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12月 合宿所のクリスマス

第48話 初雪 ~お茶漬け~

 朝、目が覚めた瞬間に、頬にピリッと刺すような痛みがあった。

 部屋の温度が、寒いを通り越して


 うわ……と思いながら窓のカーテンを空けると、不意打ちのように白銀の輝きが部屋の中に飛び込んできて、思わず目を細める。


「わ……初雪かあ」


 合宿所の庭、その向こうに広がる左沢の街が、うっすらと積もった雪景色に包まれていた。

 光に目が慣れて来て空を見上げると、しんしんと降り注ぐ雪。

 若干べちゃっとした粒の大きなそれは、長い冬の訪れを嫌でも実感させるものだった。


「うぅ、寒っ」


 骨まで染みる寒さに、思わず全身で身震いをする。

 長袖長ズボンのパジャマを容易に貫通する寒気に、流石に着の身着のまま立ち向かうのは無謀だ。

 私は、パジャマの上からさらにジャージの上下を重ね着して、組んだ腕をさすりながら自室を後にした。


 キンキンに冷えた合宿所の廊下を抜けて、ガラッと随分滑りの良くなった炊事場の扉を開け放つ。

 中から、ひんやりした空気が吹き抜けてきて、私はまた顔をしかめることになった。


 先に行われた学園祭の売り上げランキングで、私たち剣道部は目標のチケット千枚を無事クリアすることができた。

 みんなの頑張りのおかげだ。


 そうして迎えた結果が――第二位。


 一位は、工業科三年のリアル脱出ゲームで千数百枚を超える売り上げだったという。

 すごく手が込んでて人気だという話は聞いていたけれど……思わぬ伏兵だった。

 例年の一位を越せば安心だと思っていたのに。


 とはいえ、二位でも寸志の賞金を手に入れた我々剣道部は、救急用品など消耗備品の購入に予算を当てて、その一部で引き戸のレールにシューってするヤツも買って貰った。

 おかげで、建付けの悪さで毎日ちょっとずつ積もっていた不機嫌も、滑らかにするっと流れていく。

 雪と寒さでちょっと曇りかけていた気持ちも、するっと爽やかに流れてくようだ。


「えーっと……あ、そうか。昨日、サラダチキンを仕込んだんだっけ」


 大きな業務用冷蔵庫の一角を開いて、昨日のうちに仕込んで置いた朝の食材を確認する。

 今日は、タッパーいっぱいのサラダチキンがあった。

 昨日の夜が揚げ物で脂っこいメニューだったから、朝はサッパリとサラダチキンで棒棒鶏バンバンジー風にしようと思っていたんだ。


 クラスの出店で中華食堂をやったおかげか、最近自分の中で軽い中華料理ブームが来ている。

 昨日も具だくさんの春巻きに、から揚げの甘酢餡かけを添えた。

 普段、家じゃ作らない新しいレパートリーを増やしていくのも、楽しいよね。


 とはいえ、この寒い朝に棒棒鶏は……ちょっとアレかな。


「うん……メニューを変えよう」


 何より、自分が温かいモノを求めていた。

 内臓まで冷え切った身体に、ほっと染みわたるような、ぽかぽか朝ごはん。

 そうと決まれば、まずはいつも通りご飯を炊こう。


「うひゃあ! つめたー!」


 水道の水でお米を研ぐと、水の冷たさが指先に染みる。

 温泉でサウナに入った後の水風呂よりも冷たい。

 でも給湯器のお湯で研ぐわけにもいかないし、受け流すみたいに声を出してどうにか我慢する。


 これ、そのうち水道管凍ったりするかな……?

 先生にその辺りの仕様の確認は、取っておいた方がいいかもしれない。


 どうにかお米の準備を終えて、今度はお鍋にお湯を沸かす。

 コンロの小さな火が、今は私にとってささやかな暖房だ。


 ぐらぐら煮立って来たら、そこに昆布、かつお節、煮干しを入れて出汁をとる。

 いつもならここに塩を入れて味を調えるけど、今日は塩の代わりに顆粒の鶏ガラスープを使おう。

 魚介出汁に、鶏の出汁が合わさって、食欲をそそる良い香りがたちこめた。


 さっそくスープだけゴクリと行きたいところだけど、今は我慢。

 昨日仕込んで置いたサラダチキンを細かく裂いて、軽く塩胡椒で和える。


 さらにネギと大葉を刻んで、梅干しを食べやすく叩く。

 今日は身体が温まるように生姜も刻もう。

 これらと炒りゴマが、付け合わせの薬味。


 炊き立てご飯の上にサラダチキンと薬味を振りかけて、出汁でひたひたにすれば――生姜鶏茶漬けの完成だ。


 粒立ちのツヤツヤご飯と、プリプリのチキンを、薬味がピリッと効いた出汁でさらりと口の中にかき込む。

 飲み込めば、じんわりお腹の中から身体が温まってきて、ぽかぽか額に汗を浮かべること間違いない。

 後に溢すのは、至福の溜息だけだろう。


 まあ、お茶漬けにするのは食べる直前にそれぞれにやってもらうとして、ちょっと早めに仕込みが終わった私は手持無沙汰に辺りを見渡した。

 これからガンガン寒さは増していく。

 コンロだけじゃ暖房は心もとないし、ストーブか何か借りられると良いんだけど――


「おはよう」

「わっ!」


 静けさの中、突然声を掛けられて心臓が飛び出そうなほど声が出た。


「あ……瀬李部長。お、おはようございます」


 入口の方に目を向けると、私と同じ学校指定のジャージ姿に暖かそうな半纏を羽織った瀬李部長の姿があった。

 その手に、小さな電気ストーブを抱えている。


「早いな。もう朝食の準備は終わったのか?」

「はい。今日はその、お茶漬けです。温まるかと思って」

「それは良いな。ありがとう。温かくなるついでに、ちょっと遅かったがこれ、炊事場で使ってくれ」

「電気ストーブ! ありがとうございます」

「灯油ストーブもあるんだが、まだ燃料が無いから。業者が届けてくれるまで、すまないがこれでしのいでくれ」

「いえいえ、すごく助かります。ちょうど、暖房をどうしようかなって考えてたところだったので」

「他の部屋も、灯油が届くまではエアコンの暖房だな」

「ですねぇ……乾燥しちゃいそう」


 寒気でピリつく頬に手を当てると、少しだけカサっと肌荒れを感じる。

 ギョッとして、慌てて部長から顔を背けてしまった。


「どうした?」

「い、いえ。ご飯が炊けたようなので」

「そっか。じゃあ、みんなに声を掛けて来よう」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 部長は、パタパタとスリッパの音を響かせて廊下の向こうへと消えて行った。


 ふぅ……どうにか、怪しまれずには済んだかな。

 私としたことが、乾燥した冬の寝起きに化粧水を忘れるなんて。

 ドキッ、どころかヒヤッと余計に肝が冷えてしまった。


 文化祭の後――どうにも部長のことを意識するようになってしまったのは、仕方がない。

 それでも変に浮ついた気持ちにならずに居られているのは、マネージャーとして寮を任される立場があったからだろう。


 私は、部長が好きだ。

 言葉にしてしまえば簡単なことだけれど、私の中ではイマイチ実感が無いと言うか……どこか他人事みたいに捉えている自分も居る。


 思えば、初恋っていつだったっけ……?

 小学校?

 それとも幼稚園?

 たぶんあったんだろうけど、相手が誰だったのか記憶も定かじゃない。

 それよりも家で料理の勉強をする方が楽しくて、大事で、そのまま今日まで過ごしてきてしまったような気もする。


 部長が好き。

 でも、それが恋なのか、親愛なのか、垣根も良く分からない。

 ただという気持ちに嘘偽りはなくて、私は、ひとまずこの感情を自分の中で受け入れようと思った。


「――ご馳走様でした」

「ご馳走様でしたー!」


 朝食が終わって、寮生がガヤガヤと雑談を交わしながら食べ終えた食器をカウンターに運ぶ。


「いやー、温まった。寒い日の朝の汁物は、染みるねぇ」

「ほんと。毎年、前触れなく急に降るんだもん。雪だけは、ほんとヤになっちゃうね」

「ねえ、マネージャー」


 そんな言葉を交わしていたのは、三年生の先輩方だ。

 声をかけられて、近くでテーブルを拭いていた私は、釣られて顔を上げた。


「はい、なんでしょう?」

「ほら、十二月じゃん?」

「十二月ですね」

「十二月と言えばじゃん。今年は、パーティーとかするの?」

……?」


 一瞬、何のことかピンと来なかったが、すぐに思い当たってポンと手を打つ。


「クリスマスですか。今年……って、去年はしなかったんですか?」

「去年までは、冬期休暇が被ってたんだよね。みんな、実家に戻っちゃってて」

「でも、今年はちょうどイブまでこっちに居る日程だからさ」

「はぁ……なるほど」


 クリスマスパーティーか……全然考えて無かったな。


 クリスマスと言えば、ウチみたいな定食屋にはあまり縁が無くて、一年の中でも一番暇な日と言ってもいいくらいにお店はガラガラだった。

 常連さんもみんな、自宅で家族とパーティーをするか、お洒落な洋食屋さんでディナーでも楽しんでいるんだろう。


 そういう意味では、私は生まれてこの方、クリスマスパーティーというものをしたことがない。

 賄いでチキンやケーキが出るけれど、それだけだ。


 合宿所のみんなで、ワイワイと年末のパーティーかぁ。

 忘年会も兼ねる感じで、ちょっと楽しそうかも。


「良いですね。検討してみましょうか」


 素直にそう思って、私も前向きに返事をする。

 すると、先輩方はワッと目に見えて喜んでくれた。


「マジで? 期待しとくよ? 何せ、剣道部みんな部活で忙しくて、寂しいシングルベルなんだから」

「みんなかは分かんないでしょ」

「いいや、みんなだね。裏切者が居たら処刑する」

「処刑て」


 この時の私は、軽い気持ちで「チキンとケーキでも用意したらいいかなぁ」なんて考えながら、すっかり盛り上がる先輩方を温かい目で見守っていた。

 それが、まさかあんな大ごとになるだなんて――当然ながら、理解することもなく。

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