ドロシーに第二王子の保護を頼んでから、もうすぐ一ヶ月になる。
両親に隠れてエルメルダと剣の稽古をしたり、リアと楽しくお話をしながら復讐の準備を進めていた--そんなある日のことだった。
今日は朝からメイドたちが忙しく動き回り、私もまた着替えやら髪のセットやらと忙しい時間を過ごしていた。
「はぁ。面倒だわ」
「お嬢様。動かないでください」
そう言って私を注意してきたのは、私の専属メイドであるリーネだった。
リーネは慣れた手つきで私の髪を綺麗に結うと、最後にお化粧を施してくれる。
やがて閉じていた目を開けると…鏡に映る私は、いつもよりも美しく、そして大人っぽくなっていた。
「できました。お嬢様。今日もお綺麗です」
「ありがとう。リーネとみんなのおかげよ」
「勿体なきお言葉です」
リーネと他のメイドたちは謙遜したようにそう言うけれど、これは紛れもなく私の本心よ。
リーネたちは、公爵家に仕えているだけあって美的センスを始めとした凡ゆる面で、他家のメイドたちを凌駕している。
なんなら、王族に仕える侍女やメイドにも引けを取らないと私は思っているわ。
それくらい、彼女たちは優秀ってことよ。
「それにしても、本当にそちらのドレスでよろしかったのですか?」
「あら?さっきは綺麗だと言ってくれたのに、似合わないかしら?」
「いえ。とても似合っております。ただ、せっかくのお茶会ですのに、黒いドレスというのは少し華やかさに欠けるのではないかと」
リーネは少し困ったように眉を下げながら、それでも気遣うようにそう言ってくれる。
「ああ、それなら別にいいのよ。どうせ、あれが私のドレスについて触れることなんてないのだから」
そう。例え私がどんなに綺麗に着飾ろうとも、これから会うあの人…私の婚約者である王太子は、絶対に何も言わない。
それは、死ぬ前の人生でもそうだったのだから。
それに何より、このドレスはリアが私に似合うと言って選んでくれたドレスだもの。
リアが喜んでくれるのなら、私は例えこの後の王太子とのお茶会が華やかにならなかったとしても、それだけで十分だわ。
『わぁ~!!!カルナすっごく綺麗ぇ!!!まるで夜に咲く薔薇のように似合ってるよぉ!!!』
『ふふ。ありがとう』
--どうやら、リアは自分が選んだドレスを着ている私の姿がかなり気に入ったようね。
だって、普段はおっとりとした喋り方をするリアがここまで声を弾ませて褒めてくれるんだもの。
それだけで、私まで嬉しくなってしまうわ。
そんな風にリアの反応を楽しんでいると、ノックの音に続いて、執事のロムルが静かに告げる。
「お嬢様。王太子殿下の馬車が到着いたしました」
「はぁ…わかったわ」
本当は面倒だし会いたくないし復讐だけを果たしてさっさとこの関係も終わらせたいのだけれど、まだそのタイミングではないから、ここは嫌でも我慢しなきゃいけない。
そうして、面倒だなとは思いつつも座っていた椅子から立ち上がった私は、回帰してから初めて、婚約者である王太子と会うために部屋を出るのであった。
「王太子殿下。本日はお越しくださりありがとうございます」
「……あぁ」
はぁ--この感じ、久しぶりだわ。
ロムルに馬鹿太子の到着を告げられ、婚約者として屋敷の前まで挨拶兼お出迎えをしにきたけれど、会ってすぐに不本意だと言いたげなこの返事。
顔を上げて目の前にいる婚約者の顔を見れば、私と目を合わせないようにそっぽを向いている。
本当に久しぶりだわ。
「見てくれだけはいいのにね」
私の婚約者であるオルフェウス・ナルタイルは、太陽のように輝く金色の髪に王族の象徴である金色の瞳を持つ美青年だ。
彫刻のように綺麗な顔立ちと、王子様らしい優しく柔らかな雰囲気。
そして長い手足に高い身長。
その姿はまさに物語に出てくるような王子様のようだけれど、それは所詮見た目だけ。
中身は見た目と違って子供で癇癪持ち。
気に食わないことがあればすぐに感情的になるし、思い通りにならなければ怒鳴って、自分より優れた人を見れば指を差して生意気だと騒ぎ出す。
--ほんと、見た目以外は王の器じゃないのよね、この馬鹿太子は。
『これがカルナの婚約者ぁ?ふーん?まあ、見た目だけは及第点かなぁ。でも、私の方が可愛いもんねぇ』
『ふふ。そうね。私もそう思うわ』
リアはどうやら、初めて見る私の婚約者に対抗意識を感じているようで、その後も自分の方が如何に魅力的かを私に説明してくるけれど、実際はそんなことする必要なんてないのよね。
だって、まだ出会って数ヶ月ではあるけれど、彼女と話した時間は前回の人生を含めても誰よりも有意義で、楽しくて、何より幸せなんだもの。
だから、いちいちこんな小物と比較する必要なんてないのだけれど、リアは気に入ったものにはかなり入れ込むというか、独占欲が強く湧いてしまうタイプのようだ。
そんな性格だからか、私がオルフェウスと婚約関係ということ自体が面白くないようね。
これは、早く終わらせてリアのご機嫌取りをした方が良さそうだわ。
「それでは殿下。庭園の方へとご案内いたしますね」
「あぁ」
そんなオルフェウスのぶっきらぼうな返事にも笑顔で返した私は、その後、騎士と侍女を数名連れて、みんなで仲良く庭園の方へと移動した。
「…………」
「…………………」
オルフェウスを連れて庭園へと移動し、恒例のお茶会を始めてから数十分。
私たちの間に--会話は無かった。
それも、一度も。
とはいえ、これにももう慣れたのだけれどね。
私とオルフェウスのお茶会は、婚約者という関係もあって仲を深めるために定期的に行われているものなの。
けれど、元々の相性が悪かったのに加えて婚約してから五年近く経つため、今ではお互いに話すこともなくてこうして黙ったまま時間が過ぎるのを待つことがほとんどになったのよね。
確か、前の人生でもこのまま特に話すこともなくつまらないまま終わったのだけれど、今回は……
『でねぇ。その時にイルカルラちゃんがぁ……』
リアがたくさん話しかけてくれているから、今回は同じ沈黙の時間でもつまらないとは感じないのよね。
「……おい」
「はい?」
そんな風にリアの話を聞いていると、これまでずっと黙っていたオルフェウスが徐に口を開き、胸の前で腕を組んで尊大な態度をとりながら話しかけてくる。
「なんだ。その反応は」
「あぁ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていただけよ」
「ふん。お前が考えることなどどうでもいい。それよりもだ。あと数ヶ月もすれば、俺たちも学園に入学するだろ」
「学園。そう言えば、もうそんな時期ね」
リアの話を聞くのに意識を向けていたから忘れていたけれど、前の人生でも学園に入学後のことについて話されたのはこの時で、確かこの後の会話は……
「忘れていたのか?お前にしては珍しいな。まぁそんなことはどうでもいい。俺が言いたいことは、学園に入学した後も今みたいに必要以上に関わってくるなってことだ」
そう。これだったわね。
回帰前の私は、オルフェウスから同じ話をされた時、体裁や人目があるため嫌でも多少は仲睦まじい姿を見せないといけないことを説明した。
もし仮に、学園内で未来の王と王妃である私たちが不仲な姿を見せたら、そんな私たちの姿を見た他の貴族や市民たちに不安を与えてしまうことになる。
ましてや、学園には他国の貴族もいるため、そんな姿を見せると今後の交渉や関係がどうなるか分からなかったから。
でも、今回はそんなことはどうでもいいわ。
だから、こう答えてあげるの。
「わかったわ」
--今日一番の、嘲笑混じりの最高の笑顔を添えてね。