駅から少し南に下った所にある市立図書館の中に入るなり、ふたりして声を潜めて奥に進んでいく。ここに最後に来たのって、去年の夏休みにみんなで宿題した時だったっけ。
「なにか読みたい本あるの?」
あまねちゃんはか細く小さな声で聞いてきた。
「うん。でも、もうあの本はいっかなって……」
「あの本って……」
図書館の職員の人が近づいてくる。本棚の間に潜むと隠れるようにしゃがみこみ、声を出さないよう口元を抑えて息を飲み込む。職員の人が過ぎ去ったのを本棚越しから見計らうと二人で安堵の息を漏らす。
「あの本って、しず子ちゃんと探してたって本のことだよね?」
「うん。その本を探そうかなって最初は思ったんだけど、ちゃんとした題名もわからな……」
言いかけた時、今度はこの図書館の利用者が隣の本棚を通りがかった。また口元を抑え、声を押し殺してやり過ごす。口を固く閉じ、『本、探す、今は、やっぱり、いい』という意味を込めた(つもりの)ハンドシグナルを送ってみた。あまねちゃんは両手で口元を抑えながら、「あぁ〜」と頷いた。
「それなら、私ちょっと絵本よみた……」
あまねちゃんが口を開いた瞬間、また人が通った。また同じようにしようとしたところ……。
「柚月ちゃん、これ、いちいちやる必要あるのかな……?」
と耳打ちされた。これはこれで他の人の迷惑かもねと私は頷いた。
市の中央に位置する自然に囲まれた緑豊かな市中心部最大の公園に来ていた。広場の一角にはステージがあって、市のイベント広場としても地元民には馴染みがある。広場の木陰にあったベンチにふたりで横にならんで座る。
公園の目の前にあるローソンで買ったパピコを半分に割り、片っぽをあまねちゃんに手渡した。まずはフタについたちょびっとの部分のアイスを食べると、妙に重たく感じる口を開く。
「はぁ……小説読むのって、文字ばっかで、やっぱ難しいなー……。『ソードアート・オンライン』、全然読めなかったよ……」
次いで本体のアイスに口を付けて続ける。
「でも、まさか図書館にラノベが置いてあるなんてねー。これぞ、時代の変化ってやつかもね」
あまねちゃんは私が話している間、両手で持ったパピコを一生懸命、中のアイスを押し出し、口の中へと入れていた。
「ライトノベルってもうずいぶんと前から図書館にあったよ」
「えっ! そうなの?」
「図書館って、あんまり行くことないもんね。普段」
あまねちゃんは再びパピコに口をつけた。私も、少し溶けて吸いやすくなったパピコを口にする。
公園中央の周り、木々に囲まれた遊歩道を少し歩く。
「茂みぃの奥へと、進んでゆこう〜」
「お、柚月ちゃん、稲葉さんになった?」
「怪我、してもいい〜……」
ジョギングをしている人や、犬を散歩させている人、単に散歩しているって人たちと、すれ違ったり、後ろから追い越されたりする。
遊歩道の外れには池があったり、岩がゴロゴロと点在している箇所がある。
ふたりで細長い岩と岩の間をぴょんぴょんと飛び跳ねて遊ぶ。
「そういえば図書館でさ」
細長い岩から、二つめの細長い岩に飛び移る。バランスを崩しそうになったけど、なんとか保てた。思わず、鼻を鳴らす。
「え?」
私に続いて、あまねちゃんも二つめの岩に飛び移った。
「結局、一緒に絵本読んだだけだったよね。私たち」
後ろを振り向く。あまねちゃんは片足をついて着地し、バランスを取るために両手を広げ、おもちゃのやじろべえみたいな格好になっていた。
「でも私、久しぶりに絵本読めて、おもしろかったよ」
三個め、四個め、と飛び移る。後ろにいるあまねちゃんが四個めの岩に飛び移ろうとした時、落ちそうになる。慌てて手を掴む。そのままバランスを崩し、ふたり仲良く岩から落ちてしまった。
「あー。残念。はい、もしも地面がマグマだったら今ので私たち死んでたー」
みるみるうちにあまねちゃんの目に涙が溜まっていく。
「ごめんね、柚月ちゃん。もしも地面がマグマだったら私のせいで一緒に死んじゃってたってことになるよね……」
「いや! 本当に地面がマグマな訳ないんだし! だから泣かないで! ね……?」
子どもを諭すように柔らかい口調で言った。
「う、うん……。でも、もしそうだったら、私のせいで柚月ちゃんまでって思うと……なんだか……」
私はなんてことを……歳下の女の子を泣かせてしまった。免罪符って訳じゃないけど、ポケットからチロルチョコを一つ取り出して、あまねちゃんにあげた。
「ふー……」
あれから遊歩道を歩き続けて、疲れた身体を休ませるために公園中心部の広場の芝生にふたり、アルファベットのNの形で頭を向けあい、寝転がる。ここから公園が見渡せる。私たちがパピコを食べた木陰のベンチがふと視界に入る。私たちが座っていたそのベンチには、誰かが座っていた。
「柚月ちゃん、柚月ちゃん?」
「うん……うん……」
「どうしたの、眠たいの?」
「うん……。あっ! ヤバ……いま飛びかけてたかも……」
「もー。せっかくいいこと思いついたのにぃ、寝ちゃうなんてひどいよー。……なんてね」
なんて、いたずらっぽくあまねちゃんは笑う。
「今朝のあの写真、結構早い時間に送ってくれてあったから、早起きしたんだよね」
耳元でささやくように言った。やばい。今のでさらにうつらうつらとしてた意識が飛びそうになっちゃったかも……。まって、あまねちゃん、今なんて言ってたの……。あっ!
「いいことってなに!?」
顔を横にしてあまねちゃんに向けた。あまねちゃんの顔も私に向いた。あまねちゃんは微笑みながら言う。
「ゴールデンウィークに、なにか楽しいことしない?」
「ゴールデンウィークに? 楽しいこと?」
自分でも思うほどになんとも間抜けな声で、おうむ返しに答えてしまった。
「そっ、楽しいこと。思い出に残るような、楽しいこと」
手を伸ばしてきた。その手を取り、握る。あまねちゃんも握り返してくる。さっきとは違って、力がこもってない。
「うん、楽しいことはわかるんだけど……どうして急にゴールデンウィークに思い出作ろうなんて?」
「柚月ちゃんとしず子ちゃん、来年で卒業でしょ? だから、それまでにいっぱい思い出を……作っ……て……」
握った手は力なくダランと下がる。「あまねちゃん?」と呼びかけてみる。返事はない。
「う、嘘っ、まさか、このタイミングで寝ちゃったの?」
言葉をかけるけど、やっぱり返事はなかった。あまねちゃんはすぅすぅと寝息をたてて眠ってしまったようだ。
「また面白い子たち、見つけちゃったな」
一人ベンチに座りストロングゼロをあおっていた星野は広場の芝生に横たわる二人の少女を遠目に、独りごちた。