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第37話 Not , I am. Yes , We are ! ~芋煮会~

 寮の食堂に現役の全部員が一堂に会するのは、合宿の時以来だ。

 みんな、お風呂で汗を流した後のこざっぱりした格好で、思い思いにテーブルを囲んで談笑している。


 食卓の上には、色とりどりの市販のお菓子や飲み物。

 ちょっとした修学旅行気分だ。


「お待たせしました!」


 そんな中、私はすずめちゃんに手伝って貰いながら、お相撲さんのお腹くらいはあろうかという巨大な鍋を持って現れる。

 レイアウトを変えて、食堂のど真ん中に設置されたテーブルの上にカセットコンロを置き、その上に鍋を下ろす。


 同じ調子で、後から歌音さんと亜利沙さんも同様の巨大鍋を持ってきて、もうひとつ並んだカセットコンロの上に置く。

 この人数に、あの食欲だ。

 鍋一個じゃ到底足りないだろうと見越しての二段構え。


「それでは……御開帳っ」


 思い木の蓋を持ち上げると、おおっと言う周囲の歓声と共に、湯気がふわりと立ち上る。

 同時に、香ばしく甘い醤油の香りが食堂いっぱいに広がった。


「山形の秋と言えばコレ――芋煮です!」

「おおー!」


 改めての歓声。

 なんだか、ちょっとだけ気分が良い。


 芋煮は、全国的に「山形県民のソウルフード」と呼ばれる郷土料理だ。

 里芋、牛肉(これ大事)、ごぼう、シメジ、ネギ、こんにゃくを鍋で煮て、出汁醤油と酒、みりん、砂糖で味を調えたもの。


 里芋は、合宿でも夏野菜を差し入れてくれた先代マネージャー長の真帆先輩のツテで、学校の農園で採れたものを安く譲って貰った。

 芋煮の芋は、何と言っても絶対に

 スーパーで良く売ってる剥き身のは、繊維質でシャキシャキほくほくな食感なのに対して、は、とろろ団子みたいにネットリほくほくの食感がする。


 皮むきだけ手間が掛かるけど、それは一年生の寮生メンバーに手伝って貰った。

 こういう時、数の力に頼れるのはありがたいね。


 牛肉は、もちろん最高級の和牛を使っても美味しいけど、ここは予算を抑えて格安の切り落としで十分

 芋煮の主役は、芋。

 牛肉は、それを引き立てるためのわき役であり、出汁だ。

 焼いて旨味を閉じ込めたりせず、鍋がぐらぐら煮立ったところに投入して、大量のと一緒に、出汁と旨味を絞り出す。

 お肉は、固くなっても良い。

 出汁醤油で味付けをすれば、うまみが凝縮した、すき焼きの残り汁を軽く凌駕する、麻薬級の極旨スープが完成する。


 豪快に手でちぎって入れたこんにゃくや、シメジ、ごぼうも箸休めのアクセント。

 すべては芋という主演を最大限に美味しく味わうために作られた舞台――いや、芋という太陽を中心に回るであり、


 それが芋煮なのだ。


「これが、山形の芋煮……」


 越境勢が多いこの部では、芋煮を初めて見たという人も少なくない。

 私にとっては当たり前に日常の中にある料理だけど、こういう反応があるのは新鮮だし、面白い。


って言いました?」


 だからここは、ひとつだけサプライズを。


を語るのであれば、こちらもご賞味いただかないと……!」


 用意したもうひとつの鍋。

 その蓋を開けると、先の黒い醤油スープの鍋とはうってかわって、白っぽいスープに心が落ち着く懐かしい香りが沸き上がる。


「山形県沿岸風、味噌ベースの庄内芋煮です。内陸の醤油ベースの芋煮と一緒に、食べ比べと行きましょう」

「おおー!」


 流れでノッてはくれているが、たぶん県外の人にはなんのこっちゃって話だろう。

 山形には大きく、二種類の芋煮の味付け――もとい、派閥がある。


 ひとつは、醤油味で牛肉を使う、文明開化な内陸風芋煮。

 もうひとつは、味噌ベースで豚肉を使う、郷土の味ぎっしりの沿岸風芋煮。

 実家では、お父さんが沿岸の出身ということで、その日の気分で両方が出てくる。


 ここはせっかくなので食べ比べ――と言えば聞こえは良いが、だいたいは予算の都合だ。

 皆からちょっとずつ会費は集めているとはいえ、この大鍋ふたつ分の牛肉を買うには、流石に予算が足りない。

 お菓子や飲み物も買わなきゃだし。

 だから、片方を豚肉の庄内風にして価格を抑えたというわけだ。


 それでも、「食べ比べ」と言えば箔がつくし、嬉しいよね?

 これぞ、経営目線の知恵。


 皆には、ナイショだよ?


「では、せっかくですし冷めないうちに頂きましょう。部長?」

「はい」


 うずうずする部員たちを前に、赤江先生が瀬李部長に音頭を頼む。


「いただきます」

「いただきまーす!」


 相も変わらず、一糸乱れず揃った声に、全員の手が合わさる。

 最初のころは、こういうのも規律正しい軍隊みたいで圧倒されたというか、ちょっと怖いくらいだったけど、慣れた今では「部がひとつになってる」という感じがして心地いい。


「うま……! 思ってたのより、複雑な味がする!」

「ウチ、お母さんがたまーに作ってくれるけど、全然違うね。これが本場の味ってやつかぁ」

「使ってる醤油の違いとかもあるかもですね。どの醤油を使うのかも家庭ごとに違って、それがご家庭の味というか」


 ちなみに、今回の醤油味は実家でも使っている味マルジュウだ。

 山形と言えば定番のコレ。

 コレ一本で、ほとんど全部の味が決まると言っても過言じゃない。


「芋うまー! これ、里芋? だよね?」

「お餅みたい、は言い過ぎだけど、なんかお団子みたい。めっちゃ甘いし」


 土付き芋の力だね、うんうん。

 こと料理に置いては、ことは、そのまま美味しさに繋がるものだ。

 下ごしらえ然り、調理の手順然り、手間には手間の理由がある。


「庄内芋煮は、なんかホッとする味……すごく、お婆ちゃん家って感じ」

「具材も全然違うんだ? 豚肉で、ニンジンと、大根と、厚揚げと……」

「うん……? つまりこれ豚じr――」

「シッ! それ以上言っちゃダメ!」


 何か言いかけた部員に、鈴奈先輩と亜利沙さんが怖い顔で割り込んだ。

 この庄内風、実はふたりの出身である宮城と福島でも同じようなものが「芋煮」として食べられている。


 具材は、さっき他の部員が挙げた通り、内陸風芋煮の牛肉を豚肉に変えて、ニンジンや大根や厚揚げなんかを加えて、味噌で味を付ける。

 つまり――アレ豚汁なのだが、それを口にしてしまえば戦争が起きてしまうので、見なかったことにするのが暗黙のルールだ。


 こと芋煮会という場においては、名前を言ってはいけないあの人豚汁


 これもこれで芋煮。

 それでいいじゃない。

 恒久和平を結ぼうよ。


 ……でも、やっぱ内陸のが美味しいな。


 個人的な好みを語る分には自由だ。

 私は、牛肉で醤油味が好き。

 だって美味しいんだもん。


「あ、スープは飲み切らないでとっておいてくださいね!」

「お、シメがあるん?」

「内陸風はうどんにして、沿岸風はにします」

「いいじゃ~ん」


 あっと言う間に空になる勢いのお鍋に、それぞれ冷凍うどんと、水洗いしたご飯を投入する。

 薬味にネギを入れて、おじやの方は溶き卵も入れてボリュームアップ。

 共に、ぐつぐつ煮込めば完成だ。


「ぐあー! この醤油スープにうどんは……暴力的にうまい」

「米派のあたしは、おじやが良いなぁ。味噌おじやって、ほら、もののけ姫みたいじゃん」

「そなたの米だ……食え」

「それそれー」


 セルフでおじやを盛りつけ合いながら、モノマネをして笑ったり。

 こうしてると、ついさっきまで鬼気迫る表情で試合をしていた剣士たちだなんて、思わないよね。

 両方の姿を間近で見ている私って、ある意味、特をしていると言っても良いのかな。


「みんな、あらかた取り終えました? じゃあ、お色直して良いですか?」

「お色直し?」


 私の言葉に、みんなの視線がぐるりとこちらを向く。

 サプライズは、何段に重ねたって良い。


 私は、本日最後の一本――カレールウを取り出す。


「内陸風の方……カレーうどんにさせていただきます」

「そんなん……反則やろ……?」


 ツッコミがみんな関西弁になるのは、そういう性なのかな?

 うどんの残った醤油味のスープに、固形のルーをドボドボと投入する。


「ぐぅ……カレーの匂いだけで、十分食ったはずなのに、またお腹がすく」

「マネージャー、うどんってまだあるの……?」

「追加で入れればまだありますけど、いります?」

「当然! U-DO-N! U-DO-N!」


 熱いうどんコールを受けて、冷凍庫のありったけのうどんを再投入した。

 それを、牛の旨味をたっぷり含んだ、黄金色の背徳的なスープで煮込めば――芋煮の〆カレーうどんの完成である。


「うわっ……これ! これ、これ! これ、完成形でしょ!?」

「うん! これ、答え! 絶対に答え!」

「あぁ、我々はこのために登って来たんだ……あの果てしない芋煮坂を」

「芋煮坂ってなんなん?」


 結局――追加のうどんどころか、残ったスープまで綺麗にぺろっと平らげて、ふたつの鍋がすっからかんになったところでようやく会はお開きとなった。


「さて、最後に部長としてひと言……って、お前たち、聞いてるのか?」

「お腹いっぱいで眠いでーす」

「じゃあ、半分寝ながらでも良いから聞いてくれ」


 欠伸交じりの部員たちを前に、瀬李部長が気を取り直して口を開く。


「今日の錬成大会は、それぞれ良いところも、改善点も、共に見えたと思う。これから季節は冬に向かって、厳しい寒稽古、そして春先には新人戦の頂点――全国の選抜大会も控えている」


 全国、という言葉に部員たちは思わず目が覚めた様子で、目をしっかり開いて部長の姿を見つめた。


「我々の目標は、夏のインターハイ本戦だ。しかし、選抜も全国大会であることには変わらない。私は――」


 そこでふと、部長が言いよどむように口を噤んだ。

 しかし、ひと呼吸だけ置いて、すぐにみんなに視線を戻す。


「いや、沢産剣道部の目標は、〝全国大会〟だった。しかし、私が求めたいのは――取り戻したいのは、歴代の先輩方が歩み続けて来た〝王者・左沢産業高校女子剣道部〟だ。だから私は、今ここで、部の目標を改定しようと思う」


 言いながら、彼女は懐から一枚の半紙を取り出した。

 まるで果たし状でも掲げるように開いたそこには、いつの間に書いたのか、達筆の習字でこう書かれていた。


 ――


「私は、これを私個人の夢や目標でなく、部の――の目標にしたい。異論のある者は、遠慮なく申し出てくれ」


 一同が息を飲む。


「部長はんも、人が悪いわ。いったい何で、ウチらが遠くから東北くんだりまで、剣道するためにやってきてると思ってますの?」

「九条」


 部員一同を代表するように、はー子先輩が淀みのない声を上げる。


「ウチは、はじめからそのつもりでここにおります。むしろ、そうでない人が居るほうが、驚きやわ」


 はー子先輩の笑顔に見渡され、部員たちはもう一度だけ息を飲む。

 しかし、それは恐怖に圧倒されたわけではなく、戦の前に期待と闘争本能で震える、武者震いのそれだ。

 みんな一様に、不敵な笑みを浮かべて、力強く頷き返す。


「ふふ、あの四文字は、いくら歳を重ねても重く感じるものですね」


 部員たちの輪から一歩引いて、赤江先生が私の隣で小さくつぶやく。


「ですが、その意志と日々の研鑽があれば、不可能ではないでしょう。私もそう考えています」

「先生……それ、みんなの前で言ってあげた方が」

「それじゃあ、意味がありません。私の言葉でつく自信は、最後の最後に背中を押すくらいで良いのです。それが、顧問の役目ですから」


 熱い闘志を漲らせていく部員たちに、部屋の温度が一度か二度上がったようににさえ感じる。

 その様子を見て、先生はどこか嬉しそうに笑みを湛えた。

 私も、気合に満ちたみんなに負けないよう、ぐっと足元に力を込めて熱を受け止める。


 前に立つ部長が、片手を目の前に差し出す。

 それに倣って、一同が同様に倣って手を出す。


「目標は、全国優勝ッ! いくぞッ! 沢産ーッ! ファイ!」

「オォォォォォォォ、オゥ!!」


 いつかの円陣のように、掛け声とともに手が天高く突き上げられる。

 今度は私も、見ているだけじゃなくって、みんなと一緒に手を振り上げた。


 行こう、全国。

 掴もう、日本一。


 私たちの未来の青写真――いや〝夢〟が、そこに広がっている。

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