翌日、私は学校の昼休みを利用して、歌音さんのいる教室を訪れていた。
彼女が属する農産科は、学内でも最大派閥――という言葉を使ってしまうのは、剣道部の派閥争いの渦中で過ごしているせいだろうか。
「なるほど、亜利沙さんたちがそんなことを」
「いつの間に、そんな噂が立ってるんだろ。歌音さん、知ってる?」
「確かに、耳にしたことはありますが」
「あるんだ……」
歌音さんは、パックの牛乳を細いストローで吸い上げながら、明後日の方向を見上げる。
「主に、一年生を中心にした噂だと思います。上級生の口からは、聞いたことがないかな」
「どこからそんな噂が」
「それが分かったら、パブロンの選択に迷いませんよ」
「パブロン?」
「冗談です」
あなたの風邪は、どこから――ってコト?
歌音さんの冗談は、妙に高度だな……普段から本気か冗談か分からない子だし。
「今は出どころよりも、お料理ですよね。食べたらいい結果が出せるゲン担ぎ料理ですか」
「全然、そんなんじゃないんだけどな」
「実家に居た時は、大会の前はよくカツオを食べました。
「ああー、西じゃそういうのあるらしいね。そういう意味じゃ、この間の豚カツも同じか」
「とりあえず、それぞれに聞いてみたらどうですか? 大会前に食べたいご飯」
「それしか無いかなぁ」
何を食べたらやる気が出るかなんて、いくら自分で考えたって答えが出るわけもないか。
仕方なく、三人のリクエストリサーチに出かけることにした。
ひとり目――亜利沙さん。
「ゲン担ぎ料理? ウチの実家は、ハンバーグだったなぁ」
「ハンバーグ?」
いきなりの変化球に、私は初っ端から豆鉄砲を食らってしまった。
「そっ。おっきくて、平べったいハンバーグ。地元で、神社におっきい
「なるほど、そういうのがあるんだね」
「懐かしいなぁ。中学の最後の大会の時、お母さんが『どれくらい大きく作れるか』って熱が入っちゃって。こーんな
言いながら、亜利沙さんが両手で顔より大きな真ん丸をつくる。
「それ、ちゃんと焼けるの?」
「無理だったみたい。だから、焼いたうえに
「な、なるほど」
草鞋ハンバーグというのは、ちょっと良いセン行ってたかもしれないけど……流石に
参考になったような、ならないような。
ふたり目――晴海さん。
「ゲン担ぎ料理~? 特に、そういうのは無かったかなぁ」
「あ……そうなんだ」
これまた、まさかの返答に暗雲が立ち込める。
意気消沈しかけていた私だったが、晴海さんは、「あっ」と声をあげる。
「ゲン担ぎと違うけど、プリン」
「プリン?」
「そう。どこのお店の~とかは、特に無かったんだけど。ほら、あたし、プリンめっちゃ好きでさ」
言いながら彼女は、購買で売ってるプッチンするタイプのプリンを、プッチンしないまま食べている。
「ウチ、母子家庭で、おかーさんも夜の仕事だからあんまりウチに居なくてさ。大会前とかも、特にそういう『明日頑張ろうね!』みたいなの、してないわけ。でも、大会が終わって家に帰るとさ。おかーさんはとっくに出勤しちゃってるんだけど、冷蔵庫に必ずプリン入れといてくれてたの。蓋に『がんばったね』とか『おつかれさま』ってコメント書いてあって。それを、できるだけ美味しく食べるために頑張る~ってゲン担ぎみたいにはなってたかもね~」
それは、すごく良い話だなぁ。
船橋家の暖かい家庭事情が、手に取れるようだ。
でも……一端のマネージャーが担ぐには、ちょっと重いなぁ。
それにプリン……プリンかぁ。
デザートで出す分には良いけど、大会の後に~って言うなら、大会前に食べてもゲン担ぎにならなさそうだね?
ううん……難題だ。
三人目――星来さん。
「わたしの地元、そこまで剣道は盛んじゃなくって……私が小さい頃に通っていたクラブも、通ってた中学校も、団体戦メンバーも揃わないくらいに過疎っていたの」
星来さんが、肩を小さく丸めながら、消え入りそうな声で語る。
「だからわたし、個人戦で頑張っててね。道大会でも結構良いところまで行けて。それで『実力があるのに、こんな田舎で腐ってるのはもったいない』って、家族も、昔からよくしてくれたクラブや部活のみんなも、日本中の強豪校のこと調べてくれて……ここなら、わたしに合うかもって、送り出してくれたんだ」
「そっかぁ。みんなの期待を背負って来たんだね」
「う、うう……」
「え、私、何か悪いこと言った!?」
突然、泣き出す勢いでうずくまった星来さんに、ぎょっとして慌てふためく。
「でも、思ったより全国のレベルって高くて……わたし、この剣道部でも練習についていくのがやっとで。部内勝ち抜き戦も、後ろから数えた方が早いし。いい加減、何か結果を出さなきゃ――錬成大会で活躍しなきゃ、せっかく寮生に選ばれたのに、居場所、無くなっちゃうんじゃないかって。そう考えたら……地元のみんなに、申し訳なくって」
「だ、大丈夫だよ! だって、まだ一年生でしょ? 先輩たちの方が強いなら、順位が後ろになるのも仕方ないって言うか」
「でも、すずめちゃんとか、先輩に負けないくらい強いし……!」
すずめちゃんは、剣道全然詳しくない私の目から見ても、なんかイレギュラーな感じだと思うよ。
あの子を基準にしちゃダメだと思う。
「……ごめんね。ゲン担ぎのお料理、だっけ?」
しばらくぐずっていた星来さんは、ようやく落ち着いてきて、思い出したようにつぶやいた。
「クリームシチュー……ホタテとか、海鮮いっぱいのクリームシチューが、懐かしいなぁ。みんなと、よく食べたんだ……楽しくって、温かかったあの頃……」
それ、ゲン担ぎとかじゃなくて、単なる思い出じゃない?
完全にホームシックになってるよね?
結果――収穫はあったような、無かったような。
しかして、事件は迷宮入りである。
「どうしよう」
寮に戻って今日の夕飯の仕込みに入っていた私は、誰も居ない炊事場で大きなため息をついた。
ハンバーグに、プリンに、シチュー。
流石に全部作るわけにはいかないし、かといって全部混ぜ合わせられるものでもない。
ハンバーグとシチューなら合体できなくもなさそうだけど……それぞれが求める思い出の味とは程遠いだろうし。
とにかく、錬成大会まではまだちょっと時間があるし、それまでの宿題ということをしておこう。
今日は今日のご飯を――
「――それでは、いただきます」
「いただきます!」
いつもの時間、いつもの顔ぶれ、いつもの寮ご飯。
稽古を終えて、身体はくたくた、お腹はぺこぺこの部員たちが一斉に料理にかぶりつく。
「……んっ!?」
直後に、あちこちから驚きと苦悶が入り混じった、くぐもった声が零れた。
「マネージャー……ちょっとこれ、しょっぱくない?」
「え……?」
声があがったのは、三年の先輩からだった。
同調するみたいに、他の寮生たちも渋い顔で首をかしげる。
「え……そんなこと」
私は、慌てて自分の分を口にする。
途端に、「うっ」っと舌を突きさすような塩気が瞬く間に浸食した。
慌てて麦茶で飲み込むが、味覚が壊れたみたいにビリビリする感覚が口の中から消えることはない。
「ご、ごめんなさい……あれ、なんで。すぐに作り直……すのは、流石に無理か。え、どうしよう?」
「ご飯沢山かき込めば、食べれなくはなさそうだけど……めっちゃしょっぱい鮭弁のノリで」
フォローしてくれた鈴奈先輩も、浮かない表情は消えない。
私は、みんなに平謝りすることしかできずに、食事の最中ずっとご飯のお替りをよそいながら頭を下げて回るばかりだった。