それから――わだかまりを解消できて、気分も落ち着いたんだろうか。
翌朝に卵焼きを焼くとき、ちょっとだけ緊張で手が震えたけど、綺麗に美味しく焼きあがった仕上がりを見てほっと胸を撫でおろした。
もう、大丈夫みたい。
料理ができないなんて、この部における私の存在意義を失ってしまうんじゃないかって恐怖もあったけど、すべては杞憂で済んで良かった。
いや……また、瀬李部長に美味しい料理を出せるということが、安心以上に嬉しい。
ただ、何もかもが元通りってわけでもなくて――
「……どうかな?」
数日後、夜の炊事場で私の作った八宝菜を前に、すずめちゃんが神妙な面持ちで箸を取る。
ぱくりとひと口食べるたび、私もごくりと息を飲む。
「今日は薄いかも~」
「う~ん、ダメかぁ~!」
例の癖自体は、まだ治ったわけではないみたいで。
まあ……意識ひとつで変えられるんだったら、今までも治るチャンスはあったはずだよね。
だけど、この癖だって一所懸命に取り組んでれば治るかも――なんて、これまでよりは前向きに捉えられるようになった気がする。
そういう意味では、着実に一歩前進してる、私。
「そう言えばなづなちゃん、錬成大会の勝負ご飯は結局どうするの?」
「ああ、あれね」
お醤油を振り足して八宝菜をモリモリ食べるすずめちゃんに、私はカラッとした声で答える。
「いろいろ考えたんだけど、結局、みんなの思い出の勝負ご飯をそれぞれ出すって不可能だなって思ったんだよね」
「なるほど」
「例えば、ロールキャベツのシチュー――なんて、無理やりひと皿にまとめることもできるけど、それってみんなの思い出のメニューでは無いわけだし」
「ふむふむ」
だから決めた……というよりは、瀬李部長が思い出させてくれた。
事件となったあの夜に、少なくとも私が、どんな気持ちでセリちゃんに親子丼を振る舞ったのかを。
そして、私に勝負ご飯を依頼してきた三人のご両親たちが、何でそのご飯を振る舞ったのかを。
勝負ご飯って何なのかなっていう、その芯の芯の部分。
「とにかく、楽しみにしてて」
「なづなちゃんのご飯は、毎日だって楽しみだよ~」
「えへへ、ありがと」
メニューも、もう決まっている。
あとは思いっきり調理をするだけだ。
――そして、錬成大会前日。
「明日は錬成大会なので、ガッツリスタミナつけて貰おうと思いまして。今日の晩御飯はこれですっ!」
自信を持って提供する一品、いや、一杯。
テーブルの上にどーんと鎮座する丼椀に、こんもりと盛られた特製カツ丼。
それが私、山辺なづなの勝負メシだ。
「カツ丼じゃ~ん、やった♪」
「うわ~。新人戦の時のトンカツも美味しかったもんね。それが、卵とじで丼にだなんて贅沢すぎる……!」
目の前のボリューミーな丼に、亜利沙さんたちも見た目で既に満足してくれたみたい。
それだけで、ひとつハードルを越えた気分だ。
カツ丼――当たり前に定番の料理のひとつだが、調理過程を切り分けてみれば、一度揚げた
最近は、とじないで卵丼にカツを載せるタイプのも流行ってると言うが、私が作るのは衣に出汁染み込んだ、オードソックスな卵とじタイプ。
香ばしく揚がったカツを、アツアツのうちにまな板で――ザクッ、ザクッ、ザクッ!
あま~い節と炒め玉ねぎの香りがたちこめるお出汁の海にダイブさせて、衣にしっとり味がしみ込んだところに、溶き卵を落として艶とろの卵とじに。
脂の旨味と冷めきらない熱を、卵のベールでしっかり閉じ込めたうえで豪快に――ガブリ!
とやってもらうのが、ウチの昔からのスタイルだ。
「あ……これ、チキンカツ?」
噛り付いたカツ煮を咀嚼する星来さんが、ちょっぴり驚いたように顔を上げる。
「ほんとだ! 勝手に豚だと思ってたけど鶏胸じゃん。柔らかくてジューシーで、これはこれで旨いな」
「はぁ……じゅわじゅわにお出汁が染みた衣がたまんな~い。脂質とかコレステロールとか、どうでもよくなってくる~」
「丼にするなら、筋っぽい豚より鶏の方が食べやすいかなと思って。予算の都合もあるけど……」
実は、先月の新人戦の優勝祝勝会でちょっと料理を奮発しすぎて、今月は予算抑えめな合宿所事情もある。
それはそれとしてチキンにしたのは、やっぱりこれが
セリちゃんに振る舞った親子丼に、今の私が一番得意とする揚げ物スキルを掛け合わせて作った、
チキンカツ丼は、
得意気に振る舞える料理で、明日を戦う元気を養って欲しい。
不安も心配も吹き飛ばして、笑顔で明日を迎えて欲しい。
だって、私は料理人だから。
私の食卓を、沈んだ顔のまま過ごして帰っていくだなんて、許せないし許さない。
笑顔で旨いって言わせてやる。
お客のお腹も心も満足させて、この食卓で、ようやく私の料理は完成するんだ。
「ごちそうさまでした」
ご飯粒ひとつ残らない丼を前にして、みんなが一斉に手を合わせる。
満足してくれてありがとう――その感謝の気持ちを込めて、私はこう返す。
「お粗末様でした」
明日の大会、みんな頑張って。
応援することしかできないんじゃなくて、応援が私にとっての大会で戦いだ。
そのことがようやく板についてきた気がして、私自身も明日が楽しみになって来た気がした。