「いらっしゃい」
「こんばんは」
リアの説明を求める声をいったん無視し、私は部屋の中へと入る。
すると、中で待っていたのは二十代半ばくらいに見える綺麗な女性だった。
灰色の髪に、燃える炎のような真紅の瞳。
--やっぱり、合言葉の意味は間違っていなかったようね。
月のように綺麗な灰色のお酒。
いちごのような真っ赤なお酒。
一見すると、洒落た注文の言葉に見えるその言葉たちは、彼女という女性そのものを表しており、この言葉を決まった順番に言わなければ、彼女に会うことはできない。
ああ…それと、最後の白い桃については彼女が飼っている愛猫が白色なのと、好きな食べ物が桃だから、この二つも合言葉に入っているらしい。
--ふふ。白い猫が好きだなんて、彼女とはなんだか気が合いそうだわ。
「ご丁寧にどうも。まぁ座りな。話はそれから聞くさね」
「わかったわ」
私はそう女性に促されるまま彼女の正面にある椅子に座ると、フードを脱いで、狐のお面を付けたまま彼女の方に目を向ける。
「はは。そんなにじっと見られると照れるさね」
「あら。ごめんなさいね?私、気になる人はつい観察してしまう癖があるのよ」
「ほぅ?その言い方だと、まるであたしが嬢ちゃんに口説かれてるみたいじゃないか?」
『え?!カルナちゃん、私がいるのにその人を口説いてるのぉ?浮気だよぉ、それ!う・わ・きぃ!!』
女性の「口説かれている」という冗談に、リアが頭の中で声を張り上げて抗議してくる。
けれど、今は彼女の相手をしている余裕はないから--悪いけれど、しばらくは聞こえないふりをした。
それにしても、浮気だなんて言って嫉妬するリアは可愛いわね。
彼女が近くにいたら、きっとあまりの可愛さに撫でて抱きしめてしまうわ。
「ふふ。確かにあなたは綺麗だけれど、残念ながらそういう意味で言ったんじゃないわ。私は、小さくて可愛らしい子が好きなの」
「ありゃ、そうかい?まさか、嬢ちゃんはそっち系の趣味があったなんてね。ちょっと驚いたさね」
「何か誤解しているようだけれど、別に誰でもいいってわけじゃないわよ?ただ、お気に入りの子がそんな容姿をしてるってだけね」
「なるほどねぇ。すでに、嬢ちゃんには気に入った子がいるのか。なら、あたしは諦めるしかなさそうさね」
『そうだそうだぁ!私のカルナちゃんに手を出すなんて許さないんだからねぇ!!』
--ふふ。いつの間にか、私はリアのものになってしまってたみたいね。
でも確かに、私たちは契約している関係でもあるから、あながち私がリアのものっていうのも間違ってはいない。
きっと今頃は、猫みたいに可愛らしく手のひらを握ってパンチでもしてるんじゃないかしら。
そんな姿を想像するだけで、つい口元が緩んでしまう。
「うん?何かいい事でもあったのかい?」
「ああ、いいえ。気にしなくていいわ。それより、さっそく本題に入りましょう」
「そうだったね。嬢ちゃんみたいな若い子がここに来たのは初めてだから、少しいろいろと話しちまったさね。それじゃあ、嬢ちゃんの依頼を聞こうか」
そう。私がここに来た一番の理由は、彼女に私の復讐の一つを成し遂げるために必要な情報を集めてもらうため。
そして、これは彼女にしか依頼できない内容だから、わざわざ私自身がここまで来たのだ。
だから、例えどんな手を使ったとしても彼女を私の味方につけ、依頼を受けてもらわなければならい。
「と、その前に。まずは自己紹介でもしておこうさね。あたしの名前はドロシー・アシェルヴラン。この王国一の情報ギルド、アシェルヴランのマスターさね」
「そう言えば、まだお互いに名乗ってなかったわね。私は…そうね、
「ヨルカだね。それで?今回はあたしにどんな依頼がしたくてここまで来たんだい?」
「そうね。その前に、まず確認になるのだけれど、あなたがこの情報ギルドのマスター本人で間違いないのよね?」
「おや?まさかここにきて疑われるとは思わなかったよ。どうしてそんなことを聞くんだい?」
「これから私が話す依頼内容が、それだけ重要であり秘匿性のある内容だからよ。だから、もし仮に今目の前にいるあなたがマスターを装った偽物なら、私はこのまま帰るしかないわ」
「あっはっは!なるほどねぇ。あたしのことを疑ってるわけか」
「私って、結構慎重なのよ。それで?どうなのかしら」
「そうだねぇ。言葉で言うだけなら簡単さね。けど、それじゃあ嬢ちゃんは納得しなさそうだ。ふーむ。……なら、これなんてどうだい?」
ドロシーはそう言って机の引き出しを開けて何かを取り出すと、それを机の上へと置いて私に見せてくる。
「それは、印章かしら?」
「そう。これは、アシェルヴランのマスターだけが使用することのできる特殊な印章さ。もし、本物のマスター以外がこれを使おうとすれば、その瞬間、印章の持ち手から毒針が出てくる仕組みになってる。その後のことは、簡単に想像がつくだろう?
「なるほどね」
「そして、これをこうして使うと……どうだい?信じてもらえたかい?」
ドロシーはそう説明しながら近くにあった紙に印章を押して見せると、次に手のひらを見せながら何も問題がないことを証明して見せる。
「それ、触るだけなら問題ないのかしら」
「触るだけなら問題ないさね。ただ、あたし以外の誰かがこの部屋から持ち出そうとしたら、その瞬間に毒針が出るから気をつけることだ」
「ようは、無駄な気は起こすなってことよね。わかったわ。なら、それを少し見せてくれるかしら」
「構わないよ」
そうしてドロシーから受け取った印章に魔力を流してみると、確かにこの印章には特殊なギミックや魔法が付与されているようだった。
「確認は済んだかい?」
「えぇ。ありがとう。あなたが本物だと信じるわ」
「それはよかったよ。それで?嬢ちゃんの依頼ってのなんなんだい?それに、どうやってあの合言葉を知っていたのかも教えてくれるとありがたいんだけどね」
「合言葉については秘密ね。それと、依頼についてだけれど、一度聞いたら断ることはできないわよ。だから、断るなら今この時点で断ってほしいの」
「あはは。まさかここまで来て、自分に不利な話を最初にするとはね。随分と面白いじゃないか。それで?もしあたしがここで断ったら、嬢ちゃんはどうするのさ」
「別にどうもしないわよ。ただこのまま帰るだけだから。けれど、これは私にとっても重要であるように、あなたにとってもチャンスなの。だから、断らないことをおすすめするわ」
「チャンス?それも、嬢ちゃんじゃなくあたしのかい?そりゃあ一体、どんなチャンスだって言うんだい?興味が湧いてきたさね」
「アンジー・シャルティアン」
「……なんだって?」
--ふふ。思った通り、やっぱり食いついたわ。
「聞こえなかった?アンジー・シャルティアンといったのよ」
「なんで、嬢ちゃんがその名前を知ってる」
「さぁ。そんなことはどうでもいいんじゃない?今重要なのは、選択。私の依頼を聞けば、あなたはその報酬としてアンジーの居場所を知ることができるわ。けれど、断ればそのチャンスを逃すだけ。さて。あなたはどっちを選ぶのかしら?」
「チッ。それじゃあほとんど脅しさね」
「まあ確かに、そう捉えられてしまうのも仕方がないわね。でも、これはあくまでも交渉よ。あなたが私の依頼を受けてくれると言うのなら、私はこの情報を報酬の前払いとしてあなたに教えてあげるから、あなたはその後に私の依頼を果たしてくれればいい」
「本気かい?もしあたしが嬢ちゃんを裏切ったら?」
「その時は、あたなのアンジーにかける想いが偽りだったと思い、私があなたを軽蔑するだけよ」
これは、一見すれば明らかに私の方が不利な条件での取引であることに間違いはない。
でも、私は知っている。
ドロシーにとって、アンジーがどれほど大切な存在なのかと言うことを。
だからきっと--彼女なら……
「くくっ。あっはははは!なるほどねぇ。あたしがアンジーにかける想いを根拠に、嬢ちゃんはこんなとんでもない取り引きをしようってのかい」
「気に入ってくれたかしら?」
「あぁ。すごく気に入ったよ」
そう。絶対に気に入ってくれると思ったわ。
「この際、どうやって嬢ちゃんがその情報を得たのかなんてどうでもいい。ただ、あたしが知りたいのはその情報が正しいのかってことさね」
「だからこその前払いよ。それなら、仮に私が嘘をついていたとしても、あなたは私の依頼を放棄して姿を消せばいいだけだわ。他国にでも逃げられたら、私でも探すことはできないでしょうしね」
「そうかい。わかった。その依頼、受けようじゃないか。だから嬢ちゃんも、嘘なんて付かずにアンジーのことを話な」
「もちろんよ」
--依頼を受けてくれないという懸念。
その第一関門であり最大の関門を突破することができた私は、その後は依頼についてドロシーに説明して契約を結んだ後、最後に約束していたアンジーの居場所について教えてあげた。
「やっと見つけた…アンジー」
その時、アンジーの名前を呼んで微笑んだドロシーの優しい表情を、私はきっと生涯忘れることはないだろう。