その週末に、剣道部寮に懐かしい人の顔があった。
「うわ~、なんかもう、懐かしいって感じだなぁ。まだ半年も経ってないのに」
炊事場の光景を見渡しながら、真帆先輩が溜息をこぼす。
寒河江真帆先輩は、私の前の剣道部のマネージャー長で、夏に部活を引退した三年生だ。
寮生だったが、実家は通える距離のようで、引退してからは寮も引き払って進学のために勉強に明け暮れる毎日だという。
「すみません、真帆先輩。受験勉強で忙しいのに、わざわざ」
「いいのいいの。学園祭は、三年にとっても高校最後のはっちゃけイベントだからね。むしろ、この期間だけはみんな『勉強や就活してる場合じゃねぇ!』って張り切ってるよ」
「高校最後かぁ。三年生の先輩方は、あと三か月もしたら卒業ですもんね」
「うん。それに一月の共通テストが終わったら、そのまま自由登校になっちゃうし。学校に来るのもあと二か月くらいかな」
「そんなに短く……」
高校最後という言葉が、妙に重くのしかかる。
正直なところ三年の先輩方は、寮生を除いてはあまり面識がないし、卒業自体にしんみりすることはあまりない。
だけど、私だって去年までは中学の三年生だったわけで、学校で過ごす一日一日が
「あ、だからって三年に忖度する必要ないよ。剣道部は、現役ファーストだし。やる気のある労働力としてこき使って――ってかたぶん、みんな勝手に色んなイベントに首突っ込んで、忙しくしてると思うから」
そんな私の心中を察してか、真帆先輩は優しく微笑んでくれた。
私にとっては、唯一の直属の先輩。
彼女が卒業することだけは、ちょっぴり寂しさがある……かな。
「さて、それじゃあ始めよっか」
「はい、お願いします」
今からしんみりしても仕方ない。
まずは目の前のことを、ひとつひとつこなしていかなくっちゃ。
今日、真帆先輩がここに来たのは言うまでもない。
学園祭の剣道部屋台――焼きそばの作り方を伝授してもらうためだ。
「伝統って言っても、そんな大したことではないんだけどね」
そう言って、彼女は調理台に乗った食材に手を付け始める。
キャベツ、ニンジン、ピーマン――定番の野菜に、お肉は薄切りの豚バラ肉だ。
「キャベツと人参は、大雑把で良いけど、できるだけ小さく切ってね。目安は
「モヤシとかで
「時間が経つと、水っぽくてベチャってなっちゃうからね」
「なるほど、野菜を細かくするのも、焼きながらできるだけ水分飛ばしちゃいたいからか」
「流石、調理コース」
真帆先輩の手際を見ながら、コツになりそうなことは逐一メモを取っていく。
他の調理係にも共有しないといけないので、スマホで動画を撮っておくのも忘れない。
具材を切り終わったら、先輩はガスコンロにフライパンと中華鍋をセットして、火をかける。
「具材と麺は、別々に焼いて最後に混ぜるイメージ。今はフライパンだけど、当日は鉄板の右と左でそれぞれやるといいよ」
「ふむふむ」
チンチンに熱したフライパンに食材を投入すると、炭酸が弾けるような焼き音と共に、もうもうと水蒸気が上がる。
この水蒸気は「水分が飛んでる」証なので、出たら出ただけ良い。
「焼き具合は、麺に軽く焦げ目がつくくらいがちょうどいいかな。そしたら、具と混ぜて――ソースを振りかける!」
中華鍋の麺の上に、フライパンで炒めた具を豪快に投入したかと思えば、ウスターソースをボトルからドボドボとかけていく。
途端に、焼けつくソースの香りがあたりに広がって、思わず身体の力が抜ける。
「うぅ……ソースの焼ける匂いって、暴力的ですね」
「だよね~。これだけでも十分美味しいけど……ここからが、剣道部
得意気に言いながら、先輩は、手のひらサイズの小さな缶を取り出す。
「それって、カレー粉?」
よくある、調理用のカレースパイスだ。
いわゆるカレーライスを作るための固形ルウじゃなくって、料理をカレー風味にするときに使うサラサラした粉のヤツ。
「これを、焼きそばがカレー味にならない程度に、わさーっと振りかける!」
先輩が、ソース焼きそばにカレー粉を振りかけると、一気にスパイシーな香りが鼻を突く。
すぐに馴染ませるように麺をかき混ぜると、匂いだけでも甘辛いソースの香りに、焼かれたスパイスの弾けるような清涼感がポップコーンみたいに花開いていく。
こ、これは……ヤバイ。
「最後に、かつお節と青のり、紅ショウガを添えて――剣道部伝統の焼きそばの完成♪」
「お~、すごい!」
思わず、メモを取るのも忘れて拍手を送ってしまう。
見た目は、何の変哲もない焼きそばだ。
具材は小さく、麺が主役のTHE屋台メシ。
しかし、ひとたび箸で麺を持ち上げれば、ほかほかの湯気と一緒にソースとスパイスの香りが、頬を激しく平手打ちする。
叩かれてるのに、思わずにやけてしまうのが止まらない。
「では、いただきます」
「はい、召し上がれ」
焼きそばを食べるのに、お上品ぶるなんて野暮だ。
箸でワシッと掬い上げた麺を、ズゾゾッっと力の限り吸い上げる。
リップなんて後で塗りなおしたらいい。
それよりも、この甘辛い麺を口いっぱいに頬張る方が大事だ。
「お、美味しい~! ちゃんとソース焼きそばですね! 匂いはほんのりカレーなのに、カレー味じゃない! でも、後味にピリッとスパイスの感じが残って、すっごく後に引く。これは、次々食べちゃいます……!」
「カップ焼きそばに、後掛けのスパイスパックが入ってるのあるでしょ? 歴代の先輩があれをイメージして改良したら大好評で、それから毎年伝統になったらしいよ」
「なるほどなぁ」
正直、高校の学園祭の出店だからって、ちょっとナメてたかも。
これは、街のお祭りや、B級グルメフェスティバルみたいなのに出店してあっても不思議じゃない。
そんなレベルの焼きそばだ。
「これなら毎年、行列必至で大繁盛じゃないですか? 儲けで部費だってたっぷり――」
「儲けはないよ」
「え?」
さらっと笑顔で答えた先輩に、私は思わず聞き返す。
「儲けがないって……え、これで、そんな売れないんですか? この学校の学園祭って、そんなにレベル高い出店が多いの?」
「ううん、もちろん毎年大繁盛だよ! でも、ウチの高校ってほら、公立校だから。お金儲けとか、予算外の部費とか、認められないんだよね」
「えっ……あっ」
「だから、値段設定とかもほとんど原価。鉄板やガスのレンタル料とかも全部入れるから、もちろん二束三文ってわけにはいかないけど。全部売り切ったらトントンになる感じかな」
そっか、公立だから――県の予算で運営してる学校だから、そういうの厳しいんだ。
「もちろん、儲けを出しちゃいけないわけじゃないんだけど、全部チャリティーとして寄付するとか。どっちにしろ、自分たちの懐に入れるのはダメだね」
ええ……なんかそれって……すごく、やる気が……。
だって、お祭りの屋台って言ったら試行錯誤を凝らして「何百食!」とか「何千食!」とか売っちゃってさ。
大変は大変だけど、それに見合ったリターンもあってさ。
そういうの含めて「あー、今年も楽しかったね♪」って、そういうのじゃん?
てか、実家でお祭りに出店する時は、毎回そうだったから!
「なづなちゃん、そんな落ち込まなくても」
思いっきり顔に出てたのか、真帆先輩に心配されてしまった。
「儲けを懐に入れることはできないけど、売り上げランキング一位になれば、正式な追加予算なら貰えるよ」
「ほんとですか!?」
私は、一も二も無く飛びついた。
「毎年、この時期になると今年度の生徒会活動費にいくらか余剰が見えてくるから。これもまた、公立校の面倒なとこで、お役所から貰った予算は
「ち、ちなみに、おいくらほど?」
「その年によって違うけど、流石に数百円ってことは無いかな」
「つまり……?」
「何千円か、数万円は貰えると思う」
「お……おお」
息が吹き返す。
そ、そうだよ……頑張ってモノ売ってるのに、全く見返りがないだなんて、そんなの
本気でやるんだったら、それくらいの夢は見させて貰わないと!
「やる気になってるとこ水を差すようだけど、いち
「それでも臨む価値アリ、です。お店を出すなら、祭り一番の繁盛店を目指さなくってどうするんですか」
「あはは、なづなちゃん燃えてるね~。頼りになる~」
目指すは、学園祭の売り上げランキング一位だ。
そのためには、いろいろと対策を練らなくっちゃ。
私は、焼きそばを啜る。
この焼きそばは、本当に美味しい。
ナンバーワンを取れるポテンシャル――勝機も商機も、十二分にあるはずだ。
だからこそ、どうやって売り込むかが大切になる。
こんなに燃えるのは久しぶりだな。
いつもの寮のご飯だって、全力で美味しいものを作ってるけど、自分が作ったものに
商業科調理コース一年、山辺なづな。
この出店には、料理人としてだけではなく、商売人――いずれ自分の店を持って繁盛させたいという、経営者としてのプライドも掛かっている。
絶対に一位になるぞ。
そして、追加予算で炊事場の扉の建付けを直す業者を呼ぶか、レールにシューってするヤツを買うんだ。