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第3話 回帰したらまずは

「んん……ここは……」


 背中に柔らかいベッドの感触を感じながら目を開けて体を起こすと、そこにはよく見慣れた光景が広がっていた。


「本当に、戻ってこられたのね」


 綺麗に整理された机に子供の頃から使っている棚や本棚。


 そんな必要最低限の物しか置いておらず、女の子らしさなんて微塵もないシンプルなその部屋は、私が死ぬ前に使っていた王国の首都にあるエーデルシュタイン邸の部屋だった。


「こうして改めて見てみると、私って生きることにあまり興味がなかったのね」


 これは一度死んでみたから分かるのだけれど…私って、どうやら生きることにあまり執着が無かったみたいね。


 だって、目の前に広がるこの部屋は、どう見ても死ぬ前の人が身辺整理をしたみたいに何もないし、今思い返してみても頑張って生きたいなんて思ったことがないんだもの。


 それに、公開処刑のような婚約破棄を言い渡された時も、事実は述べたけれどそれだけで、別に生きたいからとか助かりたいからとか、そんな生にしがみつくような理由でそんなことをしたわけではなかった。


 ただ、私自身に心当たりがないから、その事実を分かりやすくお伝えしただけで、そんな事務的な考えでしか、あの時の私は口を動かしていなかったんだもの。


「それに、元々生きたいと思っていたら、私ならあのパーティーが開かれる前に動いていたはずだもの。パーティー当日まで何もしなかったのが、最たる理由よね」


 私の性格を考えれば、やられっぱなしなんてまずあり得ないし、やられる前に徹底的に潰すはず。


 それなのに、事前に私に対する周囲の目や扱いが変わっていることに気がついていながらも見過ごしていたということは、本当に生きることに価値を見出せていなかったのでしょうね。


「まぁ、無理もないわよね。小さい頃からあの馬鹿王太子に合わせてやりたい事を我慢して、私に自由なんてほとんど無かったのだから。生きることに飽きてしまうのも当然よね」


 --幼い頃は私にだってやりたい事はあったし、毎日が楽しいとも思っていたわ。


 けれど、馬鹿王太子と婚約したことで好きだった剣術も乗馬も辞めさせられて、大して面白くもない王妃教育なんか受けさせられて、段々と生きることがつまらなくなっていったのよね。


「なんというか、本当につまらない生き方をしていたものだわ」


 人は失ってから大切な物に気付くと言うけれど、まさか自分の命を失ってからそんな事に気が付くなんて、自分のことながら滑稽過ぎて笑えてくるわ。


「今回はそんなつまらない生き方はやめましょう。やりたい事をやって、楽しく生きるのよ。そして、長生きしましょう」


 けれどその為には、片付けなければならない物がたくさんある。


 まずはそんなゴミたちを片付けるために頑張って--お楽しみはその後ね。


「幸いにも、私は記憶力も優秀だから、これから起きることは全て頭に入っているわ。なら、それを前もって潰しつつ、私の使える駒を増やしていきましょう。ふふ。楽しみね」


 あぁ。なんて楽しいのかしら。


 死ぬ前では一度も感じたことのなかった楽しいという感情が、これからのことを考えると胸の中をゆっくりと満たしてくれる。


 もしかしたら、私は本当に悪女なのかもしれないわね。


 だって、これからは私の行動一つ、言葉一つで誰かが不幸になるというのに、こんなにも楽しくて面白くて笑えてくるのだから。


「そうと決まれば、すぐに動こうかしらね。まずは、ずっと我慢してきたことからやるとしましょう」


 これからのことをサッと頭の中で計算し、計画を立てた私は、まずは自分を守るための力を手にするため、さっそく動き出すのであった。





 ということで、動きやすい服に着替えてやって来たのは騎士の訓練場。


 まだ日が昇る前だからか人はおらず、いつもは騎士たちの活気溢れる声が響くこの場所も、今は静かで何というか清い感じがする。


 --え?そんなことより、どうして訓練場になんか来たのかですって?


 それはもちろん、剣の鍛錬をするためよ。


 私、実は昔から体を動かすことが好きで、小さい頃は剣を両手に騎士たちに混ざって鍛錬をしていたの。


 けれど、両親からは淑女らしくないと言われ、馬鹿王太子からは女である私の方が強いのは生意気だと言われたりもした。


 その結果、大好きだった剣術の鍛錬は禁止にされてしまったのよね。


 --本当、意味わからないわ。


 ナルタイル王国から離れたところにある帝国の女帝は、自ら剣を握って戦争の際は先陣に立つと聞いたことがあるし、女騎士ですらいる今の時代に淑女らしくないなんて意味が分からないし、考え方が古すぎるのよ。


 それに、馬鹿王太子の発言なんてもっての外だわ。


 自分より強いのが気に食わないって、それは単に自分の実力不足の努力不足の才能不足なだけでしょうに。


 それを勝手に僻んで私を貶すなんて、我儘もここに極まれりって感じよね。


 あぁ、それと…これからは馬鹿王太子ではなく馬鹿太子と呼ぶことにしましょう。


 馬鹿王太子だと少し長いし、馬鹿太子の方が語呂が良くて呼びやすいもの。


「まぁ、そんな馬鹿太子のことなんて今は忘れましょう。それより……あぁ、なんて、綺麗な剣なのかしら。やっぱり私の剣たちは美しいわね」


 数年ぶりに手にした私の剣は、定期的に誰かがお手入れをしてくれていたようで、鍛冶師に特注で作らせた当時の美しさをそのまま保ち続けていた。


 本当はお手入れだけでも自分でやりたかったのだけれど、ここでまたしても淑女らしくないという両親の言葉によって実行することができず、結果的に騎士団長たちが使う特別な武器庫に保管されることになったのよね。


「アポクリス、アルティミア。あなたたちは世界で一番美しい剣よ」


 この握る白い剣と黒い剣は、双子の神と呼ばれる太陽の神アポロンと月の女神アルテミスに因んだ名前を持つ、私専用の剣なの。


 実はこの二本、私が十歳の誕生日の時にお祖父にお願いして作ってもらった剣で、国一番の鍛冶師と何度も話し合って作り上げた、世界に一対しかない完全オーダーメイドの逸品なのよ。


 まあそんな剣たちも、その数ヶ月後に決まった婚約のせいで触れることすらできなくなったのだけれど。


 あ、ちなみに白い方がアポクリスで、黒い方がアルティミアよ。


「長さも問題ないわね。さすが国一番の鍛冶師。私の成長を予測して大きめに作ってくれて助かったわ」


 この剣を作った時、私は鍛冶師に一生使える剣を作って欲しいというお願いをした。


 そして、そのお願いを聞いてくれた鍛治師は私の骨格や筋肉から成長後の身長や筋肉のつき方を推測すると、それに合わせて剣を作ってくれたのだ。


 --まさに、一流の成せる技ね。


「さて、久しぶりに……」


「お嬢様?」


 愛剣を手に取った私は、さっそく体でも動かそうと思っていたのだけれど、そんな私に誰かが後ろから声をかけてくる。


 そして私が振り返ると、そこには白と青の騎士服に身を包んだ壮年の男性が立っていた。


「あら?騎士団長?」


「はい。青天の騎士団団長エルメルダ。お嬢様にご挨拶申し上げます」


「おはよう」


 青天の騎士団とは、エーデルシュタイン公爵家が所有する騎士団で、今私の目の前に立っているエルメルダは、その騎士団の団長を任されている人だ。


「おはようございます。ですが、何故お嬢様がこちらに?」


「久しぶりに体を動かそうと思ったのだけれど、せっかくだから私の剣たちを使ってあげようと思って」


「なるほど。そういうことでしたか。ですがよろしいのですか?公爵様や奥様に辞めるように言われていたはずでは」


「別にいいのよ。私、もうやりたいことを我慢するの辞めたの。そんなんじゃ、死んだ時に後悔するって分かったのよ」


 これは本当の話で実体験。


 私、別に生きることに対して執着はなかったけれど、実際に死んでみてやりたかったことがいっぱい頭の中に浮かんだし、それをやらなかったことを後悔した。


 何より、誰かに言われて我慢して、そして思い通りの人形になることがどれだけつまらないことなのかも分かった。


 だからこそ、せっかく貰った今回のチャンス…やりたかった事を全部やって、何一つ後悔なんて残さないで、いつか笑顔で死ぬ。


 --それが、今回の人生の目標なの。


「死ぬだなんて、そんな悲しいことを仰らないでください。私たちが命を懸けてお嬢様をお守りいたしますので、どうかご安心ください」


「ありがとう。けれど、やりたい事はやってこそ価値があると私は思うの。だから、もう誰に言われようも自分のやりたいことを曲げる気は無いわ」


「承知いたしました」


 エルメルダはそう言って私に頭を下げるけれど、一瞬見えた彼の瞳には少しだけ嬉しさが感じられ、まるで姪っ子を見るような優しさが感じられた。


「それでだけど……エルメルダ。よければ私の相手をしてくれないかしら」


「私がですか?」


「えぇ。最初は剣を振るだけにしようと思っていたのだけれど、せっかくエルメルダがいるのだし、その方がより実戦的で鍛錬にもなるでしょう?」


「相変わらず、実戦がお好きなのですね」


「その方が楽しいもの」


「承知いたしました。このエルメルダ、お嬢様のお相手をさせていただきます」


「えぇ。よろしくね」


 まさか、久しぶりの鍛錬が実戦的なものになるなんて思っていなかったのだけれど、こうして機会を得られたのも何かの縁だろうし、せっかくだから楽しむとしましょうか。


 そうして私たちは、日が昇り始めて先ほどよりも少しだけ明るくなった空の下、訓練場の中央へと向かった。







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