行くね、とか。電気消すね、とか」

「ああ、そういう」

「ぼーっとしてるように見えて、何でもテキパキやってしまう人なので。気づくと準備を済ませてて、ひとりで先に行っちゃうような」


 なんとなくイメージはついた。

 しかし、この調子だと歌音さんに聞いたところで、あんまり情報は得られなさそう……かも。


「じゃあ、話してないときはどんな? 例えばこう……物憂げに考え込んでたり、時おり溜息をついたり、はたまた妙にむしゃくしゃしてたりなんてことは……?」

「そういうのに気付くほど、人を四六時中まじまじと見つめてませんけど。あ、部長のことは別ですよ。今日なんか、稽古が終わって面を外した瞬間、ちょうど道場の窓から風が吹いて、髪の毛がファサァって。それはもうファサァって。あれは絵画のような光景でした」


 何それ、見たかったんだけど。

 いや、しかし、歌音さんの言うことはもっともだ。

 興味がなければ、ふとした日常の光景なんて気にも留めない……か。


「というか、例がやけに具体的すぎませんか? 大仏先輩に、何かあったんですか?」


 歌音さんのジト目が、不審げに私の目を見る。

 ちょっと、功を焦ってしまったかも。

 仕方なく、私は事の顛末を彼女に話した。


「なるほど、大仏先輩の調子が悪いと。私も、彼女を知ったのは高校に入ってからのことですが、選手としての立場で見ても、確かにあまり実力のぱっとしない人ですね。もちろん、沢産剣道部に属するだけのレベルはありますが」

「うん。なんていうか……申し訳ないけど『部の中で特別強い!』って雰囲気はないよね。部長や、はー子先輩みたいな」

「あのふたりに匹敵するというのは、ちょっとイメージが湧かないです」


 ふたりで頷き合う。

 剣道をほとんど知らない自分の見立てなんて当てにならないので、こうして経験者に同意して貰えると安心できる。


「ただ……その点で言うなら、すみません、私にはあまり力になれないと思います。今言った通り、部屋が同じってだけでほとんど会話もありませんし」

「ううん。こっちこそごめんね、無理言っちゃって」

「ただ、ひとつだけ気になってることがあるんですが」

「え、何? 何?」


 この際、少しでもきっかけが欲しい。

 歌音さんは、食い気味に聞き返した私の鼻先に向かって、指をさす。


「なづなさんって、西川派ですよね。良いんですか? 敵に塩を送るような真似をして」

「敵?」

「仮に、大仏先輩が実力者だとするなら、調子を取り戻せばレギュラー入りは堅いでしょう。そうなると、現在のレギュラー候補の下位層――すずめさんか、鈴奈先輩がレギュラー落ちすることになってしまいます。良いんですか?」


 はじめ、彼女が何を言っているのか、自分の中でかみ砕ききれていなかった。

 しかし、徐々に増してくる現実味。

 親友か、一度は頑張れって応援した先輩か。

 そのどちらかが、レギュラー入りという栄誉を掴み損ねる可能性がある事実が、急に心に影を落とす。


「私は……その、マネージャーだから。どっち派とか、意識したことはないよ」


 どうにか絞り出したのは、そんな返事で。

 少なくとも、言葉自体に嘘を言ったつもりはない。


「そうですか? なら、いいですけど」


 歌音さんも、納得した様子で引き下がった。


「そういうことなのだとしたら、九条派の先輩たちに話を聞くのが手っ取り早いと思います。昨年度までの大仏先輩を知っている彼女たちなら、私みたいなでは気づけない機微にも理解があるかも」

「瀬李部長も、そう考えてはー子先輩に掛け合ってみたけど、ダメだったって」

「もうひとり居るじゃないですか」

「もしかして……安芸あき先輩のこと?」


 口をついて出たのは、二年生のもうひとりの九条派の名前だ。

 同時に、得も言われぬ拒否感と倦怠感が、身体にずんとのしかかる。


「うー……あー……でも、それしか無いのかあ」

「話せば悪い人じゃないですけどね」

「それは、そうなんだろうけどさあ」


 安芸先輩は、九条派の最たる重鎮だ。

 はー子先輩の右腕――いや、恐れを知らずに言うなら、熱狂的な信者であり、腰巾着。


 そして、私がこの部の中で一番苦手としている先輩だ。

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