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第49話 おおごと

 それからしばらく、なんてことはない日々が続く。

 師走なんて言葉は学生には関係ないもので、はやく冬休みが来ないかななんてのほほんとした気持ちで毎日を過ごしている。


「わっ! ちょっと、血! 誰か爪割れてない!?」

「え……うわっ!? ごめん、あたしだった!」


 放課後練習の休憩時間に、道場がやいやいと騒がしくなる。

 どうやら、部員の誰かの足の爪が割れて、床が血まみれになっていたらしい。


「わー、マネージャー! 消毒とバンソコ! あとテープ!」

「は、はい!」


 私は、慌てて救急箱を持って怪我をした部員のもとに駆け寄った。

 二年の、寮外の先輩だった。


「わ……こんなんなるまで、気付かなかったんですか?」

「いや、道場の床冷たすぎて指の感覚なんて無いのよ」

「ああ、そっか」


 私は靴下を履いたままだけど、土足厳禁な道場で選手たちの素足を温めてくれるようなものは何もない。

 むき出しの肌で冷え切った板の間を踏みしめ、しまいには道場が血まみれになるまで怪我をしたのにも気付かないまま。


 これが、いわゆる寒稽古というやつか。

 思ったよりも過酷な環境かもしれない。


「はい、終わりましたよ」

「お、サンキュー」


 この半年で、テープの巻き方もだいぶ上手になったもんだ。

 マネージャーの仕事は、なにもご飯を作るだけじゃない。

 日夜、動画を見て練習した甲斐があったというもの。


「そう言えば、今年はクリスマス会やるんだって?」

「え? ああ、そんな話もありますね」


 思いもよらない話題に、私はキョトンとして「そう言えばそんな話をしたな」なんて、頭の片隅に思い出す。


「今年の寮納めが二十五日なので、イブはパーティーできるねなんて話を三年生の先輩方としましたね」

「それって、あたしらも行っていいの?」

「え?」


 行って良いか、と聞かれたらまあ「ダメ」と答えることもないだろう。


「大丈夫だと思いますけど、別に大したアレじゃないですよ? ちょっと晩ご飯をクリスマスっぽくして、そのくらいのつもりで」

「えー、いいじゃんそれでも。てか、寮の面子ばっかりでやったらズルいじゃん」

「まあ、それは確かに」


 寮生になるのに条件があるとはいえ、その寮生ばかり楽しいことをするのは部としてみたら不公平……なのかもしれない。

 言われてみればそんな気もしてきて、だとしたらむしろ他の部員たちもみんな呼ぶべきだよねって、そんな気さえしてくる。


「なに? 何の話?」

「イブに寮でパーティーするんだって」

「なにそれ、私も行きたい」

「行きたーい! 今年、姉貴に彼氏できて、ウチだけ家で寂しくクリスマス過ごすとこだったん!」

「プレゼント交換とかする?」

「ランダムで要らないもん貰ってもなあ」

「最初から要らないもんって決めつけるなや」

「ケーキは、苺のショートケーキね。それ以外認めない」

「えー、私は切り株のやつがいい」

「あたしはモンブラン」


 騒ぎを聞きつけてか、あっという間にやんややんやと道場はパーティーの話で持ち切りになってしまった。

 やがて瀬李部長が手を叩いて「休憩終わり!」と号令をかけるまで、話題はとどまるところを知らない。


「じゃ、楽しみにしてるわ~」

「よろしく~」


 しかも、最終的に投げられてしまった。

 あれ……ほんと、ちょっとチキンとケーキ用意するくらいのつもりだったんだけどな。

 思ったより、大事になってきてしまった気がするよ……?


「なるほど、クリスマスパーティーですか」


 後日、私はクリスマスのことを赤江先生に相談しに、職員室を訪れていた。

 大会と同じパンツスーツ姿でいる先生は、いつも道着姿で見慣れている私にとっては、どこか新鮮だ。


「形骸化しているとはいえ、一応は宗教行事ですからね。公立校である手前、部費を使うのはちょっと難しいです。会場として寮を使うのは構いませんので、会費を集めて運営して貰えると助かります」

「分かりました」

「あと、当然ですが飲酒はダメですよ。三月に全国を控えた大事な時期ですから。たまに羽目を外すのも必要ですが、外し方を間違えないように」

「それはもちろん、肝に銘じておきます」


 誓いを立てるように、私はまっすぐに先生を見つめて頷く。

 すると、彼女もふっと笑みを浮かべて応えてくれた。


「私も監督役として顔を出しましょう。それで、責任の所在もハッキリするでしょうし」

「え、いいんですか?」

「何がですか?」

「いえ、その……クリスマスですし、先生も先生で予定が」


 私の言葉に、先生はちょっぴり寂しそうに苦笑する。


「どうせ毎年、仲間内で集まって飲んでる程度ですから、問題ないですよ。お気遣いありがとうございます」

「そ、そうなんですね。なら良かった? です」


 それを「良かった」と言って良いのか分からないが、気を遣わなくていいのが確かなら有難いことは有難い。


「部活の顧問なんてものをやっていると、日常生活なんてお座なりになってしまうものです。放課後は遅くまで稽古。土日も稽古や大会があって、恋人だなんだと現を抜かしている暇はありません」

「それは、その……いつもありがとうございます」

「ああ、ごめんなさい。愚痴では無いんです。私もやりたくてやっていることですから」


 どこかで聞いた話だけど、部活動の顧問というものは純然たるボランティアだと聞く。

 手当もなければ、残業代がつくわけでもない。

 そのうえ寮の運営までやっている先生は、文字通り生活のすべてを剣道部に捧げてくださっていると言っても過言ではない。

 やりたくてやっている――そうでなければ、ここまで出来やしないか。

 改めて、先生の苦労と感謝が身に染みる。


「山辺さんも、全部ひとりで背負う必要はありませんよ」


 先生の言葉に、ちょっぴり伏し目がちになっていた顔を上げる。


「パーティーの準備、ひとりでは大変でしょう。他の部員に手伝って貰っても構いませんよ。そのための時間であれば、部員が稽古の時間に抜けるのを許可しましょう」

「ありがとうございます。すごく助かります」

「今年の納めですからね。楽しんでください」

「はいっ」


 それで、話はお開きになった。

 先生の許可も貰ったし、本格的に準備を始めなくっちゃね。


 会費制にするなら、いくら集めるのかを決めなきゃいけない。

 それには料理の予算と……あと、何かイベントをするならその予算も考えなくっちゃ。


 あれ、もうクリスマスまで時間無いし意外と急いでいろいろ決めなくっちゃいけないな。

 本格的に、私ひとりじゃちょっと、どうしようもないかもしれない。

 誰か……力を貸して貰おうかな。

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