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第45話 学園祭の王子様② ~小籠包~

 商業科一年の模擬店に向かう途中、見慣れた影と対面した。


「あ、なづなさん。お疲れ様です」

「おう……」


 空っぽの番重ばんじゅうを手に、ぺこりと会釈をした歌音さんと、その後ろをムスっとした顔で闊歩する安芸先輩だった。


「コスプレして学園祭満喫か? いい御身分だなぁ」

「学科のシフトだよ。私も、なづなもこれから」

「はん」


 喧嘩腰の安芸先輩を前に、それとなく部長が間に入ってくれた。

 丸腰で向き合った時に比べれば、すごく頼もしい。

 私は、部長の陰から顔を出すようにして歌音さんに声をかける。


「外売りはどう?」

「順調ですよ。やっぱり、店番で動けない人たちに売れますね」

「それは良かった」

「このあと、商品補充したら体育館のステージの方に行ってみるつもりです」

「わかった。私、一時間ほど学科のシフト入ってるから、よろしくね」

「わかりました。ところで……」


 歌音さんが、私と部長とを交互に見比べる。


「おふたりはなぜ一緒に?」


 ドキーン。

 というよりは、ギクッの方が正しい……のかな。


 そう言えば、歌音さんってだった。

 私は、嫌な汗をにじませながら愛想笑いを浮かべる。


「部長がお昼まだだって言うから、ウチの模擬店に案内するのを鈴奈先輩に頼まれて! で、ですよね!?」

「うん? ああ、そうだな。遅い昼食を貰いにいくよ」

「そうなんですね」


 部長の言葉に、歌音さんもとりあえずは納得した様子で溜飲を下げ――


「てっきり学園祭デート中なのかと」


 ――てなかった!

 鋭い視線にタジタジになりながら、私はどうにか平静を装う。


「そ、そう見えちゃう?」

「学園祭でコスプレでデートって、憧れますよね」

「そう……だね。でも歌音さんも道着着て歩いてるから、ほら、ね」

「道着は普段着の一種みたいなものなので、あまり感慨はないです」

「そっかぁ」


 ダメだ、緊張して口からでまかせしか出てこない。

 これ以上はもう耐えられないかも――と思ったところで、歌音さんがまた会釈をした。


「それじゃあ、剣道部のテントに戻るので」

「あ、うん、お疲れ様」

「安芸もお疲れ様」

「おう」


 私たちに見送られて、歌音さんと安芸先輩は廊下の向こうへと去っていった。

 すごく、心臓に悪いエンカウントだった。


「気を取り直して娘娘に行きましょう……」


 どっと疲れてしまった。

 これから学科のシフトとか……嘘でしょ。




 階段を最上階まで登ると、天井や壁に吊り下げた真っ赤な提灯が出迎える。

 商業科一年の出店――左沢あてらざわ娘娘ニャンニャンは、二年ブースで立食をしていたあのエントランスに丸テーブルを並べて客席にした、本格中華料理店だ。

 お手製ながら中華っぽい装飾も凝った、こだわり空間を演出。

 スタッフもチャイナ服に身を包んでのお出迎えだ。


 階段を上り切ると、さっそく呼び込みの女生徒がこちらに気づいて駆け寄ってくる。

 面識はないけど、たぶん接客担当の商業コースの一年生だ。


「お疲れ様~。シフト?」

「うん。調理コースの山辺なづな」

「はいはい。今は、いてるから仕込みタイムみたい。食材余らしてもアレだから、最後はお弁当にして売ろっか? とか話してたよ」

「なるほどね。わかった。話聞いてみる」

「よろしく~。で、で、後ろのは?」


 ミーハーな声をあげる彼女に、私は苦笑しながら答える。


「二年商業コースの瀬李――西川先輩。剣道部の先輩で。ご飯食べに来てくれたの」

「えー、やだ、ちょっと。イケメンの知り合いいるならもっと早く連れて来てよ」

「イケメンて。とりあえず、席はあるよね?」

「はい、ご案内しまーす!」

「行きましょう、部長」

「ああ、ありがとう」


 今まですっかりエスコートして貰ったので、こっからは私の番だ。

 丸テーブルの一角に席を用意して貰って、先輩を案内する。


 中華テーブルに座る燕尾服……なんだかミスマッチのような、これはこれで絵になるような。

 不思議な感覚だ。


「基本的にセットメニューなんですけど、お腹の好き具合はどうですか?」

「空いていると言えば空いているが。おすすめは?」

青椒肉絲チンジャオロース中心の青龍セットか、麻婆豆腐マーボードウフ中心の朱雀セットですね。ダブルの売れ筋です。あとは、海老炒飯エビチャーハン黒虎こっこセットとかあります」

「黒虎? 白虎じゃなくて?」

「あはは……流れ的には白虎でしょうけど、使ってるのが海老ブラックタイガーなので」

「なるほど、シャレか」


 先輩が苦笑すると、しょうもないシャレに付き合わせてしまったのが、妙に恥ずかしくなる。

 私がメニュー名を決めたわけじゃないけどさ。


「ううん、なづなが作ってくれるなら、どれも美味しそうではあるが」

「あ……ごめんなさい。私、その、例のなので。調理担当って言っても仕込みとか、裏方の役目で」

「ああ、そうか、なるほど。そうだったな」


 私には、という、料理人として致命的な癖がある。

 どうしてかと言われると、大昔のちょっとした事件というかトラウマのせいで、目の前の瀬李部長こそその当事者だったわけなんだけど……とりあえず、そのこと自体には折り合いはついている。

 ただ、長年蝕んできた癖だけは、一朝一夕で抜けるものではないらしく、こういう「店でお客に調理をする」のはNGなのである。

 これは、実家のお手伝いに関しても同じことだ。


「すみません。でも、他の調理コースの子も料理上手ですから。美味しいですよ」

「そうか。でも、ちょっと残念だな」


 言いながら瀬李部長は、ちょっぴり寂しそうに眉を下げる。

 そんな顔しないでくださいよ。

 私だって、できることなら部長に手料理食べて貰いたい――って、いつも寮で食べて貰ってるけども。


「……あ! 出せるのある……かも」

「うん?」


 ふと、一個だけ思い当たるメニューがあった。


「あの、厳密には完全な私の手料理ではないんですけど……それでもいいですか?」

「ええと……まあ、おすすめなら、せっかくだしそれを貰おうか」

「分かりました!」


 注文を取り終えて、私は厨房代わりになっている教室へと飛び込む。

 すると、中で仕込みをしていたクラスメイトたちが一斉にこちらを向いた。


「あ、山辺さんお疲れ様。シフト、今からだっけ?」

「うん、そうなんだけど。玄武セットって、仕込み終わってるやつある?」

「あるよ。あと包むだけ」

「ありがとう! それ、一食だけすぐ包ませて!」


 言いながら、私は手指を消毒して調理係のエプロンを身に着けた。


 用意するのは、既に仕込みを終えて貰った

 まずは、生地を伸ばすところから。


 ピンポン玉サイズに丸くした生地を手のひらでギュッと押して、軽く円盤状にする。

 それを綿棒で、さらに餃子の皮みたいに薄くしていく。

 この時、外から内に生地を寄せ集めるようにして伸ばして、中心部分をちょっと厚めにするのがポイントだ。

 コツが居るんだけど、すずめちゃんに習って練習した成果で、次々に皮を作っていく。


 ここに、スプーン一杯くらいの肉ダネを載せる。

 肉ダネは、豚ひき肉にネギやショウガ、ニンニクなどの薬味を混ぜたものに、鶏ガラスープの煮凝りを練り込む。

 これが、この料理の特徴である溢れる肉汁スープとなって、至上の旨味を演出するんだ。


 あとは、余った皮で肉ダネをねじり包んでいく。

 こういう作業、実は結構好きだ。

 家で餃子とかやる時も、気付けば何十個も黙々と包んじゃう。

 すごく、心が穏やかになるっていうか……一種の癒しの時間。


 一人前は五個なんだけど、部長だから一個オマケしちゃおう。

 これを蒸籠せいろに入れて蒸せば――完成だ。


「お待たせしました」


 部長が待つ席に戻って、蒸したての蒸籠ごとテーブルにサーブする。


「玄武セット――小籠包です!」


 蓋をあけると、むわっと立ち上る熱い湯気のカーテンの向こうに、つやつや純白の点心が亀の子みたいに綺麗に並んで輝いていた。


「小籠包か。あれだよな、中にスープが入った餃子というか焼売というか」

「あ、もしかして部長、初めてですか? じゃあ、食べ方も教えますね」


 私は、お箸で小籠包のつんと尖った先を摘まみ上げる。

 小さな水風船を摘まみ上げたように、柔らかく、それでいてずっしりとした手ごたえ。

 それをレンゲの上に置いて、箸で軽く皮を裂く。


 すると、裂け目から澄み切った黄金色のスープがあふれ出して、レンゲの上は桃源郷の泉のように華やいだ。

 さながら、真っ白な包本体は、泉の上に咲く蓮の花。


「はい、どうぞ。まずはこうやってスープを飲んでください。熱いので気を付けて」

「ありがとう。どれ――」


 部長は、差し出したレンゲを受け取ると、見るからに熱そうなスープをふーふー冷ましながらゆっくりと啜る。

 口に含んでゴクリ――飲み下した瞬間に、ほうと恍惚の溜息が漏れた。


「すごく旨いな、これ。さらっとしてるのに、濃厚な味だ。肉汁ってわけじゃないんだよな?」

「はい、スープです。肉ダネに煮凝りのスープを混ぜると、火を通した後にゆるくなって、こうして皮の中を満たすんですよ」


 言いながら、私は小さな醤油皿に山盛りの刻みショウガを載せ、上から黒酢を和えるようにかける。


「スープを飲みきったら、残った小籠包の上に黒酢和えの刻みショウガを載せて、お好みで黒酢もかけて召し上がってください。しょっぱくしたい時は、少し醤油を足してもいいです」

「分かった」


 今度は、黒酢和えショウガ載せの本体をひと口で、パクリ。

 もぐもぐと、噛みしめるたびに口元から笑みが零れるのを、私は微笑ましく見守る。


「これも、文句なく旨い。こんなにショウガを載せて辛くならないか心配だったが、ちょうどいいくらいだ」

「このショウガたっぷりで食べるのが、本場の食べ方みたいです。スープが染みてるので、多いくらいでバランスが取れるんでしょうね」

「あっという間に食べてしまうな」


 言葉の通り、部長は次々と小籠包に箸が進み、あっという間に六個を平らげてしまった。

 最後の一個を口にしたあと、満足したようにナプキンで口元を拭う。


「ごちそうさま。美味しかった」

「お粗末様でした。セットで、デザートとお茶がつくので、ゆっくりしていってください」

「ああ。とはいえ、そろそろ剣道部の方に行かないとな。デザートを貰ったらお暇するよ」

「分かりました」


 チクッと、胸の中に針を刺すような痛みを感じたのは、寂しさのせいだろうか。

 部長と回る学園祭も、これで本当に終わりなんだ。

 もちろん、学園祭自体はまだ終わらない……けど、寂しいものは寂しい。


「あ、七宝焼き。私、シフトが終わってテントに戻る時に、一緒に受け取っておきますね」

「ああ、そうか。じゃあ、お願いしようかな」

「はい。任せてください」


 それでも、気の利く良い後輩でありマネージャーとして、私はめいいっぱいの笑顔で寂しさを振り払った。

 楽しいが学園祭なんだ。

 最後まで、笑顔でやり切ろう。

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