商業科一年の模擬店に向かう途中、見慣れた影と対面した。
「あ、なづなさん。お疲れ様です」
「おう……」
空っぽの
「コスプレして学園祭満喫か? いい御身分だなぁ」
「学科のシフトだよ。私も、なづなもこれから」
「はん」
喧嘩腰の安芸先輩を前に、それとなく部長が間に入ってくれた。
丸腰で向き合った時に比べれば、すごく頼もしい。
私は、部長の陰から顔を出すようにして歌音さんに声をかける。
「外売りはどう?」
「順調ですよ。やっぱり、店番で動けない人たちに売れますね」
「それは良かった」
「このあと、商品補充したら体育館のステージの方に行ってみるつもりです」
「わかった。私、一時間ほど学科のシフト入ってるから、よろしくね」
「わかりました。ところで……」
歌音さんが、私と部長とを交互に見比べる。
「おふたりはなぜ一緒に?」
ドキーン。
というよりは、ギクッの方が正しい……のかな。
そう言えば、歌音さんって
私は、嫌な汗をにじませながら愛想笑いを浮かべる。
「部長がお昼まだだって言うから、ウチの模擬店に案内するのを鈴奈先輩に頼まれて! で、ですよね!?」
「うん? ああ、そうだな。遅い昼食を貰いにいくよ」
「そうなんですね」
部長の言葉に、歌音さんもとりあえずは納得した様子で溜飲を下げ――
「てっきり学園祭デート中なのかと」
――てなかった!
鋭い視線にタジタジになりながら、私はどうにか平静を装う。
「そ、そう見えちゃう?」
「学園祭でコスプレでデートって、憧れますよね」
「そう……だね。でも歌音さんも道着着て歩いてるから、ほら、ね」
「道着は普段着の一種みたいなものなので、あまり感慨はないです」
「そっかぁ」
ダメだ、緊張して口からでまかせしか出てこない。
これ以上はもう耐えられないかも――と思ったところで、歌音さんがまた会釈をした。
「それじゃあ、剣道部のテントに戻るので」
「あ、うん、お疲れ様」
「安芸もお疲れ様」
「おう」
私たちに見送られて、歌音さんと安芸先輩は廊下の向こうへと去っていった。
すごく、心臓に悪いエンカウントだった。
「気を取り直して娘娘に行きましょう……」
どっと疲れてしまった。
これから学科のシフトとか……嘘でしょ。
階段を最上階まで登ると、天井や壁に吊り下げた真っ赤な提灯が出迎える。
商業科一年の出店――
お手製ながら中華っぽい装飾も凝った、こだわり空間を演出。
スタッフもチャイナ服に身を包んでのお出迎えだ。
階段を上り切ると、さっそく呼び込みの女生徒がこちらに気づいて駆け寄ってくる。
面識はないけど、たぶん接客担当の商業コースの一年生だ。
「お疲れ様~。シフト?」
「うん。調理コースの山辺なづな」
「はいはい。今は、
「なるほどね。わかった。話聞いてみる」
「よろしく~。で、で、後ろのは?」
ミーハーな声をあげる彼女に、私は苦笑しながら答える。
「二年商業コースの瀬李――西川先輩。剣道部の先輩で。ご飯食べに来てくれたの」
「えー、やだ、ちょっと。イケメンの知り合いいるならもっと早く連れて来てよ」
「イケメンて。とりあえず、席はあるよね?」
「はい、ご案内しまーす!」
「行きましょう、部長」
「ああ、ありがとう」
今まですっかりエスコートして貰ったので、こっからは私の番だ。
丸テーブルの一角に席を用意して貰って、先輩を案内する。
中華テーブルに座る燕尾服……なんだかミスマッチのような、これはこれで絵になるような。
不思議な感覚だ。
「基本的にセットメニューなんですけど、お腹の好き具合はどうですか?」
「空いていると言えば空いているが。おすすめは?」
「
「黒虎? 白虎じゃなくて?」
「あはは……流れ的には白虎でしょうけど、使ってるのが
「なるほど、シャレか」
先輩が苦笑すると、しょうもないシャレに付き合わせてしまったのが、妙に恥ずかしくなる。
私がメニュー名を決めたわけじゃないけどさ。
「ううん、なづなが作ってくれるなら、どれも美味しそうではあるが」
「あ……ごめんなさい。私、その、例の
「ああ、そうか、なるほど。そうだったな」
私には、
どうしてかと言われると、大昔のちょっとした事件というかトラウマのせいで、目の前の瀬李部長こそその当事者だったわけなんだけど……とりあえず、そのこと自体には折り合いはついている。
ただ、長年蝕んできた癖だけは、一朝一夕で抜けるものではないらしく、こういう「店でお客に調理をする」のはNGなのである。
これは、実家のお手伝いに関しても同じことだ。
「すみません。でも、他の調理コースの子も料理上手ですから。美味しいですよ」
「そうか。でも、ちょっと残念だな」
言いながら瀬李部長は、ちょっぴり寂しそうに眉を下げる。
そんな顔しないでくださいよ。
私だって、できることなら部長に手料理食べて貰いたい――って、いつも寮で食べて貰ってるけども。
「……あ! 出せるのある……かも」
「うん?」
ふと、一個だけ思い当たるメニューがあった。
「あの、厳密には完全な私の手料理ではないんですけど……それでもいいですか?」
「ええと……まあ、おすすめなら、せっかくだしそれを貰おうか」
「分かりました!」
注文を取り終えて、私は厨房代わりになっている教室へと飛び込む。
すると、中で仕込みをしていたクラスメイトたちが一斉にこちらを向いた。
「あ、山辺さんお疲れ様。シフト、今からだっけ?」
「うん、そうなんだけど。玄武セットって、仕込み終わってるやつある?」
「あるよ。あと包むだけ」
「ありがとう! それ、一食だけすぐ包ませて!」
言いながら、私は手指を消毒して調理係のエプロンを身に着けた。
用意するのは、既に仕込みを終えて貰った
まずは、生地を伸ばすところから。
ピンポン玉サイズに丸くした生地を手のひらでギュッと押して、軽く円盤状にする。
それを綿棒で、さらに餃子の皮みたいに薄くしていく。
この時、外から内に生地を寄せ集めるようにして伸ばして、中心部分をちょっと厚めにするのがポイントだ。
コツが居るんだけど、すずめちゃんに習って練習した成果で、次々に皮を作っていく。
ここに、スプーン一杯くらいの肉ダネを載せる。
肉ダネは、豚ひき肉にネギやショウガ、ニンニクなどの薬味を混ぜたものに、鶏ガラスープの煮凝りを練り込む。
これが、この料理の特徴である溢れる肉汁スープとなって、至上の旨味を演出するんだ。
あとは、余った皮で肉ダネをねじり包んでいく。
こういう作業、実は結構好きだ。
家で餃子とかやる時も、気付けば何十個も黙々と包んじゃう。
すごく、心が穏やかになるっていうか……一種の癒しの時間。
一人前は五個なんだけど、部長だから一個オマケしちゃおう。
これを
「お待たせしました」
部長が待つ席に戻って、蒸したての蒸籠ごとテーブルにサーブする。
「玄武セット――小籠包です!」
蓋をあけると、むわっと立ち上る熱い湯気のカーテンの向こうに、つやつや純白の点心が亀の子みたいに綺麗に並んで輝いていた。
「小籠包か。あれだよな、中にスープが入った餃子というか焼売というか」
「あ、もしかして部長、初めてですか? じゃあ、食べ方も教えますね」
私は、お箸で小籠包のつんと尖った先を摘まみ上げる。
小さな水風船を摘まみ上げたように、柔らかく、それでいてずっしりとした手ごたえ。
それをレンゲの上に置いて、箸で軽く皮を裂く。
すると、裂け目から澄み切った黄金色のスープがあふれ出して、レンゲの上は桃源郷の泉のように華やいだ。
さながら、真っ白な包本体は、泉の上に咲く蓮の花。
「はい、どうぞ。まずはこうやってスープを飲んでください。熱いので気を付けて」
「ありがとう。どれ――」
部長は、差し出したレンゲを受け取ると、見るからに熱そうなスープをふーふー冷ましながらゆっくりと啜る。
口に含んでゴクリ――飲み下した瞬間に、ほうと恍惚の溜息が漏れた。
「すごく旨いな、これ。さらっとしてるのに、濃厚な味だ。肉汁ってわけじゃないんだよな?」
「はい、スープです。肉ダネに煮凝りのスープを混ぜると、火を通した後にゆるくなって、こうして皮の中を満たすんですよ」
言いながら、私は小さな醤油皿に山盛りの刻みショウガを載せ、上から黒酢を和えるようにかける。
「スープを飲みきったら、残った小籠包の上に黒酢和えの刻みショウガを載せて、お好みで黒酢もかけて召し上がってください。しょっぱくしたい時は、少し醤油を足してもいいです」
「分かった」
今度は、黒酢和えショウガ載せの本体をひと口で、パクリ。
もぐもぐと、噛みしめるたびに口元から笑みが零れるのを、私は微笑ましく見守る。
「これも、文句なく旨い。こんなにショウガを載せて辛くならないか心配だったが、ちょうどいいくらいだ」
「このショウガたっぷりで食べるのが、本場の食べ方みたいです。スープが染みてるので、多いくらいでバランスが取れるんでしょうね」
「あっという間に食べてしまうな」
言葉の通り、部長は次々と小籠包に箸が進み、あっという間に六個を平らげてしまった。
最後の一個を口にしたあと、満足したようにナプキンで口元を拭う。
「ごちそうさま。美味しかった」
「お粗末様でした。セットで、デザートとお茶がつくので、ゆっくりしていってください」
「ああ。とはいえ、そろそろ剣道部の方に行かないとな。デザートを貰ったらお暇するよ」
「分かりました」
チクッと、胸の中に針を刺すような痛みを感じたのは、寂しさのせいだろうか。
部長と回る学園祭も、これで本当に終わりなんだ。
もちろん、学園祭自体はまだ終わらない……けど、寂しいものは寂しい。
「あ、七宝焼き。私、シフトが終わってテントに戻る時に、一緒に受け取っておきますね」
「ああ、そうか。じゃあ、お願いしようかな」
「はい。任せてください」
それでも、気の利く良い後輩でありマネージャーとして、私はめいいっぱいの笑顔で寂しさを振り払った。
楽しいが学園祭なんだ。
最後まで、笑顔でやり切ろう。