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第23話 九条さんが通る

 安芸あき先輩――二年生。工業科。

 みんな「安芸」と呼ぶので、大仏おさらぎ先輩と同じく、下の名前は知らない。

 出身は、確か四国のほうで、九州出身の歌音さんに次ぐ遠方からの越境組だ。


 西のほうだって、ほかにいくらでも強豪校の選択肢があるだろうに。

 それでも山形の片田舎にあるこの高校を選んだ理由は、ひとえにがいるから――というのは、鈴奈先輩情報だ。

 安芸先輩によるはー子先輩の評価は、同世代の実力ある剣士として、尊敬を越えて崇拝の域だという。


 だからこそ、西川派筆頭の瀬李先輩が部長になったことに納得がいかず、何かと派閥争いの火種を撒く厄介な人……というのが、私から見た彼女である。


 寮の部屋も同室で、文字通り四六時中はー子先輩の傍にいる。

 なかなかひとりになる機会がなく、話しかけるタイミングもない。

 別にはー子先輩がいる横で声をかけても良いんだけれど……部員たちから、生粋の西川派だと思われている手前、九条派ふたり(しかも片方は筆頭)を同時に相手にするというのは、ちょっと荷が重い。


 だから、狙うチャンスは一点きり。

 週に一度、安芸先輩が食後の洗い物当番になった日だ。


 ――ということで、今日がその日なのだけど。

 炊事場には、すごく気まずい……というか、ひたすらの無言と、洗い物の音だけが響いていた。

 たいてい洗い物当番は、二人一組で行われるのだけど、今回の安芸先輩の相方は歌音さん。

 ちょっとでも知ってる人が居てラッキーというか、安心ではあるんだけど、会話がない。


「おい、大皿ってどこだ」

「あ……えっと、右の棚の下の方です」


 きまずい……けど、突破口を見つけなければ。

 ほかにチャンスなんて無いんだ。

 せめて、事情を知る歌音さんの援護射撃でもあれば。


 無いもの強請りで、歌音さんに視線を送ってみる。

 気づいたらしい彼女は、しばらくぽかんと見つめ返していたけど、やがて「なるほど」と納得した様子で頷いてくれた。

 届いたかな、アイコンタクト。


「そろそろ、新人戦のオーダーが決まるころですね」

「なんだよいきなり」

「夏合宿の勝ち抜き戦で、だいぶ順位の変動があったので。その……大仏先輩、どうしちゃったんでしょうね?」

「あ?」


 安芸先輩の、不機嫌そうな重低音が響いた。


 歌音ちゃん、それはど真ん中ストレートすぎ。

 もうちょっと段階って言うか、自然な話題の誘導っていうか。


 ああ、でも、「やってやりました」みたいないい笑顔で親指立ててる!

 ありがとう!?


「ウチらが気にしたとこで、本人にやる気がねーんじゃしゃーねーわ」

「やる気がない?」

「あ?」


 思わず口を突いて出た言葉に、安芸先輩の不機嫌センサーがこちらを向いた。


「何、話に割って入ってんだよ」

「え、すみません……気になる話題だったとこで」

「なんで気にすんだよ。あ、お前まさか、大仏のこと西川派に引き抜こうとか考えてんじゃねーだろーな!?」

「そんなことは!? というか私、どっちの派閥にも属してるつもりないですし!?」

「はー? 西川派だろテメー。西川が連れて来たマネージャーだろーが」

「確かに、経緯はそうですけど、それとこれとは別の問題というか……てか、今はそれより大仏先輩です!」


 水掛け論だし、説明したところで信じて貰えなさそうだし、ちょっと強引だけど話を前に進める。


「ほんとはすごい強いって聞いてたんですが……」

「聞いたって、誰にだよ」

「え? それは、その……いろんな先輩に?」


 瀬李部長からって言ったらまた話がこじれそうなので、仕方なくぼかす。


「あー……チッ、まあ、実力はあるよ。九条サンの次くらいにはな」

「部長と比べると?」

「あ?」

「何でもないです」


 ダメだ、余計な事は言わないでおこう。


「年度が変わってから、特に調子が悪いと聞きますが」


 歌音さんから、再びの援護が飛ぶ。

 今度はナイスタイミング。


「ああ、まあ、だろうな」

「だろうな……って、原因知ってるんですか?」

「知ってると言えば知ってるし、知らんと言えば知らん」

「ええ?」

「知ってたところで、話す義理はねーよ」


 うーむ、やっぱりそういう感じか。

 これじゃあ、はー子先輩に尋ねた瀬李部長といっしょだ。


「でも……大仏先輩が、それほどの実力者なら、新人戦、選手として戦って貰ったほうが良いですよね?」

「一年坊主が何生意気言ってんだよ、コラ」

「坊主って」

「テメーにそんなこと言われなくったって、部員みんな当たり前に考えてんだよ」

「はい……すみません」


 ダメかぁ……敵城陥落ならず。

 はじめから期待していたわけではないけれど、結局、何も情報は得られず……かな。


「なんや、おもろそうな話してはりますなぁ?」


 ねっとりした声に振り返ると、入り口にはー子先輩が立ってた。

 げげ、なんでこのタイミングで。


「九条サン、どうしたんスか、こんな時間に?」


 安芸先輩が、それまでのガラの悪そうなヤンキーそのものの態度から、うって変わって背筋を正して、爽やかスポーツマンに変わり身する。

 その間、一秒にも満たない。


「水出しのお茶が無くなったから、作りに来たんよ。そしたらなんや、ずいぶん楽しそぉな会話を耳にしたもんで」

「そんくらい、自分がやるのに! 貸してくださいよ」

「そう? じゃあ、頼むわ」


 ぬるりと炊事場に足を踏み入れたはー子先輩は、カラになったガラスピッチャーと、水出し緑茶のパックを差し出す。

 受け取った安芸先輩が、ピッチャーを綺麗に洗って支度をしている間に、はー子先輩は手持無沙汰に私を見た。


「それで、何の話をしとったの?」


 とか言っておきながら、薄い笑みを湛えたその表情は、まるで答えを知ってるかのようだ。

 思わずたじろいでしまうけど、安芸先輩のいる手前嘘を吐くわけにもいかず、正直に白状した。


「……大仏先輩のことを」

「へぇ、なんや、部長はんの差し金かいな」

「あぁ?」


 安芸先輩が、洗い物をしながら怒気を孕んだ声と顔で振り返る。

 だから言いたくなかったのに。


「ウチも聞かれたわぁ。大仏はんが調子悪いけど、何か心当たりは無いかって。せやから、答えたんやけどな。本人に聞きぃ――って」

「でも、聞いても本人は答えてくれないって」

「本人が言いたくないなら、しゃーないやろ」

「このままってわけにもいかないでしょう?」

「なんで?」


 はー子先輩の、真っすぐな瞳に捉えられて息を飲む。


「本人がそっとしておいて欲しいなら、放っておけばええやん」

「新人戦の前ですよ? 部としても、大仏先輩が復活するなら、その方が――」

「別に、困らんよ。大仏ちゃんが戦えんのやったら、他の子が戦うだけ。選手層が厚いのがウチの部の良いところやろ?」

「そんな……薄情じゃないですか?」

「薄情? ウチは完全実力主義。メンタルに左右されるのもそのうち。傷心ひとつで落ちるくらいなら、その程度の選手やったってことちゃう?」

「それは……」

「それに、今の大仏ちゃん以上にやる気があって頑張ってる選手が、彼女を追いこして大会で活躍してくれるなら、ウチは嬉しいけど?」


 気持ち的には、と言いたい。

 でも、私もこの部で三か月過ごして、夏合宿も経て、というものを理解し始めている。

 この部においては、はー子先輩の言っていることこそが正しい。


 たった五人分しかないレギュラー枠を、三〇人近い部員で取りあっている。

 相対的に実力の差はあっても、そのほとんどが地方大会では上位レベルの実力者だ。

 みんなが虎視眈々と、レギュラーの席を狙っている。

 、なんてひとりも居ない。


「……それでも、もし何か悩みがあるなら、人として放っておけないです」

「人として?」

「はい」

「へぇ」


 はー子先輩の表情から、ふっと笑みが消える。

 その瞬間が妙に恐ろしくて、背筋がぞくりと震えた。


「なづなはんは優しいなぁ。マネージャーの鑑や」


 それも一時のことで、彼女はすぐにニコリと笑みを浮かべていた。


「九条サン、汲み終わりましたよ」

「ほな、部屋に戻ります」


 安芸先輩からボトルを受け取って、はー子先輩は、私たちを横目に軽く会釈をする。


「どうぞ、おきばりやす」


 そう言って、炊事場を後にしようとした瞬間だった。


「誰かー! 来て! はやく!」


 どこかから、悲鳴も似た叫び声が聞こえた。


「え、何です?」

「悲鳴……?」

「誰だ?」

「せやなくて、どこから?」


 当然、炊事場は騒然とするが、次いで響いた悲鳴にそのすべての答えが詰まっていた。


「お風呂場で、大仏先輩が倒れてる! 誰でも良いから来て!」


 それが、たった今この場で話題にしていた人物の大事であることに偶然ではなくを感じてしまったのは、私の思い過ごしであって欲しかった。

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