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第30話 まことしやかな神頼み

「マネージャー」

「……」

「マネージャー!」

「あっ、はい!」


 食堂の壁際で、私は思わず飛び上がる。

 ぼーっとしていた意識が覚醒すると、鈴奈先輩が高く上げた手で手招きしていた。


「何か、今日の味付け薄くない?」

「あ……すみません。足りない人は、お醤油かけてください」

「田舎の味付けが、そもそも濃いんだよ。舌が繊細なウチらは、このくらいがちょうどいいわ」

「アンタだって、大して変わんない田舎の生まれでしょうが」

「流石にこっちほどじゃねぇわ。ボクの夏休みの三十二日目以降も漫喫中~」

「なにおぅ!」

「鈴奈」

「安芸も止めとき」


 鈴奈先輩と安芸先輩がいがみ始めたのを、部長副部長が同時に諫めた。

 私はと言えば、そんなのすっかり上の空で、大きなため息をひとつ虚空に吐き捨てる。


 あの日、あの後、どうにか愛想笑いを浮かべて、私は、瀬李部長が帰っていくまでを見届けた。

 そうできたのは、今や十年以上――はじめはお遊びのお手伝いから、今では歴とした従業員として――にわたる、業務経験の賜物と言えるだろう。

 他のお客と変わらないホスピタリティで、「ありがとうございました」と敷居を跨いでいく背中を見送るところまでをやり遂げた。


 それからすぐ、短い秋休みが終わって、これまでの寮生活が帰ってくる。

 戻って来た。

 全部、元通り。


「なづなちゃん、大丈夫?」


 声をかけられるまで、また意識が飛んでいた。

 振り返ると、すずめちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。


 今日は、すずめちゃんが跡片付けの当番だっけ。

 というか、いつの間に晩御飯の時間、終わったっけ。


「ごめん。ちょっと、調子悪くって」

「えー。それじゃ、無理しちゃダメだよ。あとはできるから、もう部屋にもどって休んでて!」

「ううん、そこまでじゃないから大丈夫。いつものやつだから」

「そう? お大事にね」


 笑顔で返すと、すずめちゃんもそれ以上突っ込んでくることは無かった。


「なづなちゃん、体調悪いの?」


 ところが、もうひとりの片づけ当番――一年の伊達だて亜利沙ありささんが、キョトンとした顔をして振り返る。


「それで今日は、味付けがちょっと変だったんだ?」

「ああ、ごめんね。お醤油大匙何杯入れたか、途中で忘れちゃったみたい」

「うーん、そんなときにお願いごとするのも申し訳ないかな」

「うん?」


 バツが悪そうに頬をかく亜利沙さんに、私は話の要領を得られずに首をかしげる。

 すると、炊事場の入り口で、すりガラス越しに人影が見えた。


「あのう」


 やがて、ガタガタ建付けの悪い扉を開いて、寮生がふたり顔を出す。

 どちらも亜利沙さんやすずめちゃんと同じ、剣道部の一年生たちだ。

 彼女たちの来訪を皮切りに、亜利沙さんは突然手を合わせて、頭を下げて私のことを拝み倒した。


「なづなちゃんにお願いがあるんだけどっ!」

「ええ……?」


 とりあえず後片付けを終わらせてから、亜利沙さんたち一年生三人が私とすずめちゃんの前に並ぶ。


 ひとりは伊達亜利沙さん。福島県出身のサバサバした性格の子。

 もうひとりは、八雲やくも星来せいらさん。北海道出身の、部内では比較的おとなしい子。

 最後に船橋ふなばし晴海はるみさん。千葉県出身の、きゃぴきゃぴした都会っ子。


「ええと……それでお願いって言うのは?」

「二週間後のスポーツの日の前に、必勝祈願の特製メニューを作って貰えないかと!」


 私の問いに、亜利沙さんが食い気味に迫る。

 スポーツの日って、えっと、確か――


「錬成大会だっけ」

「そう、それ!」


 正解っ、と言わんばかりに亜利沙さんの指がビシリと私を指す。


「今度の錬成大会は、新人戦と違って各校の出場チーム数に制限がない、交流大会なワケ。もちろん東北とか全国とか、上位大会もなくって」

「はあ」

「それで、沢産剣道部はABCDEチームまで出る感じでー。すごいよね。五チームも作れる女子剣道部、そうそうないよ」


 晴海さんが、五本指を立てた手のひらをびしっと差し出す。


「それで、私たちも部の名前を背負って、初めて公式戦に臨むんだけど……」

「そうなんだ。おめでとう……で良いんだよね?」


 遠慮がちに補足する星来さんに笑顔で返すと、彼女はひきつった顔で私のジャージの袖に縋った。


「だからこそ、お願いなんだよぉ!」

「だから何が!?」


 いい加減に私だけ(あとすずめちゃんも)話の筋が全く読めてなくって、とにもかくにも説明を求めた。


「えー、まあ要するにね。剣道部内でまことしやかに囁かれている噂があるワケ」

「なづなちゃんに勝負料理を作って貰うとー、試合でいい結果が出せるっていう願掛け? ジンクス? みたいなー?」


 何それ、初耳なんだけど。


「え、すずめちゃん、知ってた?」

「小耳に挟んだー? くらいならー?」

「挟むことあるんだ」


 そういうすずめちゃんも、又聞きしたくらいのふわっとした反応だった。

 これはなんというか……噂と言っても本当に一部の噂っぽいね。

 あと、晴海さんの口調がちょっと移ってるし。


「ほら、部長と副部長の勝負の時に、部長に差し入れしたって言うじゃない? 鈴奈先輩も最近調子いいし、特製カツサンドで新人戦も何年振りかの優勝! なづなちゃん、絶対何か力持ってるよ! なづな大明神だよ!」

「いやいやいや、それは選手のみんなが頑張ったからでしょ!?」


 普段はと笑ってる日向のたんぽぽみたいな星来さんが、ものすごい勢いでまくし立ててくる。

 その必死さに圧倒されそうになるところを、私はどうにか理性で押し返した。


「た、確かに……試合で頑張って欲しいなって気持ちはいつも込めてるけど、料理を食べたからっていい結果を出せるなんて、あり得ないでしょ」

「そうだよー。なづなちゃんは、いつも一生懸命ご飯作ってるだけだよー」


 すずめちゃんの援護射撃がありがたいけど、「でもー!」と、晴海さんが手刀交じりに話しに割って入った。


「それは、そうかもしれないけどさー。あたしたちにとっても死活問題なわけ。高校に入って初めての公式戦なわけだし、いい結果出しておきたいじゃん?」

「そうそう! もちろん、私たちも毎日の練習頑張ってるよ。努力してるつもりだよ。だからこそ、眉唾の噂でも、単なる願掛けでも、やれることは全部やっておきたいんワケ。ほら、入試の前には初詣に熱が入るじゃん? そういう感じで」

「だったら、神社にお祈りしたほうがよっぽど効果あるんじゃ……」

「顔も知らない神様よりも、なづなちゃんの方が信用できるよぉ~!」


 それは流石に神様に失礼だと思うよ、星来さん。

 とは言えこの三人、この様子じゃテコでも動かないよ、どうしよう。


「私の料理にそんな力はないよ。でも、ご飯のリクエストを貰える分には、参考にできてありがたい……かな?」


 毎日ご飯を作るにも、レパートリーに限界がある。既に何度となく、同じメニューを繰り返したりしているし……いっそ食べたいものを言ってくれるなら、献立の参考になってこちらもありがたいかも。


「おお、さすがなづな大明神!」

「大明神~!」

「大明神様~!」


 三人は、それぞれ改めて私のことを拝み倒してから、満足した顔で部屋に戻っていった。

 残ったすずめちゃんが、さっきとは違う意味で心配そうに、私の顔を覗き込む。


「なづなちゃん、大丈夫?」

「ううん……だいじょばないかも」


 頑張って美味しいご飯は作るけど、それで結果が出せなくても私のせいにだけはしないで欲しい……な。

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