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第24話 お腹がすいた ~鍋焼きうどん~

「おそらくは、長湯でたのでしょう。今夜は水分をとって休ませて、明日も不調が続くようでしたら医院に連れていきます」

「分かりました。夜中にすみませんでした」

「今夜は、私も宿直室に泊まりますので、何かあれば声をかけてください」


 そう部長に言い残して、赤江先生は部屋を後にした。


 湯船で倒れていたという大仏先輩は、数人がかりで、使われていない客室のひとつへと運び込まれた。

 意識はあるのか無いのかよく分からない状態で混濁していて、少なくとも立ち上がれるような状態ではない。


「ひとまず、明日まで様子を見よう」

「あの……私は?」

「歌音は、いつも通り自分の部屋で休んでくれ。心配をかけたな」

「いえ」


 瀬李部長は、心配そうに部屋の様子を伺う歌音さんを、そう元気づける。


「とはいえ、大仏をひとりにはしておけないよな」

「だったら、私がついてましょうか?」


 自然と、自分の手が上がった。


「いいのか?」

「幸い、明日は土曜日ですし。それに元々ひとり部屋なので、部屋人に迷惑をかけることもないですし」

「分かった……悪いが、頼まれてくれるか?」

「はい」


 これもマネージャーの務めだと思って、特に負担だとも感じなかった。

 それ以上に、後輩を元気づけておきながら、自分も不安はぬぐい切れない顔をしてた部長のことを、放っておくこともできなかった。


 やがて、野次馬含めて解散が言い渡される。

 布団の中で眠る大仏先輩とふたりきりになり、部屋に静寂が訪れた。


 部屋の温度、大丈夫かな?

 比較的涼しいけど、エアコン付けたほうがいいかな?

 水枕、ぬるくなってない?


 なんて、はじめのうちは「何かしなきゃいけない」一心で部屋の中を右往左往していたけど、やがてはそれも落ち着いて、壁際に膝を抱えて座り込む。


 大仏先輩、なんでお風呂なんかで倒れてたんだろ。

 そういえば、初めてお風呂で会った時にも、サスペンス劇場と間違える感じで浮かんでたっけ。


 お風呂……いつもの時間に行ってたら、こうなる前に助けられたのかな?


 チームと大仏先輩のためを思ってやっていたことで、結果的に彼女を弱らせてしまうなんて。

 運が悪かったと言えばそこまでだけど、自分の選択に全く責任を感じないかと言われると、そういうわけにもいかなかった。




 気が付くと、朝になっていた。

 窓のすりガラス越しに差し込む日差しを浴びて、私は慌てて飛び起きる。


「あれ……毛布?」

「おはよう」


 声がしたほうを向くと、大仏先輩が布団のうえで身体を起こしていた。

 どこかぼんやりした表情はいつも通りだが、昨夜「着付けが早いから」と言って意識が無いところに着せた、民宿時代に使われていた浴衣姿が、どうにも深窓の病人感を演出して哀愁を放つ。


「これ、大仏先輩がかけてくれたんですか?」

「トイレに起きたら、何もかけないで眠っていたから」

「あ……りがとうございます」


 看病するどころか、逆に看病されてしまった心地がして恥ずかしい。


「体調はどうですか?」

「少し……頭がぼーっとする」

「今日は、部活を休むようにって部長と先生が言っていたので、ゆっくりしていてください」

「……わかった」


 彼女なりに状況は飲み込んでいるんだろうか。

 特に根掘り葉掘り尋ねるようなことはせず、小さく頷いて天井を見上げる。


 ――ぐぅ。


 突然、お腹の虫が鳴った。


「みんなの朝食作って、ついでに何か持ってきますね」

「食堂、行くよ?」

「ダメです。念のため、安静にしていてください」


 病人には、ちょっと強く出るくらいでいい。

 私は、子供を叱りつけるようにピシャリと言い切って、部屋を後にした。




 炊事場で、いつもの通りにみんなの朝食を作る。

 事情を知る部員たちからその後のことを尋ねられたので、とりあえず今は目覚めて元気にしていることを伝えた。


「さて、大仏先輩のご飯を作ろう」


 みんなが食事をしている間に、私は炊事場でひとり、戸棚から土鍋を引っ張り出す。

 実家では、家族の誰かが寝込んだと言えば決まってこれだ――鍋焼きうどん。


 作り方は簡単。

 お鍋にお湯を沸かして、冷凍うどんをひと玉投入する。

 塊がほぐれたら、お鍋の要領で上に具材を並べる。


 今日は、ほうれん草、ネギ、薄切りにしたニンジンとカボチャ、そして蒲鉾かまぼこ――は常備してないので、を切って入れよう。


 病人食を考えた場合、を、ということになるけれど、それってつまり「油分が少なく」て「不溶性食物繊維が少ない」食べ物を食べるということだ。

 脂身の多いお肉は、当然のように避ける。

 野菜なら、キノコや豆なんかを避けたほうが良い。

 魚なら白身魚とかが適しているけど、練り物なら既にすりつぶしてあるので、さらに消化を手助けしてくれる。


 これを、にするかにするかで意見が分かれるところだけれど、実家ではぶんが採用される。

 噛むことで消化液である唾液が出るので、嚥下に吐き気を伴うとか、そもそも噛む体力が無いとかでなければ、うどんにするのがいつものことだ。


 うどんをパッケージの表示時間くらい煮込んだら、醤油、だしの素、お酒を入れて、すりおろしショウガをお好みの量――できれば、たっぷり入れる。

 溶き卵を回し入れたら、蓋をして、もう同じくらいの時間煮る。

 卵にしっかりと火が通ったら、最後に水溶き片栗粉を小量入れて、スープにとろみを付けたら完成だ。


「おまたせしました」


 お盆に取り皿を添えて鍋ごと部屋へ持っていくと、大仏先輩は、換気のために空けた窓からぼんやりと外の景色を眺めていた。


「こっち、座れますか?」


 座卓の方へ呼ぶと、先輩は無言で頷いて、ペタペタと歩み寄る。

 取り皿にうどんを盛って差し出してあげると、ちょっとの間、じっとお椀の中身を見つめてから、「いただきます」と両手を合わせた。


「……あち」

「あ、スープにとろみつけてるので、良く冷まして食べてください」


 よほどお腹がすいていたのか、ひと口で啜ろうとした先輩が、顔をしかめる。

 遅れた私の忠告を受けて、彼女はしっかりとふーふー冷ましてから、ちゅるちゅるとゆっくり、おうどんを吸い上げた。


「……美味しいね」

「ありがとうございます」

「なづなちゃんは、食べないの?」

「私は、あっちにみんなと同じのが――」


 ――ぐぅ。


 口とは別に、お腹が返事をした。

 それ見たことかと言わんばかりに、先輩が穴が開きそうなほど私を見つめるので、私は仕方なく頷き返す。


「じゃあ、私もちょっとだけ」

「ん」


 先輩が、取り皿にお代わりをよそうと、鍋の残りを差し出してくれた。

 私は、倣うように「いただきます」と手を合わせて、お箸代わりに取り箸を手に取る。


「ん~、美味しい!」


 ちゅるんと飲み込まれたおうどんに、とろみのついたスープが良く絡んでいる。

 薄口にしてもしっかりと出汁の風味を感じて、スープに溶けた栄養もとれるので、片栗粉は偉大だ。


 なにより、たっぷりおろし入れたショウガ!

 口当たりは爽やかな風味となって食欲を掻き立てるだけでなく、飲み込んでからはじわじわと内側から身体を燃やすような心地だ。

 すぐに汗ばんできて、私は額を拭う。


「やっぱり、弱った時はこれですね」

「……うん」


 相変わらず反応は希薄だけど、ぺろりと自分の分を平らげたところを見ると、少なくとも体調は良いほうに向かっているようだ。

 ご飯を食べるのにも元気がいる。

 しっかりと食べることで初めて、当たり前の日常を過ごすことができるんだ。


 お腹がすく、ただそれだけで――

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