「おそらくは、長湯で
「分かりました。夜中にすみませんでした」
「今夜は、私も宿直室に泊まりますので、何かあれば声をかけてください」
そう部長に言い残して、赤江先生は部屋を後にした。
湯船で倒れていたという大仏先輩は、数人がかりで、使われていない客室のひとつへと運び込まれた。
意識はあるのか無いのかよく分からない状態で混濁していて、少なくとも立ち上がれるような状態ではない。
「ひとまず、明日まで様子を見よう」
「あの……私は?」
「歌音は、いつも通り自分の部屋で休んでくれ。心配をかけたな」
「いえ」
瀬李部長は、心配そうに部屋の様子を伺う歌音さんを、そう元気づける。
「とはいえ、大仏をひとりにはしておけないよな」
「だったら、私がついてましょうか?」
自然と、自分の手が上がった。
「いいのか?」
「幸い、明日は土曜日ですし。それに元々ひとり部屋なので、部屋人に迷惑をかけることもないですし」
「分かった……悪いが、頼まれてくれるか?」
「はい」
これもマネージャーの務めだと思って、特に負担だとも感じなかった。
それ以上に、後輩を元気づけておきながら、自分も不安はぬぐい切れない顔をしてた部長のことを、放っておくこともできなかった。
やがて、野次馬含めて解散が言い渡される。
布団の中で眠る大仏先輩とふたりきりになり、部屋に静寂が訪れた。
部屋の温度、大丈夫かな?
比較的涼しいけど、エアコン付けたほうがいいかな?
水枕、ぬるくなってない?
なんて、はじめのうちは「何かしなきゃいけない」一心で部屋の中を右往左往していたけど、やがてはそれも落ち着いて、壁際に膝を抱えて座り込む。
大仏先輩、なんでお風呂なんかで倒れてたんだろ。
そういえば、初めてお風呂で会った時にも、サスペンス劇場と間違える感じで浮かんでたっけ。
お風呂……いつもの時間に行ってたら、こうなる前に助けられたのかな?
チームと大仏先輩のためを思ってやっていたことで、結果的に彼女を弱らせてしまうなんて。
運が悪かったと言えばそこまでだけど、自分の選択に全く責任を感じないかと言われると、そういうわけにもいかなかった。
気が付くと、朝になっていた。
窓のすりガラス越しに差し込む日差しを浴びて、私は慌てて飛び起きる。
「あれ……毛布?」
「おはよう」
声がしたほうを向くと、大仏先輩が布団のうえで身体を起こしていた。
どこかぼんやりした表情はいつも通りだが、昨夜「着付けが早いから」と言って意識が無いところに着せた、民宿時代に使われていた浴衣姿が、どうにも深窓の病人感を演出して哀愁を放つ。
「これ、大仏先輩がかけてくれたんですか?」
「トイレに起きたら、何もかけないで眠っていたから」
「あ……りがとうございます」
看病するどころか、逆に看病されてしまった心地がして恥ずかしい。
「体調はどうですか?」
「少し……頭がぼーっとする」
「今日は、部活を休むようにって部長と先生が言っていたので、ゆっくりしていてください」
「……わかった」
彼女なりに状況は飲み込んでいるんだろうか。
特に根掘り葉掘り尋ねるようなことはせず、小さく頷いて天井を見上げる。
――ぐぅ。
突然、お腹の虫が鳴った。
「みんなの朝食作って、ついでに何か持ってきますね」
「食堂、行くよ?」
「ダメです。念のため、安静にしていてください」
病人には、ちょっと強く出るくらいでいい。
私は、子供を叱りつけるようにピシャリと言い切って、部屋を後にした。
炊事場で、いつもの通りにみんなの朝食を作る。
事情を知る部員たちからその後のことを尋ねられたので、とりあえず今は目覚めて元気にしていることを伝えた。
「さて、大仏先輩のご飯を作ろう」
みんなが食事をしている間に、私は炊事場でひとり、戸棚から土鍋を引っ張り出す。
実家では、家族の誰かが寝込んだと言えば決まってこれだ――鍋焼きうどん。
作り方は簡単。
お鍋にお湯を沸かして、冷凍うどんをひと玉投入する。
塊がほぐれたら、お鍋の要領で上に具材を並べる。
今日は、ほうれん草、ネギ、薄切りにしたニンジンとカボチャ、そして
病人食を考えた場合、
脂身の多いお肉は、当然のように避ける。
野菜なら、キノコや豆なんかを避けたほうが良い。
魚なら白身魚とかが適しているけど、練り物なら既にすりつぶしてあるので、さらに消化を手助けしてくれる。
これを、
噛むことで消化液である唾液が出るので、嚥下に吐き気を伴うとか、そもそも噛む体力が無いとかでなければ、うどんにするのがいつものことだ。
うどんをパッケージの表示時間くらい煮込んだら、醤油、だしの素、お酒を入れて、すりおろしショウガをお好みの量――できれば、たっぷり入れる。
溶き卵を回し入れたら、蓋をして、もう同じくらいの時間煮る。
卵にしっかりと火が通ったら、最後に水溶き片栗粉を小量入れて、スープにとろみを付けたら完成だ。
「おまたせしました」
お盆に取り皿を添えて鍋ごと部屋へ持っていくと、大仏先輩は、換気のために空けた窓からぼんやりと外の景色を眺めていた。
「こっち、座れますか?」
座卓の方へ呼ぶと、先輩は無言で頷いて、ペタペタと歩み寄る。
取り皿にうどんを盛って差し出してあげると、ちょっとの間、じっとお椀の中身を見つめてから、「いただきます」と両手を合わせた。
「……あち」
「あ、スープにとろみつけてるので、良く冷まして食べてください」
よほどお腹がすいていたのか、ひと口で啜ろうとした先輩が、顔をしかめる。
遅れた私の忠告を受けて、彼女はしっかりとふーふー冷ましてから、ちゅるちゅるとゆっくり、おうどんを吸い上げた。
「……美味しいね」
「ありがとうございます」
「なづなちゃんは、食べないの?」
「私は、あっちにみんなと同じのが――」
――ぐぅ。
口とは別に、お腹が返事をした。
それ見たことかと言わんばかりに、先輩が穴が開きそうなほど私を見つめるので、私は仕方なく頷き返す。
「じゃあ、私もちょっとだけ」
「ん」
先輩が、取り皿にお代わりをよそうと、鍋の残りを差し出してくれた。
私は、倣うように「いただきます」と手を合わせて、お箸代わりに取り箸を手に取る。
「ん~、美味しい!」
ちゅるんと飲み込まれたおうどんに、とろみのついたスープが良く絡んでいる。
薄口にしてもしっかりと出汁の風味を感じて、スープに溶けた栄養もとれるので、片栗粉は偉大だ。
なにより、たっぷりおろし入れたショウガ!
口当たりは爽やかな風味となって食欲を掻き立てるだけでなく、飲み込んでからはじわじわと内側から身体を燃やすような心地だ。
すぐに汗ばんできて、私は額を拭う。
「やっぱり、弱った時はこれですね」
「……うん」
相変わらず反応は希薄だけど、ぺろりと自分の分を平らげたところを見ると、少なくとも体調は良いほうに向かっているようだ。
ご飯を食べるのにも元気がいる。
しっかりと食べることで初めて、当たり前の日常を過ごすことができるんだ。
お腹がすく、ただそれだけで――