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#10 世界の中心にいるのは……

冬木花恋ふゆきかれんは、神奈川県の某所にある天聖女子学園の教室で、本を読んでいた。花恋の座る前の席の椅子に、咲綺が座り込む。だが花恋が自分に気づく気配がなく、視界に映るよう手を広げ振ってみたり、軽く机を叩いてみたりするが、気づく気配はなかった。

深呼吸をし、軽くあごを引く。再び声をかけてみる。


「や、やあ、冬木ふゆきさん。おはよー。いや、もうこんにちはー、か」

しかし花恋からの反応はない。咲綺は焦る。

「あれ……? あのー、冬木さん?」

本を読みふけっていた花恋は、声のする方に視線を向けた。


「あ……」

慌てて本を閉じ、立ち上がろうとする花恋を咲綺は必死になだめていた。


「あー! 大丈夫だから! あたし別に怒ってるとかじゃないからね!」

「怒ってない」

「そう! あたし、怒ってないの! だから、そのままでいいから! そのままそのまま! ステイステイ……わかる?」


咲綺は、奇妙なダンスを踊るかのように、身振り手振りの動きで花恋を引き留めようとし、机を指して再び座るように促す。花恋は咲綺に促されるまま、もともと座っていた椅子に座る。

はぁ。この子が転校してきてからというもの、先生からは冬木さんが日本での生活に慣れてないからって、できる限りでいいから面倒を見てくれって頼まれたけど、やっぱこの子、警戒心強すぎなんじゃないの? あたし、これから先、この子と向き合っていけるのかな。大丈夫なのかな……。


「お昼食べないの?」

「うん。まだ。もうちょっとだけ、読んでいきたいから……」


花恋は頬の輪郭を両手で伸ばし上げ、無理やり作った笑顔を咲綺に向けて答えた。クールで、ミステリアスな雰囲気を持つ花恋にはとても似つかわしくない仕草だと感じたのか、咲綺は思わず吹き出しそうになった。

いや、これで笑うなって方が無理でしょ。冬木さんって、もしかして天然? 咲綺は耐えきれなくなり、机に突っ伏すと、低くこもった笑い声を上げた。一息ついたところで、咲綺は口を開く。

「そろそろ学食、行かない?」


咲綺は学食の名物である、『オムそばめし』とデザートのプリンにりんごジュースの紙パックをお盆にのせ、空いているテーブルに腰を下ろした。ゴチャゴチャもしたものが苦手な花恋は、学食のメニューの中でもシンプルなうどんを注文した。


「冬木さん。学校は楽しい?」

髪をかきあげながらうどんを静かにすする花恋のその仕草に、咲綺は少しだけ胸がときめいた気がした。ハッと意識を戻し、言葉を継いだ。

「……ううん、まだ、慣れてないよね……。学校じゃなくても、別にいいか。うん、最近の話にしよう。最近、なにか楽しいことあった?」


花恋は咲綺の問いにうどんをすする手を止めて宙空を見つめながら、思考を巡らせてみた。

最近楽しかったこと、最近読んだ本、最近行った場所、なんだろう。楽しかったことじゃなくても、変わったことだったら……。まず思いついたのが、どこかそそっかしいあの子。近所に住んでるあの子のことだったら、どうだろう?


「……うん。おもしろいこと、あったよ。近所に住んでる子がいて、その子を見てると、ちょっとおもしろい」

「へー。冬木さんがおもしろいって感じるほどだから、よっぽど見てておもしろいんだろね、その子は」

「なんだろう。ちょっとだけ、あなたに似てる気がしないでもないかも」

「それってどういうことですか、冬木さん。あたしが見ていておもしろいってことでしょうか」

不服そうな咲綺を後目に花恋は真剣な顔つきになる。

「なんだろう。顔が似てるのかな……それとも仕草?」

「見てておもしろいってことは子どもなんでしょ、その子。あたしそんな子どもっぽいってことなのかな。なんか面と向かってそう言われるとちょっとだけショックだわー……」

「ごめん。悪気はなかったの」

「ううん。怒ってないよ、冬木さん。でもショックはショックだったかなー。はぁ、でもま、星野さんと話してる時よりは全然マシだけどね」

聞きなれない名前に不思議そうに花恋は目を見開いた。

「あっ、あたしの知り合いに星野さんって人がいてね」

「友だち?」

「ううん、友だちとまでは行かないかなぁ。腐れ縁ってやつ? 小説家かなんか知らないけど、見た目も経歴もなんか全体的に胡散臭い人」

手に持ったスプーンで空を切るような仕草をとった。

「お酒が好きみたいで昼間とか、朝っぱらからお酒飲んじゃうような人」

気だるげに頬杖をつく。

「下の名前はなんて言ったかな、塩づけみたいな名前だったかも。なにが楽しいんだか、あたしのこと付け回して……ってヤバ」

花恋の背後の方から近づいてくる一人の生徒を視認した咲綺は、おしとやかな仕草を装って食事を続ける。

「どうしたの?」

小声で咲綺は、

「綾瀬先輩……」

と花恋に察せるよう呟いた。

「浅深さん。この間は汐琉シオルがありがとうだって、また焼肉行こうねだって」

「あっ、わっ、は、はっひゃい! あたしの方こそ、楽しかったですって、また行きましょうって伝えてくだしゃはい……」

思わず立ち上がってしまった。かなり目が泳いでいる。綾瀬友季あやせゆうきは「じゃ、それだけだから」と告げて通り過ぎて行った。固く目を閉じていた咲綺は気付かずに話し続ける。

「あの、その、だ、だから、綾瀬さん。今度はぜひ綾瀬さんもご一緒に……あれ、もういないし」

花恋は意に介さずふぅふぅとうどんに息を吹きかけ、冷ましてからすする。

「ヤバ。綾瀬先輩と話しちゃったよ、あたし」

「良かったね」

「うん、やっぱあの人はなんか生きてる世界が違う気がするんだよね。なんて言うんだろう」

椅子に座ってスプーンを手に取ると、再びオムそばめしを食べ始めた。

「とにかくあれだねー、冬木さん。あれよ、あれ。飛鳥への自慢話が一つ増えちゃったっつー訳ですよ」

「嬉しそうだね」

「うん。まあ嬉しいけどね。また綾瀬先輩と話せちゃったし……いつもいつも心臓に悪いけどね、相変わらず」


放課後になり、図書室で本を読みふけっている花恋を頬杖をつきながら、咲綺は眺めていた。

冬木さんも、なんだかんだで顔立ち整ってるよなー。訊くのはちょっとはばかっちゃうけど、外国に住んでたらしいし、やっぱり外国人の血が入ってるのかな? お父さんかお母さんが外国の人……? 訊かれてやなことだったらあたし、嫌な奴になっちゃうしなー。


花恋は思い出したかのように、脇に置いてあった登校用のリュックサックをまさぐり出した。リュックサックから取り出した半分に折られているチラシを身を乗り出し、反対側に座る咲綺に手渡した。──なんだろう? 咲綺も同じように身を乗り出し、手を伸ばして渡されたチラシを受け取った。


「なにこれ?」


半分に折られたチラシを咲綺は広げてみる。それはチェーン展開されているファーストフード店の割引チラシだった。ところどころが切り抜かれており既に使われた後だということが見て取れた。


「あの、これって、なに?」

「今朝、例のあの子に貰ったの」

「ああー。見ていておもしろいって言ってた、例の子?」

「よかったらあげる」

「いや、もうこれ使ってあるじゃん! こんなの貰っても、あたしどうすればいいの!」


剣呑な顔つきで迫る咲綺に、花恋は小首を傾げ答える。


「使えば?」

「絶対天然だよね、冬木さんって…………」

「どうも」

「いや、褒めてないから!」

貰ったチラシを再び折りたたんで、ブレザーのポケットに突っ込んで、ぐだっとテーブルに身をかがめた。

──冬木さんがおもしろいって言ってた子って、どんな子なんだろう。話を訊いた感じだとあたしらより子どもだろうけど、ちょっとあってみたいかも……。

咲綺はその相手に、しばしの間、思いを馳せていた。


「おねえさーん、おねえさーん。きみかわいいねー。学校帰り? 一万五千……いや、二万でどうかなー?」


下校途中の友季に愛車のハンターカブを停車させ、二万を指すように二本の指を友季に向けながら星野は言った。


「タバコをやめて、そのバイク売ればそれくらい余裕は生まれるかもね」

「友季も、咲綺ちゃんと同じで相変わらず連れねーよなー。ま、そこが可愛いんだけどね」

「はいはい。シオルの家行くの、今日もちょっと遅くなるから」

「はーい。じゃ、ただ通りすがっただけだから、先帰ってるよ」

「うん。バイク、気をつけて」

二人は広げた手をピタッと重ねた。その後、片手を振り上げながらバイクで走り去っていく星野を友季は眺めていた。


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