「よろしくおねがいしまーす」
欠伸を噛み殺しながら、ガタつく炊事場の扉を開ける。
端っこをちょっと持ち上げながら引くのがコツなんだけど、最近とりわけ建付けが悪くなっている。
流石にそろそろ、先生に言って業者に見て貰ったほうが良いかな?
それとも、レールにシューってする潤滑スプレーでどうにかなるかな?
早朝の炊事場は、そろそろ電気をつけないと薄暗い季節になってきた。
日中は、時おり夏日みたいに暑くなることもあるけど、朝夕はすっかり風が冷たくて、寝巻の上にもう一枚何か羽織りたい気分。
こういう時、割烹着とかなら一石二鳥なんだけど……わざわざそのために買うって言うのもなぁ。
もう一回あふれた欠伸を吐き出し切って、私は薄手のカーディガンの上からエプロンを締める。
さて、今日の朝ごはんは、いつもよりちょっとだけ楽だ。
というのも、ご飯を炊かなくていい。
寮で一週間のうち、だいたい2日分の朝食をパンの日にしている。
町のパン屋さんに届けてもらうロールパンをひとり2個ずつ。
それに合わせるおかずとなると、やっぱり洋風のものになってくるけど、基本的に洋食って煮込んだりじっくりオーブンでグリルしたり、時間がかかるものが多い。
だから、今日の朝食もある程度の仕込みを昨日のうちに済ませている。
「よっと」
冷蔵庫の中から寸動鍋をひとつと、比較的小さな(でもご家庭ならカレーとか作るサイズの)鍋を取り出して、先に寸動鍋の方だけ火にかける。
中に入っているのは、昨日の夜のうちにトマト缶を煮込んで作ったトマトソースだ。
ニンニク、玉ねぎ、お好みのキノコ類をじっくり炒めて、トマト缶と料理酒(あれば白ワインのほうが良い)、塩胡椒と砂糖で味を調えたもの。
ソースが煮立ってくるまでの間、鉄パンでひと口大に切った鯖を焼いていく。
鯖は、焼くなら皮から、煮るなら身から。
焼き色を付けるのが目的なので強~中火でひっくり返しながら2~3分ほどさっと焼く。
鯖の焼ける甘い匂いは、どのお魚が焼ける匂いとも違う、独特の中毒性がある。
脂のおかげなんだろうけど、匂いの中に旨味が詰まってるような、逃してしまうのが勿体ないね。
鯖に焼き色がついたら、先ほど火にかけておいたトマトソースの中にドボドボと投入する。
焼いてるうちに染みだした油も全部入れるので、網じゃなくてフライパンで焼くのが重要だ。
ぐつぐつとトマトソースの中を泳がせるように煮込んで――ここで、隠し味にお味噌をちょっとだけ投入する。
「ん~~~~!」
試しにスプーン一杯だけ味見をすると、その場で小躍りしたいくらいの美味しさだった。
鯖脂の甘みに、スッキリしたトマトの酸味で目が覚める。
そして舌全体を包み込むような、コクのある後味。
トマトソースにお味噌を、味噌の味が分からない程度に入れるだけで、びっくりするくらい味が良くなる。
確か、ナントカ酸の働きがどうこう……みたいな話だったと思うけど、まだ授業では習ってないから、詳しくはよく知らない。
でも、実家でトマト味の洋定食を出す時は、必ず味噌を入れるようにしていた。
よし、これで鯖のトマト煮はOK。
あとは、別の鍋でお湯を沸かして、付け合わせにするウインナーを茹でるだけだ。
1回の食事にメインのタンパク源は二品用意するのが寮の食事のルールだから、今日は、鯖とウインナーでクリアとする。
トマト煮をもうひと煮込みしている間に、本日のスープ――かぼちゃスープを作ろう。
さきほど冷蔵庫から取り出した、比較的小さいほうの鍋には、昨日のうちに切って下茹でを済ませておいたかぼちゃが入っている。
皮を厚めに剥いて、鮮やかなオレンジ色の実だけを軽く塩を振って茹でたものだ。
これをレンジで一度温めて、ほかほかになったところをザルで裏ごしにする。
フードプロセッサーを使っても良いんだけど、個人的には裏ごしの方が
かぼちゃの裏ごしが終わったら、お鍋にバターを溶かして、玉ねぎと、細切りにした
かぼちゃは皮にも栄養がたっぷり入っているし、身のオレンジ色に対して、濃い緑色が彩りとしても映えるので無駄なく使おう。
ざっくり火が通ったら、牛乳を入れてひと煮立ち。
固まった乳脂とアクが浮いてくるので、丁寧に取り除く。
そこに裏ごししたかぼちゃを入れて、全体に馴染むまで煮込めば――簡単かぼちゃスープの完成だ。
「ん~、甘っま。砂糖全然入れてないのに。でも、ちょっと甘すぎるかな?」
学校の農園から譲ってもらった今年の秋かぼちゃは、思ったより甘みが強かったみたい。
女子寮だし甘いのはみんな好きだろうけど、朝食は、寝ている間にかいた汗の塩分もしっかりと補って貰わなきゃいけない。
ここは、コンソメを入れてちょっとだけ味に奥行きを出そう……と思って、やっぱり醤油に変えた。
醤油もコンソメも、塩味と旨味が増えるのは変わらないけど、今日はトマト煮にも味噌を隠し味にしたので、かぼちゃスープの隠し味も
演じているのは日本人だけど、見た目も中身も煌びやかな西洋人にしか見えない――そんな、歌劇団の舞台みたいな朝食の完成だ。
「今日は、パンの日か」
「あ、部長。おはようございます」
「おはよう」
ちょうどいいタイミングで、朝練を終えた寮生たちが、シャワーを浴び終えて食堂に集まってくる。
私も早起きして朝食の準備を頑張ってるけど、みんなも同じくくらいの時間に起きて、朝から汗を流してるんだ。
料理にも身が入るっていうもんだ。
あっという間に、食堂は寮生たちの喧騒に包まれる。
炊事場に繋がるカウンター窓からお皿を運んで貰って、それぞれのテーブルに料理が揃ってから、みんなで一斉に頂きます。
それが、この寮の食事のルールだ。
「食事の前に連絡を。副部長と……あと、マネージャーも。朝食のあと、残ってくれるか?」
「はい?」
突然、部長に呼ばれて、私はきょとんとしたまま固まってしまった。
あれ、何かしたっけ……なんて思ってしまうのは、「呼び出し」というシチュエーションには基本的に「説教」がついてまわる、学生ならではの思考だろう。
「ああ、そろそろあの時期やなぁ」
一方の副部長――はー子先輩は、心当たりがある様子で頷く。
あの感じ、少なくとも説教の類では無さそうだけど……。
「それでは、いただきます」
「いただきます!」
事情を知らない私ひとり、食事の間中、妙に落ち着かなかったのは言うまでもない。
「――ということで、残って貰ったのは学園祭についてだ」
朝食の片づけが終わって、食堂に残った私と副部長に、瀬李部長がそんな話を切り出した。
「今年も、去年と同じ出店やろ?」
「ああ、毎年恒例だからな。そこは、変えないつもりだ」
「出店って、何をやるんですか?」
「焼きそばだ」
「おお」
すごく、THE学園祭って感じ。
「それで、部員の役割分担やシフトを考えなくちゃいけない。なにぶん、剣道部は部員数だけは居るからな。誰かに負担が集まることも、誰かを遊ばせとくことも、両方避けたい」
剣道部は、現役生だけでも二十余名。
三年生も含めれば三十名を超える大所帯だ。
他の学校なら、ひとクラスまるまるの人数が居るようなもので、その全員にちゃんと役目を――というのは、なかなか骨が折れそう。
「そこで、副部長には備品や宣伝周り。マネージャーには、食材や当日の調理周りの指揮を執って貰いたい」
「部長はんは?」
「私は、部の責任者として両方関わるよ。何かあれば、すぐに相談してくれ」
「監督はんみたいやなぁ。ご苦労おかけします」
「ということなんだ、なづなも頼めるか?」
「はい。やれるだけのことをします」
「うん、ありがとう」
意思確認だけを取って、その日の会はお開きとなった。
学園祭かぁ。
中学のころに文化祭はあったけど、体育館での合唱コンクールが中心で、出店とかそういうのは無かった。
いかにも高校生らしい秋のイベント……うん、楽しみだな。
せっかくだから、行列ができるような大繁盛店を目指そう。
よーし、やるぞ!