マックを出てから、私たち三人は腹ごなしのつもりで少し駅近を歩いていた。
「てかさ、言ってもいい?」
「ん?」
「どうしたの?」
「さっきマックにアントニオ、いなかった?」
「……あー。柚月も気づいてた? やっぱそうだったよな。アントニオだったよな、あれ」
「明日学校で『昨日マックにいた?』って訊いてみてもいいかな!?」
「やめとけやめとけ。別にいいじゃねえかよ」
「そのアントニオ先輩って、柚月ちゃんとしず子ちゃんのクラスメイトの人だっけ」
「そうそう。あまねちゃん、よく知ってるねー」
あまねちゃんの頭を撫でた。こそばゆそう。
駅の北口からラスカ沿い、西の方に向かって歩いていってすぐのところの、モダンな雰囲気の商店街に来ていた。
「ジャングル、ウェルカムトゥザジャングル〜。さて、この曲なーんだ? あまねちゃん、当ててみてね」
「おっかなそうな名前だった気がするけど……なんたらローゼスの『ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル』だっけ?」
「正解!」
またもあまねちゃんの頭を撫でる。これもこそばゆそうにしていた。
「何回か一緒に聴いたから、さすがにわかるよ」
私が撫でてボサボサになってしまった髪を流しながらあまねちゃんは言った。
「そっかあ。簡単すぎたか〜。じゃあ次はもうちょっと難しい曲にしようかな……」
「……おまえら、さっきっからなにやってんだか」
「じゃあこれ知ってる?『Bark at the moon』が馬鹿だもーんって聞こえるんだけど……」
「柚月ちゃんそれ、もう曲名言っちゃってるよ……」
「何それおまえの自己紹介か?」
「……しず子ってさ、私より身長ちょっと高いよね〜」
「なんだよ急に……あたしの方が身長高えよ……痛っ」
頭のてっぺんに手を添わせると、しず子のおでこに水平チョップをお見舞いしてやった。
おでこを擦りながらしず子がため息をひとつついた。
「これから、どっか行きたいとことかあんの?」
「行きたいとこ、かぁ……」
あごに手を当てる。商店街の一角にあるひとつのお店が視界に映った。そこでひらめく。
「行きたいところ、あった!」
「どこだよ」
「おかしのまちおか! ……にちょっと寄ってもいい? ……いいでしょうか?」
私の提案にまたもため息をついたしず子が「好きにしろよ……」と蚊の鳴くような声で呟いた。
商店街から更に西側へ進んでいくと、線路沿いにある小さな公園にやってきた。昨日行った公園と比べると、小さな公園ではあるけど、よく学校帰りにしず子や他の友だちの子と寄ることが多いから、私にとっては、ちょっとだけ馴染み深い場所だったりもする。それで今は、公園の中央にある格子状の屋根がある石のベンチに座って、軽くおやつタイムとしゃれこんでいたところだった。
この公園にいる間、ガタンゴトン、ガタンゴトンと電車が通る音がよく聞こえる。
「ほほいへほふふうっへいっへほ、はひふへはひひんはほふへ」
うまい棒コンポタ味を頬張りながら問うた。
「……なんて?」
しず子が眉間にしわを寄せて聞き返してきた。ごくんと口の中の物を飲みくだす。
「思い出を作るのになんかするって言っても、なにすればいいんだろうね」
「思い出ってなんだよ」
「思い出作るの! なんかよくない?」
「思い出を作る? それなら全国制覇するってのはどうだ?」
「しず子ってたまによくわかんないところでボケるよね」
「あたしがいつボケた?」
「はい、すいません。ボケてないですね……いつも、大マジメですよね……」
余計なことを言うもんなら、またキンコジの刑か、ほっぺつねりの刑が執行されるかもしれないので、うわずった声にこわばった顔で答えた。
「思い出を作るんなら、それなら、『なにかをしなきゃ』って焦っちゃうのは、少し違うんじゃないのかな……」
あまねちゃんがぼそりと呟いた。
「あっ、ごめんね。なんかちょっと偉そうに言っちゃった……」
「いやいや、大丈夫! 偉そうなんてことないよ! どうかそのまま! そのまま続けて!」
ずいぶんと跳ね上がった声が出てしまった。
「私たちがいつもするような、そんな当たり前のことでも、全然いいんじゃないかな。『ラーメン食べに行く』でも、『みんなでお出かけする』でも、『柚月ちゃんの家でお泊まりする』でも、それと、去年の夏みたいに『海に行って、みんなで花火をする』とかでもね。そういうのでも、ぜんぜん思い出になると思うんだよね」
「あまね、おまえ大マジメか? すげぇこと言ってんな」
「え、そ、そうかな……」
「まったく。柚月にも、あまねの爪の垢を煎じて飲ませてやりてぇよ」
「飲んでみてもいいかも?」
「真に受けんなよ。想像したらなんか気持ち悪くなってきた」
「気持ち悪いなんて、しず子ちゃんひどいよ!」
えーんえーんと泣くようなわざとらしいあまねちゃんの仕草にしず子は狼狽し、思わず慌ててあまねちゃんの頭を撫でてやってなだめた。
しず子たちと別れ、いつも通る病院裏の細い路地を抜けると、見覚えのある後ろ姿が見えた。
私の体は考えるよりも先に勝手に動き出していた。
「かーれーんちゃーん!」
びくっと花恋ちゃんの体が一瞬跳ね上がる。ゆっくりと後ろを振り向く。彼女は私の姿を見ると「あっ」と声を漏らした。
「どうも」
「どうもー。柚月でーす。わたしとあえなくて寂しかった?」
ウインクをしてみせ、ピースサインを送る。
「ヨー・ナパト・キーヴァーノク」
「はい? 今なんて言ったんですか?」
ピースサインをしていた手を緩める。
「チィツァ」
花恋ちゃんが指さした先には野良猫がいた。あの毛色、前にいたのと同じ子かな。顔を洗っている姿が可愛いけど、花恋ちゃんが今言ったの言葉が何を意味するのかは分からなかった。
花恋ちゃんは固まって、沈黙し口元に手を当てて何かを考えてる素振りをみせた。
「前から気になってたんだけど」
「ん?」
「もしかして、おんなじ名前?」
「おんなじ名前って、私と? 花恋ちゃんの友だちに、『ゆづきちゃん』って子がいるの?」
「いない。きみだけだよ」
花恋ちゃんは持っていた手提げカバンから一冊の本を取り出して、私に見せてきた。警察で使われてる星のマークが目に止まる。
一体この本が、なにを意味しているんだろ……。あっ! タイトルのすぐ隣、作者の人の名前! 柚月……って書いてある! でも名前じゃなくて、苗字じゃない?
本を登校用のリュックサックにしまい、花恋ちゃんは足早に歩き出した。もしかして、私のことやっぱりまだちょっと警戒してる? 私もすぐ彼女のあとを小走りで追いかける。
「そういえば、マック食べてきたんだ。お腹いっぱいで、夕飯食べられるか心配だよ〜……。花恋ちゃん、ハンバーガーとかって好き?」
「ゴチャゴチャした味のは、ちょっと苦手かな。中に何が入ってるか分からないものも……」
「ヨーグルトと豆乳が好きだって、前に言ってたもんね」
そのふたつはなんとなくシンプルな気がするから、あんまりゴチャゴチャした味が好きじゃないというのは理解できる気がする。でも、ハンバーガーが好きじゃないって、なんとなく損してる気がしちゃうなぁ。今度花恋ちゃんをマックに連れて行ってあげたら、食べてくれたりするかな?
「そういえば花恋ちゃん。前に本屋であった時にさ……」
花恋ちゃんの視線が私に向く。
「なんであんなぎこちなく笑ったの?」
私の問いに、一拍置いて花恋ちゃんは答えた。
「笑った方が、嬉しいかと思って。怒ってるよりかは、笑ってたほうがいいんでしょ?」
「そりゃあ、怒ってるよりかは笑ってくれてたほうがいいけどさ……そういうのとはちょっと違うんだよ。前のはなんか無理してるみたいで、正直ちょっとやだったかな。スッキリしないというか……」
「それは、ちょっとごめん。嫌な気持ちにさせちゃったなら」
「怒ってるとかじゃないよ」
花恋ちゃんの家に着くまで、特に会話を交わすことはなかった。なにかを花恋ちゃんと話さなきゃとは思ったんだけど、私の方から話しかけるべき言葉は出てこなかった。
花恋ちゃんの家の目の前までたどり着いた。
「花恋ちゃん、やっぱり今度私と一緒に遊びに行こうよ。絶対楽しいことがあるからさ」
「うん。きみが言うなら、楽しみにしてるね」
「うん! 絶対だよ!」
それだけ言って家に入っていく花恋ちゃんを見送った。