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第27話 決戦前夜 ~豚カツ~

「お、今日はとんカツ?」

「新人戦に勝つカツってか? が効いてんじゃん」

「どっちかって言うと、ダジャレだよね」


 稽古を終えて、シャワーを浴びた部員たちがぞろぞろと食堂へ押し寄せる。


「すみません、カウンターの運んでってください!」

「あいよ」


 揚げ油にかかりきりになっている私は、炊事場の中から大声をあげた。

 予定外のトラブル対処で時間をくってしまったせいか、もう夕食の時間ギリギリだ。


 から揚げは、菜箸で持てば揚がっているかどうかが震えとなって指先に伝わるけれど、トンカツはそうもいかない。

 だから、判断するのは音。

 ジュワジュワ言っていた揚げ音が、ピチパチ弾けるようなそれに代わったら頃合いだ。

 油の中からトンカツを引き上げれば、網の上で黄金色でザクザクの衣が立ち上がる。


 それを、千切りキャベツを布いたお皿の上に盛り付けて、ご飯と味噌汁とお漬物を添えれば、立派なトンカツ御膳の完成だ。


「ふぅ」


 最後の一枚を揚げ終えて、私は額に滲んだ汗を拭う。

 どうにか全部、綺麗に揚げることができた。

 自分の発注ミスのせいとはいえ、余計な気を張ることになってしまった。

 これもひとつの自戒として受け入れよう。


「それでは、いただきます」

「いただきます!」


 寮生が揃って、夕食が始まった。

 大会の前日とはいえ、お腹は減る。

 今だけは、緊張よりも食い気に走る女子高生たちが、ガッツガッツとご飯をかき込む。


「ん? このトンカツ、何か普通のと違う」

「あれじゃん。ミルフィーユカツとかいうやつ」


 そう、発注ミスでしゃぶしゃぶ肉を買ってしまった私の、苦し紛れの打開策。

 薄切り肉をミルフィーユみたいな層に重ねた、ミルフィーユ豚カツだ。


 薄切り肉を、間に繋ぎの小麦粉を振りながら層にする。

 やがて厚切り肉くらいの厚さになったら、改めて全体に小麦粉、卵、そしてパン粉をまぶして、豚カツのように揚げるのだ。

 肉が縮むと層が剥がれやすいので、脂身に切り込みを入れるか、フォークでたっぷり穴を空けるのがオススメ。

 最後のパン粉を、ぎゅっと体重をかけて、すき間なく押し付けるようにまぶすのも、揚げてる途中にバラバラになるのを防いでくれる。


「すみません。実は、発注するお肉を間違えちゃって」

「いいよいいよ。私、むしろこっちのが好き」


 平謝りの私を、寮生たちは笑って許してくれた。


「間に大葉挟んだり、チーズ挟んだりするのもあるよね」

「はい。でも、今日はあくまで豚カツとして食べて欲しかったので、プレーンな形で作りました」

「厚切り肉よりしゃくしゃく歯切れがよくて柔らかいし、層の間から溢れる肉汁が……うまし!」

「この層の間にソースがしみ込ませるのが、また旨いんだよね。ワンパクな感じがして」

「うう、そう言って頂けると救われます」

「でも、どうせなら肉厚の豚肉を噛みしめたかったよなぁ。歯食いしばってさ」

「安芸、せっかく作ってくれたもんに、何てこと言うん」

「さーせん」

「なづなはん、堪忍しとくれやす」


 はー子先輩はこれ、フォロー……してくれてるんだよね?

 笑顔の裏で何を考えてるのか分からなくって、ただ縮こまって会釈だけを返した。


 食事の時間が終わって、私は、ため息交じりに炊事場の後片付けをする。

 本当に情けない。

 大会を前に、みんなに気合を入れて貰おうと思っていたのに。

 妙に閉まらないというか、それこそミルフィーユカツみたいに中途半端にやわやわだ。


「なづな、ちょっといいか?」

「部長?」


 瀬李部長の声に、私は慌ててしょぼくれた顔を叩きなおして笑顔を浮かべる。


「どうしました?」

「いや、今日も美味しい食事だった。ありがとう」

「そんな……大事な試合の前に大失敗しちゃって、ガーンですよ」


 どうにか笑顔で答えられるのは、相手が瀬李部長だからだ。

 これがすずめちゃんとかだったら、泣き言が湯水のように湧き出していたかもしれない。


「そのことなんだが、すまなかった」


 突然、部長が深く頭を下げて、ぎょっとする。


「ど、どうして部長が謝るんですか?」

「ただでさえマネージャー業務で忙しいところに、大仏のことなど、いろいろ追加の苦労をかけてしまったからな。料理のことはいつもキッチリしてるなづなが、発注ミスなんて珍しい。よほど気を遣わせてしまったんだろう」

「そんなこと無いです! 私も、やりたくて引き受けたことですし」

「しかし、もとはと言えば、部長の私がどうにかすべき問題だった。だから、すまなかった」

「あの!」


 再び頭を下げた彼女に、私は居てもたってもいられず声をかける。


「部長こそ、なんでもかんでもひとりで抱えすぎです。部長だから、部長だからって」

「しかし、部長という肩書を背負う以上は、責任と義務がある」

「だったら、私もマネージャー長という肩書の、責任と義務があります」


 私にだって、マネージャーとしての誇りがある。

 ようやく、触りの触りくらいを手に入れただけかもしれないけど、それでも声をあげるくらい許されていいはずだ。


「頼ってください。私、瀬李部長の力になりたいです」


 部長は、ちょっとだけ驚いたように目を見開く。

 その間も、彼女の言葉を待ってじっと見つめ続ける私に、やがて柔らかく笑みを浮かべた。


「もう、とっくに助けになっているよ」

「また、そう言って――」

「いいや、本当に。でも、そうだな」


 思い出したように明後日の方向を見つめた彼女が、改めて私に向き直る。

 そのまっすぐな瞳に、思わず吸い寄せられてしまいそうになった。


「また何かあったら、頼らせてもらうよ」

「はいっ」


 もっと、頼って欲しい……けど、今日みたいな凡ミスをしていたら、頼り甲斐なんてないよね。

 今日のことを反省して、信用を取り返さなくっちゃ。




 ――翌日。

 校名入りのバスに揺られて、私たちは県のスポーツセンターに降り立った。

 会場には、見渡す限り袴姿の剣士、剣士、剣士。

 普段から三十名近い、左沢産業高校剣道部という環境に囲まれていても、これだけの数の選手を前にするとつい圧倒されてしまう。


「飲まれるなよ」

「え?」

「開いた口が塞がらない、って顔してるぞ」

「わっ……すみません」


 瀬李部長に注意されて、私はぽかんと開いていた口を閉じる。

 よだれが垂れてなくて良かった。

 でも、この光景を見て圧倒されるなってほうが難しい。


「集合!」

「はい!」


 アリーナを取り囲む観客席の一角に、沢産剣道部の陣を布いて、部長が集合をかけた。

 袴姿の出場選手陣を中心に、今日は応援に徹する残りの部員たちがジャージ姿で輪を作る。


「いよいよ、今日という日が来た。我々にとっては新生沢産剣道部の初陣となる。だが、それは他の高校も同じことだろう。みな、新進気鋭の覇気に満ちてる。一筋縄ではいかないだろう。だが、それはウチだって同じだ」


 部長の言葉に、部員一同が頷く。


「慢心はしない。しかし、臆病にもならない。王者とは常に、最善を尽くすからこそ王者だ」

「そう言って、何年も結果を出せてないのも事実やけどな」

「ああ。だから、この肩にかかっている期待は、我々だけのものじゃない。これまで積み重ねて来た、沢産剣道部の歴史の重みと知れ」


 部長が、円陣の前に手をかざす。

 その上に選手陣が手を重ね、他の部員たちは前の人の肩口から手を伸ばして、陣の真ん中に意識を集める。


「沢産ーッ! ファイ!」

「オォォォォォォォ、オゥ!!」


 部員の声が重なって、差し出した数多の手が、一斉に天を仰ぐ。

 手のひらはいつの間にか握りこぶしとなって、まるで、数十人の手で勝利を掴んでいるかのようだった。


 私は、その光景を一歩引いたところから見守って、心の中で唱え続けた。

 頑張れ、頑張れ。


 戦いが始まる。

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